第3話
「観光ですか?」
私達のテーブルに食後の紅茶を運んできた少女はそう尋ねてきた。見たところカンナと同い年くらいの髪を明るく染めた少女だ。くだけた口調で厨房とやり取りしている様子から、家業の手伝いだろうかと思った。
「骸狩りでね」
私はそう言って銃を撃つジェスチャーを示した。少女は合点がいったように頷く。
私達は今から骸を狩る、カンナが死ぬと分かっていても。
伽羅奢の狩猟依頼をカンナは即座に受けた。まるで他の人間に狩られるのを恐れたかのように。
彼女は直ぐに、自らのまじないのルーツである都内の神社へ戻り身支度をした。死に急ぐかのように準備をする彼女を前に、私はかけるべき言葉が見付からず請われるまま観測手として同行した。
伽羅奢が目撃されたのは東北地方の山中。大学の調査チームが山中の地質調査を行っていたところ、向かいの山にいる骸の姿を目撃した。骸研究局に提出された撮影映像から、その個体が伽羅奢であると推察された。
その種類が伽羅奢かつ人の生活圏に侵入する可能性が高いと判断され狩猟依頼に至った。
そして冬場に冬眠していない骸は非常に危険だ。本来ならば餌の乏しい時期を冬眠して過ごす骸が何らかの理由で冬眠し損なうと、餌を求めて人間の生息域にまで踏み込んでくる可能性が高くなる。人間を餌として積極的に捕食する理由にもなる。
故に、狩猟に踏み切ったのだ。狩った人間が死ぬと分かっていても。
伽羅奢が目撃された山の近くにある町で、私達は食事をしていた。最後の晩餐とは言わなかったが、今すぐにでも伽羅奢を狩るために山に飛び込んでいきそうなカンナを引き留めたかった。
町と言っても山あいの小さな集落だ。夏は避暑地として売り出しているようで、寂れた様子の観光宿をいくつか見た。地元民向けの店がやっていたのは幸いだった。
他に客のいない店内で、店員の少女は私達に興味を抱いたようだった。テーブルの上の空になった食器をまとめながら少女は言う。
「この辺の人じゃないですよね?」
「今回のは大物だから手練れが呼ばれたんだ」
「わぁ! どこからいらしたんですか?」
「東京からね」
「東京!」
弾んだ声で少女は連ねて言う。
「あたし、こんな田舎出て東京行きたいんです。それで自分のお店持つのが夢なんです」
「そっか、夢があっていいね」
「はい! 料理の一部もあたし作ってるんです」
「それは将来有望だ」
あの形の悪いピザではあるまいな、と私は思いながらも黙っておいた。
自慢気に胸を張る少女の首元には、金糸で編んだ首飾りがあった。呪術的な意味合いを感じさせる形状だ。土着信仰の御守だろうか。骸と接触する可能性が高い山里では特に、呪いを防ぐためのまじないが強く根付いていることが多い。
「このお店の子?」
私の質問に少女は頷く。
「本当はこの店を継いで欲しいって言われてるんですけど」
「嫌なんだ」
「嫌って言うか、自分の道は自分で選ばないと私の人生を生きてるって言えない気がするんですよね」
会話を断つようにカンナが無言で立ち上がった。潮時かと思った。これ以上の長居は出来そうにない。お代を少女に渡し、荷物を担ぐ。
「美味しかったよ」
私はそう言って、カンナに振った。
「ですよね?」
「さぁ」
店を出た私達の背中に少女は朗らかな声で言う。
「お帰りの際にも、是非寄ってくださいね」
カンナは応えなかった。
目的地の山へと向かう。かんじきのように板の付いたスノーシューズに履き替えて未舗装の山道から徒歩で入山する。
ここ数日の豪雪に見舞われた森は白く染まりきっていた。雪に覆われた地面に足元が沈む。
雪山用の装備によって足取りは重く、進みは遅い。天候が予報よりも悪化し風が強くなってきたのも向かい風だ。風には大粒の雪が混じって冷え込みが激しくなってきていた。歩き続けて荒くなった呼吸で、雪を口の中に吸い込んでしまう。
だが、カンナは無言のまま、早すぎるペースで私の前を進んでいく。何かにその背を押されるように。
人里が近いのが幸いして通信端末の電波が健在なことは幸運だった。
三時間ほど進んで、現在地点と伽羅奢の目撃された地点の相対距離を確認する。
ルートとしては尾根を越えた辺りで夜を迎えて野営し、翌朝から目撃地点に向かう予定だった。骸は人の呪いを喰む為か、気配に敏感だ。山に入る時間を遅らせたのは雪という天候を利用する為である。これだけの雪であれば、私達の気配に気が付くことはないだろう。
その雪が私達の障害になっているのも確かであったが。
周囲を斜面に囲まれた開けた場所に出た。葉が落ちて枝ばかりになった木々が埋もれて茂みのようになっている。雪の積もった山肌が白い壁のように左右に迫る。こういう場所ではよく兎や狐が狩れる。
カンナは何かに気が付いた様子だった。
「あった」
ずっと無言だったカンナが口を開く。道を逸れてしゃがみ込んだ。カンナが何を見つけたのか私も理解する。
探していたものがあった。雪に半身が埋もれた猪の死骸だ。一匹ではない。親子の群れだったのか、複数の死骸が周辺に散っている。
手分けして雪を掻き分け死骸を検めたが外傷の類は見付からない。
死骸の毛をナイフで剃り、皮膚を確認する。そこに死の呪いの紋様があった。焼きごてを入れたかのようにくっきりと跡が残っている。
骸がいた証だ。死の呪いに巻き込まれたのだろう。
「いる」
カンナは確信を抱いた様子で言う。周囲の木々を確認する。高い位置に引っかき傷や折れた枝などの痕跡も見つけた。
「死骸に積もった雪はまだ少ない」
猪の腹を裂いて確かめてみたが、内蔵は冷え切っていなかった。周囲に獣の足跡も残っていない。
「吹雪いてきたのは約一時間前です」
カンナの顔つきが変わっていた。獲物を狩る者の目だ。
「死んでから時間が経っていない。さっきまで近くにいたはず」
「この位置、かなり町に近いですね」
私達は伽羅奢の目撃位置から、その行動範囲を予測していた。しかし、その行動範囲は予想よりも町に近い。食料を求めて広い範囲をさまよっているのかもしれない。骸が人の生息圏に近づくことは本来なら珍しいからだ。
汚れたナイフを拭いながらカンナは言う。
「相手が相手、動きは読めない。それに伽羅奢はかつて人里を襲った過去がある」
その言葉は重たかった。
彼女の因縁の始まり。大型の骸である伽羅奢が人里を襲撃するという事例を残した事件。あれも冬眠時期を逃し気性が荒くなっていたことで起きたと推察されている。
「ここで待ち構える」
カンナは、猪の死骸が散らばっているこの場所を伽羅奢が再度通ると考えた。この位置を狙えて、更に身を隠せるような狙撃に適した場所を探す。
周囲は急な斜面だ。雪による足場の悪さもあって構えるのは難しいと判断する。周囲の植生は葉を落とした木々ばかりだ。身を完全に隠すのは難しい。向かいの山から狙うことも可能ではあったが移動に時間がかかることをカンナはきらった。
結局、近くの茂みに身を潜める事をカンナは決断する。全く同じ場所に伽羅奢が戻ってきた場合、距離にして百メートルもない状況で相対することになる。
今まで行ってきた骸狩りの中でも殆ど経験のない至近距離。ましてや相手は大物である伽羅奢だ。
否応なしに私は緊張してしまっていた。死というものの存在を強く意識してしまう。私達は今、死を目前としているのだ。
今際の死の呪いは殺した者だけに返る。だが、伽羅奢自体も危険な獣ではあるのだ。人間がまともに戦える相手ではない。
私の抱く緊張をカンナは感じていないのか、淡々と撃つ準備を進めていくのみであった。茂みの枝を適宜折り、身を置くことのできるスペースを作る。まじないの道具を並べて私達を囲う。
防寒具の下の巫女装束を整え直し、羽織った榊の合羽の肩に雪を積もらせながら、装弾した狙撃銃を設置する。周囲に並べた御神酒に雪が沈む。凍え震える声で祝詞をあげる。
並べたまじないの道具ごと私達はシートを被った。雪はその気勢を削ぎ止みそうな気配があった。
長い沈黙を破って、珍しくカンナの方から口を開いた。視線はこちらに向けず、銃を構えた姿勢を崩さぬままに。
「仇の伽羅奢は右耳が欠けている」
「はい」
「既に死んだのか、それともまだ何処かにいるのか。分からない」
伽羅奢の生態の多くは明らかになっていない。目撃数、狩猟数共に少ないからだ。カンナの両親を奪った個体も、その後の目撃証言は曖昧で生死不明となっている。
「ただ、あの伽羅奢には生きていて欲しいと思ってる。憎い相手なのに死んでいて欲しくない。誰かじゃなくて、この手で殺さないと頭がおかしくなりそう。起きていても寝ていても、ずっとあの伽羅奢の姿が頭の中に出てくる」
いつもより饒舌なカンナの言葉。私は無言でその先を促す。
「何をしていてもふとした瞬間に思い出す。こびりついてるの。そんな時、頭の中で想像する。銃を構えてチャンバーを引いて弾丸を装填する。銃座を据えて体勢を整える。照準と目線を合わせて瞬きを一つして余計な物から焦点を外す。そしてバイタルを狙って、銃身が余計に揺れないように引き金を丁寧に引き絞る。それで銃声と衝撃が腕から足のつま先まで伝わって、火薬の匂いがする」
「それで」
「伽羅奢が死ぬ。また頭の中に現れたら、それを繰り返す。私は一人で伽羅奢を狩れる。殺すことができる。何度もそう言い聞かせる。あの時とは違う、私が殺すって」
「それで」
「それで?」
「その先は何を想像するんですか」
カンナが私の問いに暫し言葉を失う。それから声を尖らせた。
「先なんてない」
「仇の伽羅奢を殺して、その先にあなたは何を想像するんですか」
「だからそこで終わり」
「どうしてですか?」
「伽羅奢を殺した人間は必ず死ぬ。そんな説明が今さら必要?」
「伽羅奢を殺したとしても、それでも未来を夢見たりしないんですか?」
「ない」
「何かないんですか、これを終わらせた後のことを何か」
「これは呪いだから。あの日死に損ねた私の死の呪い。私には他に何もない」
骸は人の呪いを食む。
骸が何故、人の呪いを食むのかは正確には分かっていない。その主な食性は雑食であり、呪いによって生きているわけではない。果物や新芽の他、昆虫、魚、小動物を食べる。時には鹿や熊をも襲う。人の呪いでは腹は膨れない。
骸はあくまで、その身に呪いを宿す為に呪いを食むと推測されている。生物の防衛策としての毒の様に。
骸は生きる為に呪いを食む。
骸と違って人は呪いをその身に宿さずとも生きていける。
けれどもカンナはその身に呪いを、呪いだけを宿した。呪いを除けば空っぽになってしまうと自嘲するくらいに。
彼女は死ぬ為に呪いを食んだ。
「私はあなたのことを何も知りません」
「じゃあどうしろって言うの。私にどうして欲しいの」
「それは」
私は言葉に詰まる。
その時、物音が聞こえた。身体が強張る。カンナが短い息を吐き出し伽羅奢の接近の可能性を示す。
まばらな木々の合間からそれは姿を現した。雪に染まった白い世界で黒毛が目立つ。
体高だけで四メートル、体長約十メートル。立派な体躯から成熟した個体であるのが分かる。
伽羅奢だ。
骸の中でも伽羅奢にだけある特徴。背から尻尾にかけて威嚇的な棘が並んでおり、黒毛に斑の模様がある。見間違えようがない。
短く簡潔な言葉を。狙撃の為に、正確に最速で情報を伝達する必要がある。
「目標視認。伽羅奢と断定」
私の言葉を遮ってカンナが憎しみのこもった声を漏らす。
「あいつだ」
伽羅奢の右耳が欠けていた。
ほんの少し、心のどこかで。まだ、だと思っていた。
このまま伽羅奢が見つからず引き上げるとか。仇の個体ではなかったことでカンナが伽羅奢を狩る気を無くすとか。
彼女は死なないのではないかと。
それでも。
この瞬間、後戻りなどできないのだと確信する。
「この距離なら外さない」
スコープを使わずとも、肉眼ではっきりと視認できる距離。伽羅奢がこちらにまだ気付いている様子はない。
その頭が地面に向いた。私達が掘り起こした猪の死骸を気にしている。縄張りに何者かが侵入していることに感づいたらしい。
硬い外皮があっても、この距離からの銃撃は防ぎようがない。位置取りも完璧だ。ほぼ正面から心臓を狙える。
カンナの腕ならば外すことは有り得ない。
「頭を上げた瞬間を狙う」
まるで遮るかのようなタイミングで、私の通信端末に音声通信が入った。
通信の主はノノハだった。 本来ならば骸狩りの最中に音声通信など入れない。音が狩りの邪魔をするからだ。それを破ってまでの連絡だ。私は通信を繋ぐ。
『緊急連絡です、カンナさんにも繋いでください。伽羅奢を狩るのは中止してください』
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