第4話
渋るカンナであったが狩りの中止連絡とあれば無視も出来ない。カンナのヘッドセットと私の通信端末を繋ぐ。
『他所に回してたデータの解析結果が出たんです、殺した人間に呪いが返る仕組みが解明出来そうなんです。死の呪いが防げるかもしれない、伽羅奢を撃っても死なないんです!』
「それは正式な中止命令?」
『解析結果の発表はまだなので、中止命令が出るのはまだ先になりますが……』
「なら止める理由にはならない」
『狩れば死ぬんですよ!』
通信の向こうでノノハは叫ぶ。
『死の呪いの解明はしてみせます、もうちょっとなんです! 誰も死なずに骸を狩ることが出来るようになります!』
「解明も中止命令も今すぐじゃない。制度や法の改正も時間がかかる。でも伽羅奢は今、目の前にいる」
『セラさん、カンナさんを止めてください!』
ノノハからの通信で、私はカンナの方を見た。
そんな私にカンナは静かに言う。
「観測手が獲物から目を離さないで」
私は彼女と違う。骸に恨みはない。復讐なんて考えたことがない。今まで何人も、死んだ骸狩りを見てきた。目の前で骸と刺し違えた相方もいる。骸に食われた被害者の姿も目にしたこともある。
それでも私はどうでもよかった。それは選ぶということだから。骸を恨み、骸を呪い、殺意を抱くのは、その生き方を選ぶということだ。
だから私にとって、どうでもいいことの筈だった。
彼女に対して生きていて欲しいと思うのも、それは選択だ。だから私はここで口を噤むだけでいい。
それでも。
「撤退しましょう、まだ引き返せます」
私はカンナの行動を制する言葉が口をついて出た。しかしそれを彼女は遮る。
「ここで伽羅奢を殺す、私の目的は、生きる理由はそれだけ」
「そんなの生きているなんて言えるんですか」
伽羅奢が頭をあげた。その目がこちらを確かに捉えた。
「なら生きてるって何?」
その言葉と共にカンナは銃の引き金に指をかける。
これもまた選択だろうか。彼女は選ばなかった、選べなかった。骸を狩る以外の生き方を。
なら、私は。
カンナが引き金を引く瞬間。私は咄嗟に手を伸ばす。その銃身を押し退ける。据えられていた銃が傾く。銃声が轟く。衝撃波が雪の粉を吹き上げる。
射線がずれた。発射された弾丸は伽羅奢に直撃はしたものの、急所から大きく狙いを外していた。撃たれたことで伽羅奢は咆哮をあげた。射撃を妨害されてカンナが怒鳴る。
「何するの!?」
「私は嫌ですよ」
咄嗟に言葉が口をついて出た。
「あなたのことを何も知らない。あなたが死んだ後、あなたのことを誰かに聞かれたら。骸を狩るしかない空っぽの人間だったなんて説明したくないんです」
「空っぽだって間違いじゃない、あの日、死に損ねた私には何も残ってなどいない」
「死に損ねたんじゃなく生き延びたんです」
私の言葉にカンナは止まる。会話を遮るように伽羅奢の咆哮が響き渡る。
傷を負って激昂した様子で私達の方へと勢いよく突っ込んでくる。私とカンナは咄嗟にその場から跳び退く。突っ込んできた伽羅奢が雪を巻き上げ私達が寸前までいた場所を穿つ。
突進に巻き込まれ囲ってあったお守りの類が吹き飛ばされた。周囲に散乱したそれらは一気に黒く焦げ尽きては消滅していく。伽羅奢の呪いにあてられたのだ。
雪の上を転がった私は手早く身を起こす。
銃ごと地面に転がったカンナが素早く起き上がり、次の弾丸を装填する。膝立ちで構えると正確に狙いを付ける暇もなく引き金を引いた。
撃ち出された弾丸が伽羅奢の肩付近を貫通するも有効打になったようには見えない。
伽羅奢が私たちに向けて吠える。その身に纏った黒い靄が衝撃波へと変わり私たちの元へと到達する。身につけていた御守りが一瞬で焦げ落ちた。
呪いを攻撃に利用する姿に伽羅奢の特異性を見た。
「撃たれて興奮状態にある」
カンナの言葉はそこで途絶えた。伽羅奢の長い尾が私達を殴打したのだ。
私の身体が宙を舞っていることに気がついた時には、身を庇うのが間に合わず雪の上に勢いよく落ちた。悲鳴と呻きの混じった声が意図せず漏れる。目の前の景色が大きく歪んだ。
鈍い痛みが遅れてやってきて呼吸が苦しくなる。痛覚が激しく反応し身体が強張る。しかし、倒れている暇はない。このまま襲われればひとたまりもない。
私は痛みを我慢し横に倒れているカンナの身を起こそうと手を貸す。
カンナが私に手を伸ばそうとするも、唖然とした顔で動かなかった。その右腕が折れているのだと遅れて気がつく。その肩を抱えて雪の上から身を起こさせる。
「銃を拾って」
片腕を折っても尚、カンナが言う。私は首を横に振った。
「逃げましょう」
「逃げられない、戦うしかない」
カンナが苦しげな表情で訴える。
「伽羅奢が興奮してる。このまま町にでも侵入されたら大勢の人が死ぬ。あの時みたいに」
手負いにさせた私達に対し伽羅奢は執着するだろう。何とかこの場を逃げおおせたとしても私達を追って山を降りてくる可能性が。その結果を私達は知っている。
「私はそんなの嫌」
カンナはこの場所での決着を望んだ。私の腕を振りほどきカンナは不格好ながら雪の上に落ちた銃を担ぎ直す。
「ですが」
「死ぬ為じゃない。あの店の子を、あの日の私にしないために。あの日、死に損ねたんじゃなく生き延びたって言うなら、これが多分私の生き延びた理由」
伽羅奢が私達の生存を確認して再び突進してくる。その進路を阻む木々の太い枝をいとも簡単に弾き飛ばす。突進は避けられない。その足を止めるしかない。しかし、射撃では加速した骸の勢いは殺せない。
私はノノハから預かっていたスタングレネードを懐から咄嗟に取り出す。ピンを引き抜き投擲した。空中で炸裂したそれは周囲に閃光と爆音を撒き散らす。それは人間にとっても強烈な一撃だった。
視界が白く染まる中、私はカンナを抱えて雪の上を転がる。
伽羅奢の巨体が身体を掠めた。獣臭さと腐臭が混じった空気を嗅ぐ。私達の背後で伽羅奢は木に激突し森を揺らす。視界を奪われて、突進の軌道が僅かにズレたのだ。
効果はあった。奪われた視覚と聴覚が伽羅奢に警戒心を植え付け、興奮しているが動きはない。嗅覚を研ぎ澄まそうとする獣特有の呼吸音が聞こえる。
カンナが狙撃銃を雪の上で構えるも、折れた腕によって苦心している。痛みを堪え、顔に血の気を蓄え、慣れぬ体勢で銃を持ち上げる。
「セラ!」
カンナが怒声の如く私の名を呼ぶ。何を求められているのかを瞬時に理解した。
私はそれに応えた。求められたからではなく、私自身の選択としてだ。
その折れた腕ではとても構えられない狙撃銃を私の体で支えてやる。この射角であれば伽羅奢の急所である脳を狙える。
「ここで終わらせる」
折れてない方の手でカンナは銃のグリップを握り、私は肩と左手を利用して銃身を支える。その重みがのしかかる。これを今まで彼女は一人で担いで生きてきたのだ。
伽羅奢が視覚を取り戻したのか私達の姿を捉え勢いよく迫ってくる。目の前にその大顎が迫る。鋭い牙の先に虚空の様な口内が見える。
私はカンナの手に触れた。その手が震えていた。引き金にかけた彼女の指に手を添える。
彼女の選択を、私は選んだ。
それが生きるということならば。
私の包んだ掌の中で、カンナの指が動いて引き金を引いたのが分かった。
凄まじい衝撃が銃身を支えていた私の体を吹き飛ばす。激痛が一瞬遅れて襲ってくる。
本来ならば地面で受け止めるものを受け止め、私の体が悲鳴を上げた。抑えきれなかった反動によってカンナも弾き飛ばされ雪の上を転がった。
放たれた弾丸が伽羅奢の口を貫いた。勢いよく飛び散った血液が、皮膚と血肉の混じった黒い赤が白の世界を染めた。
まるで伽羅奢の身体を糸が支えていて、それらが全て切れてしまったかのように。伽羅奢は勢いよくその場に崩れこむ。その巨体が私達の目と鼻の先で雪の上に転がって動かなくなった。逆立っていた毛が力なく倒れる。
同時に伽羅奢が纏っていた黒い靄が私達へと迫ってきた。避ける暇などなく、死の呪いが形を成して身にまとわりつく。身につけていた、まじないの品々が全て黒炭と化して崩れ落ちていく。
それはカンナだけでなく私にも同じことが起きていた。
呪いに蝕まれたカンナがえづき、喉の奥からうめき声と共に吐瀉物を吐き出す。苦しげな呼気に血も混じり、その場にうずくまると血を吐いて雪の上を汚した。背を丸め、力のこもった指先でウェアを掴む。彼女の顔から血の気が一気に引いて生の気配が消えていた。
「セラ……!」
カンナはその震える手と言葉で私の方を示した。
自らの身体の異変に気が付く。黒い靄が全身を蝕んでいる。
咳き込むと口の中で血の味がした。喉を込み上げてきた熱い感触。口を開けば血が溢れた。全身の力が抜けていき、身体を支えきれない。雪の上に崩れ落ちたが冷たいという感覚すら消えていた。
呼吸が苦しい。急激な発熱と発汗、そして吐き気を知覚する。口の端から血の混じった吐瀉物が漏れ出る。手足の感覚がない。心臓の鼓動さえ遠く、自分の物ではないような感覚に陥る。
伽羅奢に接近しすぎて骸の呪いをまともに食らってしまったか。伽羅奢ほどの相手であれば、骸対策のまじないでは防ぎきれなかったのか。周囲に散らばった防衛策のお札や御守りをかき集めようとするも、全て炭化して屑になっている。
掠れた視界の中、私の手の甲に骸の死の呪いの紋様があるのが見えた。
意識が遠のく。急速に血の気が引いて感覚が途切れる。これが死なのだろうと、妙な確信があった。
カンナにもっと沢山の言葉を伝えておくべきだったなとも思う。
私は本当は彼女に死んでなど欲しくなかったのだ。その感情を選ぶのを私は逃げていたのだと。
気を失って。
どれだけの時間が経ったのか分からないが。
私は目を覚ました。
いや、生き返った。
そう言うべきなのかもしれない。
脈打ち、血が巡り、自分が生きているという実感を取り戻す。激しく呼吸を繰り返し、脳に酸素を送り込む。身体の表面は冷え切っていたが奥底に熱を感じる。急激に活性化した拍動が首筋でのたうち回っているかのような感覚。
そして思い出す。
「カンナ!?」
私は飛び起きた。カンナの元へ駆け寄る。その身体に触れる。
生きていた。
カンナはまだ、生きていた。弱々しいが鼓動も呼吸もある。
骸の死の呪いは即死の筈だった。その顔にも確かに骸の呪いの紋様が刻まれている。本来ならば生きている筈がなかった。
それでも、彼女は生きていた。
私は急いで荷物を雪の中から掘り起こす。井桁に組んだ木に着火剤を使って勢いよく火を起こす。小鍋で雪を溶かして湯にして大量の砂糖を流し込む。
カンナの身体を持ち上げシートの上に寝かす。雪と風を防ぐ為にスノーペグを埋めて彼女を覆うようにテントを張る。傍には伽羅奢の死骸が転がっていて、今が現実であると思い起こさせる。
冷え切った身体を温めさせ、その身体を揺する。帰ってこい、と名を呼び続けた。
呻き声がカンナの口から洩れる。続けて、長い間激しく咳き込む。乱れた呼吸と共に現状を認識したようだった。
「どうして……?」
そんな言葉をカンナは漏らす。信じられない様子で私の顔を、周囲を、見渡していた。
私は昂ぶりを抑え、彼女に砂糖を溶かした湯をゆっくりと飲ませる。生きている、そんな実感を彼女は遅れて抱いた様子だった。
私の顔をまじまじと見つめ、そうして改めてその手を見つめて、私の手の甲の死の紋様を確かめて、そして愕然とした心情を声に乗せる。
「まさか……、呪いを二人で分かち合った?」
伽羅奢は死んだ。その今際に、殺した人間に向けて呪いを返したのは間違いない。
だが、あの瞬間。引き金を引いたのはカンナであり、そして私でもあったといえる。
二人で、殺した。そう捉えることも出来る。
それ故に、死の呪いを二人で分かち合ったのではないか。私達のどちらにも死の呪いの紋様が残っている。
二人とも死にかけたのも事実だ。だから、その効力は死に至るほどのものではなかった。いわば分け合ったことで効力が薄まったのだと。
そんな仮定を立ててはみるも、今までそんな報告事例は存在しない。二人で引き金を引くことなど普通は有り得ないからだ。
そして、この場で検証しようもない。ただの仮定に過ぎない。これ以上考えるのはノノハの仕事だろう。
「呪いを二人の体で受けたから死に至らなかったなんて結果有り得るの?」
困惑しながら仮説を一人呟き積み上げるカンナに、私は別の言葉をかける。
「よかった……生きていて」
そんな私に放心した様子でカンナは言う。何処か遠くを見つめるような目で虚空を見上げる。
「これで私は本当に空っぽになってしまった。伽羅奢を殺して、その後なんて何もない。考えたことすらなかった。人生なんてもの、私には存在してないと思っていたから」
「そうですか」
「私はこれからの人生で何をしたら良いと思う?」
「そうですね、まずは」
「まずは?」
「山を降りましょう」
「それで?」
「昼間に寄った、あのお店に行きましょう。食べた分は全部吐いてしまいましたし。食べてないメニューもいくつもありました」
私の発言にカンナは呆けた顔をした。
「本気で言ってる?」
「今は何も食べたくないくらい最悪の体調ですが。夜が明けて山を下りた頃には、疲れ切ってお腹が空いてますよ。だって生きているんですから」
「そういうもの?」
「そういうものですよ」
時間をかけて、カンナはたっぷりのお湯を飲み干した。青ざめていたその頬には生気が戻りつつあった。彼女の折れた腕に、拾って削った枝で添え木をして応急措置を施す。怪我の治療にカンナは呻き声を漏らす。
満身創痍の私達であったが、それでも確かに生きていた。
空っぽのマグカップを置いたカンナが荷物の方に目をやる。
「何か食べる物はある?」
「いつもの携帯食でよければ」
私が差し出したクラッカーをカンナは一口齧り、今まで見せたことがないような渋い表情を作る。
そして一言呟いた。
「まずい」
【終】
骸を狩る 茶竹抹茶竹(さたけまさたけ) @stkmasatake
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