第22話 一歩を、 前編

 握り潰してくしゃくしゃになった招待状を引き伸ばして机に叩きつける。


 それからミーシャとともにしっかり目を通して、二人してすとんと座り込む。


「ヴィーナスが言わんとしてる事が分かったな」

「ああ、俺に白馬の王子様になれってよ……」


 腕を組んでじっと彼女を見つめると「いかにも」と首肯した。


「ククル嬢には救われる権利がある」


 ──引き受けてくれるな?


 と、ヴィーナスは続けた。


 まったくもって俺の意志なんて関係なく、さも当然のように言ってのけたんだ。

 

 相変わらず、物事ってのは俺の外で動き続けている。


「……断る、って言ったらどうする?」

「それでも構わん。言ったろう? 権利だと。そういう道があってもよい、それだけの事だ」

「何だよ。騎士として主人を守りたいとか、そんなんじゃねえのか?」

「私の単なる願望に過ぎんよ。国全体で見れば、ククル嬢の結婚は喜んで然るべきだからな」


 水で喉を潤し湿った吐息を吐き捨てて、彼女は視線をミーシャへと移す。


 品定めするような見方なので、思わずミーシャは深くベレー帽を被り直した。


「なんだよ……っ、僕の顔に何かついてるか?」

「いや……ここらでは見掛けぬ、あまりに美しい銀の髪に見惚れてしまったのだ。間違っていたら訂正してくれて構わないのだが、ミーシャの家名は『ハートクリフ』だっだりするか?」

「っ、知らないな。僕はただのミーシャだよ」

「──ふむ、失礼した。私の思い違いだった」

 

 やけに緊張感のある会話を経て、ミーシャは半尻分椅子の上で移動した。

 ミーシャの反応も気になるけど、そっちに考えを回すよりも早くヴィーナスが言葉のボールを俺に投げてくる。


「それで、考えは纏まったか?」

「……」


 ククルをどうにかこうにかする──作戦に踏み切るつもりがあるのかと、ヴィーナスは聞いている。


 ここで俺が首を横に振った場合、ヴィーナスは大人しく引き下がると思う。

 そもそも、グランツが挑発してきているということは、俺を制する自信があるということ。

 もっと言えばヴィーナスを当ててきたこと、これ自体がお遊びのようなものだ。

 ククルの味方側であるヴィーナスを俺に近づけるなんてデメリットの方が大きい……多分。


 これらを踏まえて俺は──


「……やめとこう。王子どころか騎士ナイトになれるビジョンがまるで思い浮かばねえ。それどころか余裕でお尋ね者さ」


「……ふむ、全くだ。確かに私にも貴様が白馬に乗っている姿が想像できん。ミーシャもそうだろう?」

「おおっ!? ここで僕に振るのか? でも、うーーん、まあ……わりとそんなこともないと思うけどな〜」


「けっ、ミーシャも無理しなくていいぜ? 愚かな男を馬鹿にしてくれ」


 ミーシャは俺を持ち上げる節がある。

 気を使ってくれてるのか知らねえけど、行き過ぎるとよくない。


 俺はククルを見て見ぬフリしようとしてる馬鹿野郎だ。

 口に出せないような厄介ごとだろうと背負い込むのが仲間ってもんだろ、それを俺は放棄しようとしてるんだぜ?


 いっそのことコケにしてくれる方が、心地良いくらいだ。


 

 そんな風に思っていても……ミーシャは純粋に不思議そうに、首を捻った。


 そして、しれっと何食わぬ顔で爆弾をぶっ放す。


「エルってさ、ククルが好きなんじゃないの?」

「ぶっぱぁ!?」


 水は含んでなかったのでセーフ。


「んだよ、急に」

「いや、急じゃないぞ。大事なことだから聞いてるんだ。なんか理屈っぽい話になってるけどさ、単純に好きな人が盗られたなら奪い返しに行きたくならないのかなって思ったんだよ」

「ふむ、ミーシャ。それは一理ある」


 え、いや、一理あるって──なんすか?


 そもそも俺はあいつが好きなのか?

 ドキドキしまくったり、そういうのはあったけど……分からん。

 ミーシャからは見えてたってことか??


「……っ、ずりいって。知らねえよ」

「エル。はっきり言ってくれないか? それによって僕の振る舞いも変わるんだ」

「ふるまい……? ミーシャお前、何言って──」


 思わず言葉が詰まった。


 どういうつもりなのか知らないけど、ミーシャがベレー帽を外して銀糸を解き放ち、戦いに赴くような目で俺を捉えていたからだ。


 よく磨かれた鏡のような瞳の中には、俺しか映っていない。

 潤んだ瞳。

 少し紅潮した頬。 

 固く引き結ばれた口元。

 

 緊張して呼吸が早くなっているのかミーシャの華奢な肩が小刻みに上下している。

 鋭敏な俺の耳が、高鳴る鼓動の音を拾う。


「ぁ……」


 ……一つの可能性が頭の片隅に浮上する。

 

 俺が前代未聞の阿呆でなけりゃ、この可能性は一考に値する。


 だとしたら次の回答は、絶対に嘘はつけない。


「ああ、好きだよ」


 つってもわりと曖昧だけどな。堕とされたようなもんだし、あまり実感が伴ってない。

 

「そう、か。そうだよな」


 ミーシャはゆっくりとベレー帽を被り直し、ヴィーナスの鎧を軽く殴った。


「ったく、ずるいのはアンタだよ……。一発殴らせろってね」


 次に顔を上げた時には、いつもの表情に戻っていた。

 ベレー帽も被り直している。


「エル。好きに決めなよ。僕はその決定に従う」

「……決める? 俺が? いいのかよ。ロクなことにならねえぜ?」

「ああ、僕はエルがところを見てみたい」


 ……そう、言われてもな。


 この件から手を引いてダンジョン巡りにでも行ったほうが絶対に楽だ。


 片道切符を掴み取る決断なんて、俺に委ねてくれるなよ。

 デカい山を乗り越えていく勇気が俺にあったなら、あんな山小屋になんて閉じこもってなかったさ。


「……」


 唾を飲みこもうとして、口内に湿り気が無いことに気付く。

 

 回答は……そうだな。


「……ちょいと呑ませてくれ」

「んっ? おう」


 店員に酒瓶を持ってきてもらい、コップに酒を注ぐ。

 これを口に持っていって──それっきり。

 

「……やっぱ、大事なことはさ、すぐ決めらんねえよ。明日にしようぜ。時間はまだまだあるしよ」


 ここから一週間。

 俺から話題に出すことはなかった。

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