3話 どうしよう怪物
*
翌日の朝10時、くれなは返納列車の中で、白いノートとシャープペンシルを持ってソファに腰かけていた。文房具はすべて高校で使っていたものだ。くれなが死にかけたとき、結界の中で河原に放り投げて置いた学校用のリュックを、ゲンが回収しておいてくれていた。ゲンはくれなの隣で、くれなの化学の参考書を「おもしろ!」と言いながら読んでいる。
ちなみに変身は解いておらず、白いドレスのままだ。この列車は、くれなが目を覚ました救護車両以外は、変身を解いた者の体内の魔力が安定しなくなるらしい。乗っている者の魔力を吸いとり、動力に変えてこの汽車は走っているそうだ。
『魔法界の魔法少女になるには、いろいろと手続きと勉強が必要だから、移動時間の間に説明しておこう』
そう言われて今に至る。どこから持ってきたか分からないホワイトボードを引きながら、隣の車両からカワタレがやってくる。昨日の祝杯の飲み会も途中からボードゲーム大会やらテレビゲーム大会やらが始まったので、この汽車にはもう何でもそろってるんだろうな、と僅か1日足らずでくれなは察した。
「魔法少女、授業!」
「いえーい!」
「い、いえーい!」
ゲンに合わせて声とともに両手を上げる。カワタレは黒いペンをホワイトボードにこんこんと当てて、満足げに鼻を鳴らす。
「テンション上がるな。私、講習会の講師とか今までやらせてもらえなかったんだ」
「上の人があえてカワタレに講師の話降らなかったんだよ。カワタレがいつも口悪くて、おまけに余計なこと言う可能性高いから」
「えっ、初めて知ったそのいらない情報。まぁいいや」
気を取り直すかのように、カワタレは手を叩く。ホワイトボードに向かい、大きな円とその中に小さな円を描いた。
「まず初めに、くれなちゃんがこれから籍を置く『魔法界』について説明する」
くれなは大きく頷く。
「魔法界は厳密に言うと、2つの国に分かれている。この世界の領土の9割を占める『魔法界』と、残り1割、怪物を魔法界に送り込んでは侵略行動を繰り返す『反魔界』。反魔界の人はほとんどがゲンのような温厚な人なんだけど、一部に過激派がいるんだ。怪物と呼ばれる生物を操って、魔法界だけじゃなく、人間界の侵略も企んでいるわけでな。それを狩るのが人間界の魔法少女の仕事ってわけ」
反魔界、という単語をくれなは初めて聞いた。下敷きを敷いたノートに記していく。人間界の魔法少女向け講習会では、悪い国が怪物を生み出しているというざっくばらんな説明だった。
メモを取り終えると、ゲンが化学の参考書を膝に置いて、くれなの顔を覗き込む。
「魔法界の魔法少女が狩りに行くのは面倒だし、もたもたしてたら被害が出るからね! だから人間界の10代から20代の適性がある人に、代わりに退治してもらおうというわけなんだよ」
「そう。くれなちゃんも知っての通り、怪物が出たら、変身アイテムが振動して、怪物のとこまで光の線を放って案内するだろう? 奴らが人間界に送り込まれたのを確認したら、まず都道府県の魔法界の担当者が確認して、魔法少女に通知と情報を送る。で、もし人間界の魔法少女にはキツイ、強い敵だったら、魔法界から応援を派遣する。ま、くれなちゃんは強いから、魔法界からの応援なんて来たことなかっただろうけどな。あ、ここはメモしなくていい。君はもう人間界は卒業した魔法少女だから」
「はい」
くれながシャープペンシルを動かす手を止めた頃、カワタレはペンで己の手のひらを叩く。
「さて、ここまでで何か質問はあるかい? はは! これ言ってみたかったんだよな」
「聞くの早すぎない?」
カワタレはゲンの言葉を無視して上機嫌で鼻歌を歌う。期待の眼差しに、くれなはそっと、挙手する。
「あの、『人間界の魔法少女』っていうのが私のような人間界出身の魔法少女で、『魔法界の魔法少女』っていうのが、スカウトされた人や、魔法界生まれの人ってことですかね?」
「そうだ。ちなみにカワタレ様は魔法界の魔法少女。生まれも育ちも魔法界だ」
「俺は反魔界出身だけど、親魔法界派だから悪い怪物じゃないよ!」
親魔法界派、という新たな単語が出てくる。頷きながら、それのメモをするのは後にすることにして、くれなは質問を続ける。
「魔法界にいる女性はみんな年齢関係なく『魔法少女』なんですか? カワタレさんはお酒も飲めるし、見た目も大人っぽくて素敵だから、少女というよりかは、魔女、とかの方が似合うんじゃないかって、ちょっと気になりました。お気を悪くしたら、ごめんなさい」
スカーレット・スワンのメンバーは全員高校生だったし、魔法少女講習会などで周りの席に座っていた人もみな、制服姿の中学生や高校生だった。飲酒できる年齢の魔法少女に出会ったのは、カワタレが初めてだった。
「よく言った。聞いたかゲン? 今の録音したいな。もう一回言って。特に『素敵』のところ」
「先生、話を進めてくださーい」
満足げに頬を緩ませるカワタレは、咳払いをしてペンを横に振った。
「全員が魔法少女なわけではないんだ。魔法界、魔界出身者は生まれながらに魔法が使える。これはまだ覚えなくていいから今度詳しく説明するが、漫画や小説のように、1人1種類の『特別魔法』と、いくらでも使える、炎を手から出したり、何もないところに水を生み出したり、傷を癒したりする、『属性魔法』。この2種類が使える。人間界の魔法少女は、身体強化や武器の生成、結界張りしかできないから、そこが大きな違いだ」
くれなは頷く。
「だが、魔法少女のように身体強化、武器の生成、結界を張ること。この3つは普通の魔法界出身者はできない。じゃあどうするかっていうと、今度くれなちゃんにもやってもらう」
「私もですか?」
「そう。変身アイテムあるだろ? 今は魔法装束にくっついてるだろうけど」
くれなは胸元の桃色のハート形のブローチを見る。カワタレが数歩踏み出し、くれなのブローチにこん、とペンを当てた。
「変身アイテムを心臓に押し付けて力を込める。そうすると、体内に取り込むことができるんだ。そして初めて『魔法界の』魔法少女が誕生する。体内に変身アイテムが入ってる人のことを魔法少女と呼ぶんだ」
「そ、それ、健康面とか大丈夫なんですか? 内臓を圧迫とかしませんか?」
「あはは! 内臓のこと気にする子初めて見た!」
「問題ない。副作用もない。寧ろ魔力のコントロールがしやすくて戦いやすくなるんだ」
カワタレのペンが離れる。くれなは手でブローチを引っ張ってみるが、魔法装束が肌から浮くだけで、ブローチはしっかりと胸元についていた。
「変身アイテムってこれ、取れるものなんですか? 引っ張ってもびくともしないのですが、これ」
「めちゃくちゃ力込めれば取れる」
「意外と力業なんですね……」
魔法少女自体ファンタジーの産物のようなものだから、ちょっとだけ驚いた。
どかっ、と音を立てて、カワタレはソファに腰かける。
「まぁでも、本当に急がなくていいからな」
カワタレは切れ長の宝石のような瞳の視線をくれなに向ける。
「魔法界の魔法少女になるということは、魔法界生まれの人と同じで、もう人間ではなくなるということ。寿命も人より長くなるし、老いるスピードも遅くなる。おまけに常に魔法装束を身に着けて、着替えも魔法でしかできなくなる」
くれなはきゅっと両手を握った。人間ではなくなる。その言葉に僅かだが緊張感を覚えたから。
「人間やめる覚悟ができたら、君もやってくれ。まだ時間はあるから」
ゆっくりと頷く。カワタレは「よし」と満足げに微笑み、立ち上がる。
「さてと、それじゃあ次は、今から行く人間界魔法少女管理本部について___」
カワタレが再び、ホワイトボードの横に立とうとした時だった。
ジリリリリリリリリリリリリ! と、車両に昔の黒電話のベルのような音が響き渡る。びくりとくれなの肩が跳ねた。
「お、電話だ。俺出てくるね!」
ゲンは立ち上がり、小走りで前の車両へと向かっていった。
ゲンの背をぼんやりと見送っていると、ふに、と頬に何かが触れた。いつの間にかゲンと入れ替わりで隣に座っていたカワタレが、くれなの頬に人差し指を刺していた。スキンシップが激しいのはカワタレの癖なのだろうか。彼女は昨日酔った時もくれなの頬に指を刺したり、あーんでおつまみを食べさせようとしてきた。
何か用があるのだろうか、と口を開こうとすると、先にカワタレが口を開いた。
「くれなちゃんの『あれ』は、『どうしよう怪物』と名付けよう。私が今命名した」
カワタレの指が離れる。
「カワタレさん、あれ、とは?」
「なんかあったとき、自分の所為だってなったり、どうしようってなったりする不安感のこと。それと自分の話と他人の話が頭に入らなくなる現象のことだ。はい、メモしよう」
カワタレの言葉に慌ててシャープペンシルを手に取る。
『もし自分の発言や他人の言葉が分からなくなったら、話途中だろうが何だろうが、いつでもメモしていいから』
そんな優しいことを昨日の夜、カワタレに言われた。発言をメモしていいなんて言ってくれる人、今までひとりもいなかった。だから、くれなのシャープペンシルを持つ手は軽い。
「もちろん心配することはいいことだ。君の美点でもある。でも、度が過ぎると自分の首を絞める鎖になる。だから『どうしよう怪物』」
「怪物、ですか」
「そう。だから倒さなきゃな? くれなちゃん、魔法少女マニュアルの復習だ。怪物の攻撃を受けて魔法少女が瀕死の状態になった場合、まずどうなる?」
「周囲の結界が崩壊します」
「その後はどう行動する?」
「この間の私のように、スマホなどで救援を呼んでただ痛みに耐えるしかありません。といっても、私は救援すら呼べなかったんですが……。確か、やがて魔力が尽きて変身が解けるまでに救援を呼ぶようにと、講習会では教わりました」
「正解! さすがだ。よしよししてあげよう」
カワタレは宣言通り、くれなの頭を大きな手でぽんぽんと優しく叩く。この歳で頭を撫でられるのは何だか気恥ずかしくて、だけどどこか嬉しくて、くれなは頬を微かに赤くする。
カワタレの手が止まる。彼女はくれなの頭に手を乗せたまま、片方の手の人差し指を立てた。
「君の心は今、結界が崩壊した状態だ。だからもう一度結界を張って、どうしよう怪物を攻撃して、どうしようの渦から解放されよう」
くれなはおずおずと頷く。度々襲われる『どうしよう』に思考が支配されていく感覚を、目の前のこの人に改めて言語化されると、どうしてかこの怪物のような感覚を倒せそうな気がしてくる。まだ、少しだけだが。
カワタレの手が頭から離れる。
「まずは結界を張るように、自分を分析する。自分は今どういう理由で、どんな不安を抱えているのか。次に攻撃。『本当に起こるわけないだろう』『そんなことあるわけないだろう』とか、心の中で呪文を唱えてごらん。あぁ、あとそうだ」
ずい、とカワタレがくれなの方へ身を乗り出す。
「『カワタレさんが傍にいる限り、悪いことは起きるわけがない』って言ってみてくれ。さん、はい」
「カ、カワタレさんが傍にいる限り、えっと」
「悪いことは起きるわけがない」
「わっ、悪いことは起きるわけがない」
「よく言えました。さぁ、メモしていいよ」
「は、はい!」
シャープペンシルを動かす。短い呪文は確かに白いノートに残り、くれなの心にも残る。
「くれなちゃんがもし不安になったら、私に確認してくれ。私が隣でずっと、『大丈夫』って言い続ける。でも、もし私が隣にいなくても大丈夫になるように、少しずつ頑張っていこう」
カワタレはくれなの目を見つめ、穏やかに笑った。
誰かにこの心の渦を話したことも初めてだったのに、こんなにも頼りになる言葉をかけてもらえるなんて、こんなにも有難いことがあるだろうか。くれなはぐっと唇を噛みしめる。
幸せになりたい。でも幸せになるにはまず、『大丈夫』になることが第一歩なのだろう。
同時に、今の自分が『大丈夫』じゃないことを誰かに気づいてもらえたことが、心の底から、じんと心臓の縁が滲むほど、嬉しかった。
『大丈夫になる』
と、ノートに書いて丸で囲むと、ぷしゅう、とドアが開いた。
「ふたりとも、仕事のお時間だよ!」
ゲンの声はいつも通りはつらつだが、僅かに緊張感を宿した、しっかりとした声だった。おそらく電話の内容が書いてあるであろう小さなメモを手に持っている。
「応援要請。魔法少女記録係の3人が襲われてるって」
「場所は?」
カワタレが落ち着いた、真剣な声とともに立ち上がる。
「茨城県の遊園地。敵の数は相当多いみたい」
「何体?」
「約10体。全部中型」
くれなは驚きで瞬きをした。中型は1階建ての家くらいの大きさの怪物のことを指す。くれなを瀕死に追いこんだ怪物は2階建てのビルくらいの大型。だが魔法少女3人で10体を相手にするのは到底無理な話だ。
くるりとマントを翻してカワタレがこちらを向く。
「くれなちゃんは見学でもいい。魔法で傷は治したとはいえ、まだ激しく動くのは」
「いえ」
くれなはぐっと拳に力を込め、立ち上がる。
「私も、戦います。必要なら変身アイテムを身体に取り込むのも、今やります」
くれなの瞳は真っ直ぐに、カワタレとゲンを見つめている。
「でも、俺は心配だよ。戦うの不安じゃない? 大丈夫?」
「それは、そうなんですけど、でも、見ているだけの方がきっと後で、『役立たずって思われたらどうしよう』って、不安になると思うから」
そっと、胸元の変身アイテムのブローチに手を当てる。
「私も、魔法少女返納列車のひとりだって、思いたいんです。人間なんかやめる覚悟はもう、できてます」
やけに自分の声が染み渡るように、耳に流れていく。本心からの言葉は何故か、自分が何を言っているのかわからなくなることが少ないと、この温かな空間に1日足らず居て、くれなは知った。
自分が役立たずだと思われたくない、なんて自衛や不安に似た気持ちがある。でも、この優しい人たちの役に立ちたい、という気持ちも、確実にある。
「もう、頑張り屋さんだね? てか役立たずだなんて思うわけないじゃん!」
くれなのどこか懸命な、けれど確かに揺らがない瞳に、ゲンが明るく返す。その言葉に続くように、カワタレがくれなにつかつかと歩み寄り、「はは!」と明るく笑った。
「よく言った。でも無理はしないようにな」
「……ありがとうございます」
くれなの背に、カワタレは片腕を回す。大きな腕に軽く抱きしめられる。
「君ならこれから何があっても、絶対に大丈夫。私たちは何があっても、君の味方だ」
耳に吸い込まれていくカワタレの声を聞いて、くれなは小さく頷いて、ぐっとブローチを握る。まだたった少しの付き合いだけど、何故か前を向ける。
戦うのはまだ恐ろしく、怖い。でも、今の言葉があれば、2人がいてくれれば、きっと、きっと。
この人たちがいるなら、人間なんかやめるのだって怖くないと、そう確信するのだ。
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