第11話 娘の卒業

 男が口にした『大丈夫だよ』は、見事的中して事実となった。


 後日、娘はその大事な試験とやらで、望んでいた通りの結果が出せたらしい。私は猫なので、難しいことはよく分からない。ただ、彼女が良い結果に喜んでいて、「本番のセンター試験も上手くいきますよーに!」とかなり前向きな様子でいたのが嬉しかった。


 それからというもの、娘はより一層勉強に励んだ。年末には、クラスメイト達と神社に行ってカウントダウンを迎え、新年を祝ってそのまま初詣をして合格祈願をした。


 私は、勉強を続ける娘のそばにあり続けた。


 彼女が家にいる間はずっと、足元にいて見守っていた。


 大事な試験までの日が近くなると、娘の顔にも次第に隠せない緊張が浮かび始めた。私は娘の緊張や不安を解すべく、彼女に寄り添って励まし続けた。男はも気晴らしになるような言葉を掛けたり、女は暖かい食事や飲み物も添えて娘を気遣った。


 それでも、本人にとって希望の大学へ入学出来るかどうかといった大事な節目だ。日が迫るのをカレンダーで確認すると緊張で落ち込み、食べ物が喉を通らなくなることも出始めた。


 そうやって娘の食欲がない時、私は手本を見せるように彼女の前でガツ食いすることまでした。顔中ご飯だらけにした私を見て、娘は笑った。不思議と食欲が湧いたと言う彼女に、私は満足したような顔をしてくっついて甘えたものである。


 とはいえ、本音を言うと、ちょっと過酷な励まし方法だった。


 歳を取った胃には、非常に負担があって私は吐き気をこらえたりした。


             ※※※


 試験の当日、娘は朝から極度に緊張していた。


 家族全員で車に乗り込んで、可愛い娘を試験会場に送り出した。私も連れていってもらえたので、娘が車を降りる直前まで、私は彼女の足の上にいてぴったり寄りそっていた。


 そして、私達は二日間そうやって娘の送迎を行った。


 娘は無事に良い結果が出た。それはとても喜ばしい事だったのだが、娘は弾けるような笑顔を見せなかった。どうやら、次が正真正銘の本番であるらしい。


「次は大学で試験を受けるのよ。つまりね、その学校へ行ってテストするの」


 娘は風呂を上がった後、ほかほかになった身体で、私をぎゅっと抱きしめてそう教えてくれた。よく分からないが、受験生というのはずっと忙しいんだなと思った。


 少しの期間を置いた後、娘は大学での試験に臨んだ。


 その当日も、私達は皆で娘を送り届けて見送り、皆で迎えに行った。


 ようやく終えた娘は、結果を待つ間、緊張しつつも肩の緊張が抜けたみたいな表情を見せていた。一面の雪景色にもかかわらず、気晴らしのように女とショッピングセンターや美容室に行った。


 私と男は、もっぱら家で留守番だった。

 男は、娘の受験で溜っていた仕事を片付けるのに必死だったのだ。



 結果発表の日、娘は友人達とその発表会場へ向かうことになった。彼女を玄関先で見届けた私達は、緊張しながらリビングで娘からの連絡を待った。


 どれくらい経った頃だろうか。


 すっかりテーブルの紅茶と珈琲も冷えてしまった頃、ようやく電話の音が鳴り響いた。パッと顔を上げて駆け出そうとした私を、男が素早く抱えて電話へと走り寄った。しかし、それよりも先に女が電話を取っていた。


「もしもし」


 急いたように女が声を掛ける。あっさり追い抜かれてしまった男は、「相変わらず僕より足が速い……」と、ちょっとばかしショックを受けたような声で呟いていた。


 すると、電話の向こうから興奮を隠せない声がもれてきた。


『母さんッ、私、合格した! 合格! すごい嬉しい! みーこ達も、合格してて……ッごめんね、なんか、ほっとしたら涙が、止ま、止まらなくて……」


 震えた娘の声と、鼻をすする音。その向こうの沢山の人々の歓喜が、受話器越しに聞こえていた。


 状況を察した男が、「やったぁ!」と私を高く抱え上げた。私も嬉しくなって、やったな娘よ、と高らかに叫んだ。女が受話器を持ったまま涙し「よかったわね、おめでとうッ」と言った。



 こうして、伊藤家の娘の受験は、無事に終わった。


 娘は晴れやかな顔で、高校の卒業式を迎えた。


 私は留守番だったので、卒業式に行った男と女に後日、式の様子が写された写真を見せてもらった。そこには、卒業を祝う私も含めた立派な写真もあった。


 学校とやらと動物が入れないため、私は留守番を頼まれて娘の高校には行けなかった。しかし、帰って来た彼らにそのまま抱えられ、車へと乗せられて、ある場所に連れて行かれたのだ。


 訳が分からぬまま連れて来られたのは、ペット可と書かれた写真館であった。


 娘の卒業祝いに、家族全員で記念写真を撮ろうというのだ。そのためだけに、彼らは卒業式を終えた足で、友人や知人に「予定があるから!」とそのまま学校を出て、家に直帰したらしい。


 中央の椅子に腰かける制服姿の娘のそばに、男と女、そして、その娘の膝の上に私が腰を下ろした。この家族の一員になれた事に、その時、改めて強い誇りが込み上げたのは、言うまでもないだろう。


 本当に嬉しかった。


 卒業した娘に、おめでとうと伝えたかった。


 私の言葉が、人間には言葉として伝わらないとは、もうこの歳になって分かってもいた。だから私は、精一杯可愛らしく小首を傾げて、記念写真にその姿を残したのだった。

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