第42話 夕餉
第42話 夕餉
「あー、頬っぺたがまだ痛い。ズキズキするなー!」
「あんなややこしい事したんだから自業自得でしょ?それより、この脱衣所出たらキャラを守るんだからね!」
「ややこしい事って?」
「分からないならいいから!キャラは守って!涼やかなシルとフンワカしてる私の二台巨塔なんだから!」
脱衣所で浴衣を直し髪が含んだ水分を乾かしていく。
リンはタオルで髪の毛から水分を奪い、風の魔法で簡単にブロー。シルは火の魔法で小さな火玉を髪の毛の周りに出して乾かしているのだが、痛まないか気が気ではない。しかし、針のように使える硬度ならばそれも杞憂だと直ぐに頭が理解する。
キュッと、どこにでもあるような浴衣を結び整え脱衣所から出る。
「じゃあ、先行くからちゃんと髪の毛乾かしてから来るんだよ」
「はいはい。分かったから」
「それとさ、長く生きて感覚が疎くなるとか言ってた割に、ウブなんだね」
「.........?」
脱衣所の暖簾をくぐりながら、ニカッと笑う。ガーネットの様に燃える瞳のせいか悪魔の様にも感じられる微笑み。その言葉の意味が分かった頃には身体の隅々迄が熱くなる。
「ちょ!って事はさっきの意味わかっててわざとやったの!?待ちなさい!」
急いで髪を乾かし、浴衣を結び脱衣所の外に出る。
「足速!」
しかし、すぐに出た筈がもう姿が見えない。
「何してるの?早く行くよ」
ひょこりと姿を現し、調理場の方に消えていく。
「逃がすか!」
浴衣がはだける事などお構いなしに全速力でかけていき、調理場に入る。
そこでは雛野が浴衣のまま髪の毛を一纏めにし、鍋を煮ていた。
何でもない所作なのだが艶やかな髪が濡れて頸が強調されているせいか、熱で顔が赤く色付いているせいか色っぽくて目が離せない。
「あら?今、夕餉の準備してますから待ってて下さいね
『あの?確認なんですけど〜、今夜の夕餉は何ですか〜?』
シルを追いかけている場合ではない。大事なことを思い出したのだ。この宿ではその日に来たお客さんの好物を名物としてできる限り提供する。もし、それが巨大な虫だとしても出されたら食べるしか無いのだ。
夕餉
『今夜はシイナさんの好物が夕餉ですよ。といっても、雛菊みたいにうまくは調理できなかったので不安ではありますけどね...』
『やっぱり、そうなりますよね〜』
中身を聞こうにもその勇気が出ない。一人用の土鍋の中に巨体であるホーネットが丸々一匹入るわけがない。という事はどこかの部位がそのまま煮込まれていたり、雛野の料理技術的にぐちゃぐちゃにされた物が入っているのではないかと容易に想像はできるのだが、決してその中身を尋ねる勇気は無かった。
『お風呂頂きました。コレ、今回の治療で使った鏡面世界の鍵』
『ご丁寧にありがとうございます。マッサージの疲れは取れましたか?』
『ええ。バッチリ!』
何食わぬ涼しげな顔でひょっこり現れ黄色い翡翠の鍵を雛野に手渡す。脱衣所から出たボサボサとした髪にぴっちりと浴衣を着込むシルではなかった。髪の毛はぴっちりと乾き、浴衣に至っては肩にはしっかりと掛かっているものの胸部を強調させこぼれ落ちそうだった。
『リン、何か言いたげだけど、どうかした?浴衣、ちゃんと着ないと勿体ないよ』
わざとらしく目を配らせ、浴衣をピッチリと直し手で髪の毛を撫でる。そっと触れた手がほんのりと暖かくあっという間に半乾きの髪が乾く。
『....いえ、何でもありませんよ〜。お気遣いありがとうございます〜!』
脱衣所でシルに掛けた言葉を思い出し、グッと言葉を堪えて仮面を被る。
脱衣所で見せた泣き虫のシルはそこには居らず広告としてのシル。サバサバとしているリンはそこには居らずフニャフニャと掴みどころがない様に喋るリン。決してバラせない秘密が双方の間で通じ合う。
『さて、後はシイナさんの部屋だけですし運んできますね』
『重いし、私が持っていくよ!』
『雛野さん、私が持って行きますよー』
『ありがとうございます。でも、お料理の反応を見たいので私が運びます』
鍋を火にかけながら、そのまま調理場を後にする。
『じゃあ、せめて一緒にいこうかな!?シイナの具合も知りたいし!』
『あ...!じゃあ、私もお邪魔させて下さい〜!』
『構いませんよ。では、行きましょう』
調理場を出てすぐの階段を上がりシイナが休んでいる部屋に向かっていく。夜の帳が下りた外だが、旅館の廊下は所々の部屋から溢れてくる溢れ火でうっすらと照らされていた。
(『シル....シル!鍋の中って見た?』)
(『見えてないよ〜!ほとんど同じタイミングで出たんだから見えなかったに決まってるでしょ?....こんなことになるならリンの温泉に付き合わないでパッパと調理場に行けばよかった』)
(『過ぎたこと言わないで!今、走って中身見て急いで戻って来ればいけるかな?』)
(『やめといたほうが良いよ。智と同じ命令式を鍋に与えていたら指が吹っ飛ぶ事になるからね』)
(『嘘!指が吹っ飛ぶレベル!?』)
(『嘘。かなり盛った』)
(『あんたねぇ!状況考えなさいよ!』)
『痛い!痛い!つねらないで!』
小声で話すことをつい忘れ思いっきり声を上げる。
『着きましたね。お二人とも鍋の中が気になるなら出すときに覗いてください』
襖の前に座り、ガラッと開く。
『失礼します。お食事を運んで参りました』
『ありがとうございます。でも、今は何か食欲無くて....』
部屋の明かりも最低限にし、夜の帳が下りきったそとの一点を見つめていた。
人外歓迎!異世界宿屋 ディケー @deke
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