第3話
「私は貴様と婚約破棄をする!」
そう言ったのは彼女の婚約者である王太子でした。
ファーストダンスを踊ろうと騒がしい空気が一瞬にして静まり返ったのを彼は柱の影でみていました。
王座がある階段中腹に立ち、階段の下で立ち尽くす彼女を腫れ者のように皆が距離を取りました。
ヒソヒソと扇子に隠されないような声音で姦しい悪口がそこかしこから上がる噂が彼の耳にも届きました。
また騒がしくなった城内にすっと、陛下の手があがりましま。
皆が口を閉ざして、王太子を見守ります。
陛下は自分の息子が何をしようとするのか王座でみていました。
皆の視線が自分に向いたのを悟って、王太子は誇らしげな顔を彼女にむけました。
忌々しいとばかりに彼女を睨み、王太子は言葉を続けます。
「この女は、数々の悪名を晴らす努力もせず、ひとりの令嬢に嫌がらせをする性根の腐った女であるとここに宣言する!」
そこまで言い置いて、王太子は何故かずっと隣にいた男爵令嬢に手を伸ばし微笑みました。
その手を嬉々として受け取った男爵令嬢は引き寄せられました。
肩を並べると、男爵令嬢は自然な動作で王太子の腕を抱きました。
豊満な胸に挟まれて下卑下がる王太子の顔を彼は見逃しませんでした。
「私、とっても辛かったです」
しくしくと、今にも泣き出しそうな顔をして王太子に腰を引き寄せられた時、男爵令嬢は彼女に向かって一瞬だけ誇らしげに表情を変えたのを彼はみてしまいました。
「すまない、君に辛い思いをさせた」
慰める王太子はまるで自分の方が辛いのだと言うような表情を浮かべて男爵令嬢に顔を寄せます。
王太子は慰めるように唇を男爵令嬢に当ててから顔を上げました。
「皆聞け!私はこれよりヘスティア・イシュバール公爵令嬢と婚約を破棄し、愛しいシヴァ・レンドン男爵令嬢とたった今から正式な婚約者とする事を宣言する!」
わぁっ、と声を上げる貴族達。
王太子を呆然と見上げる彼女は1人だけ状況がわからず立ちすくんで迷子のような顔をしていました。
彼にはこの喜劇のような現実が心底くだらないものに見えていました。
王太子は満足げに周りを見渡してから男爵令嬢をみて、その悲しそうな顔に大きな声で驚いてみせました。
「私が王太子と婚約したらヘスティア様がお可哀想で、だってずっと王太子と私を見なくてはいけないんですもの」
何故お前が泣くのかと、彼は思いました。
王太子は男爵令嬢を慈悲深い素晴らしい令嬢だと褒めちぎり、いい事を思いついた顔をしました。
そして、
「慈悲深い私の婚約者の願いを叶えるべく、ヘスティア公爵令嬢に王家の名の下に公爵令嬢を剥奪し、辺境の地で生涯過ごす事を命ずる!」
彼女に兵士2人が「立て!」と声をあげ、槍を構えて近寄り、腕を取ろうとした時でした。
「お待ちください」
静かな声が静止をかけました。
その声は誰よりも彼が聞いてきたはずで、初めて聴いた声をしていました。
俯いた彼女の傍に辺境伯がより、兵が距離を取りました。
兵が、恐怖に彩られた表情を兜の中で浮かべているのを彼は通り過ぎさまにみました。
辺境伯は自分のコートを彼女にかけてやり、肩を抱いて立ち上がらせました。
彼女は、自分を支える辺境伯を信じられないものを見る表情でみつめました。
今日は彼女と王太子とのお披露目パーティーで、身内しか招かれないと聞いていたのです。
辺境伯と王家のつながりなどほとんどないはずで、そんな人がどうしてここに居るのかと目を白黒させていました。
「陛下、ご無礼と知りながら発言をお許し頂けますでしょうか?」
辺境伯は陛下に向かって頭を下げました。
陛下を直接見る事は許しがあるまで出来ない事はこの国の常識でした。
「かまわん、そなたは私の弟なのだ。気負わずともよい」
陛下はそう言って辺境伯の腕の中にいる彼女をみつめました。
辺境伯が大切にしている女性がまさか自分の息子の婚約者であったなど、気が付かなかったのです。
彼女もまた、辺境伯をみつめていました。
王を長らく支える王弟が、自分が兄のように慕っていた辺境伯だったなど信じられなかったのです。
「殿下は少し勘違いをなされているようです」
辺境伯は静かに口を開きました。
穏やかでのびのびとしたテノールは目を閉じればここが未曾有の事件が起こっているとは誰も思わない、そんな声が天をつきました。
「話してみよ」
陛下は興味深そうに王座から身を乗り出しました。
陛下は、辺境伯が抱える龍珠がどれほどのものか自分の目で確かめたかったのです。
彼はこれから何が起こるのか、辺境伯を見ていました。
彼の怒りを見ていることしか出来なかったのです。
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