第3話-1

『クー……』

「ごめんなさい、さすがに疲れちゃったわよね。中央神殿の広さは異常だから」


 はぁはぁと大きく息をつく魔鳩マバトの背中をなでて、ミーティアは苦笑する。


 巨大な【神樹しんじゅ】を取り囲むように建てられた大神殿は、ミーティアでさえすべて歩いたことがないほど、とにかく長く広く作られているのだ。

 いくら魔鳩と言えど、屋根を破壊しながら飛ぶのは大変だったことだろう。


「とにかく屋根はあらかた壊した。あとは……」


 そのときだ。どこからかチュンッと音を立てて、矢よりも鋭く早いなにかが飛んで来た。

『クッ!』


 それが羽をかすめて、魔鳩が全身をびくっと震わせてバランスを崩す。

 ミーティアはあわてて魔鳩にしがみつき、魔鳩自身もなんとか踏ん張って羽ばたいた。おかげで墜落はせずに、どこかの建物内に軟着陸する。


「魔鳩ちゃん! 大丈夫?」

『クー……』


 魔鳩が声を震わせながら、身体を動かして患部を見せてくる。紫の血が噴き出すのは右の羽の一部だ。


「すぐに治すわ。大丈夫よ」


 魔鳩の背から滑り降りたミーティアは、杖を手にすぐに傷を癒やす。魔鳩は『クー……』と感謝を込めてひと鳴きした。


「矢傷ではないわね。もっと早く……光線みたいなものが飛んできたもの」


 傷がふさがった魔鳩の患部をなでてから、ミーティアはその首筋に抱きついた。


『クルッポ?』

「ここまでありがとう、魔鳩ちゃん。あなたはもう宿舎に向かって。そこで美味しいご飯を食べて」

『クックー?』


 魔鳩があわてたように振り返る。『クー、クー!』と鳴く様は「騎士もいないのに一人で大丈夫なの?」と尋ねているようだ。


「大丈夫よ。さっき光線が飛んできたところが見えたし、ひとりで行けるわ。騎士が到着するのを待っているわけにもいかないし」


 なにせここは南門とちょうど反対側に位置する北門の近くだ。応援もすぐにはこないだろう。

 だが【神樹】の状態を考えれば、応援など待っている暇はないと思える。


 まして向こうはもうミーティアの位置に気づいた。こちらを攻撃してきたということは、向こうにとってミーティアは目障りな存在で、排除対象ということだ。


(つまり明確に敵ということ。それならこちらも全力でぶつかるまでよ)


 ミーティアはぎゅっと杖を握り直し、魔鳩にほほ笑みかける。


「さ、もう行きなさい。あなただけなら攻撃されないでしょう。でも念のため急いでここを離れるの。わかった?」

『……ポー……』

「わたくしのことなら心配しないで。なにせ稀代きたいの天才聖女ですもの。どんな相手だろうと対峙たいじできるわ」


 魔鳩はそれでも心配そうにまばたきをくり返し、ミーティアと離れたくないとばかりに頭をぐりぐりと腹部に押しつけてきた。

 それでも最後は理解したのか、大きな羽を広げて、すぐに宿舎があるほうへ飛び去っていった。


「やっぱりいい子ね、あなたは。元気でいてね」


 去って行った魔鳩に小さくつぶやいて、ミーティアはすぐに走り出す。

 光線が放たれた場所は、彼女の見間違いでなければ【神樹】へ祈るために設けられた広間のはずだ。


(あんな光線を放てるなんて、聖女でも聖職者でもできない芸当よ。……となれば、そこにいるのは)


 記憶にある限りの近道を通って、ミーティアはくだんの広間へ向かう。


 いくつもある広間の中でも、【神樹】のすぐそばにあるこの広間――礼拝室は、常に清涼な空気と、静謐せいひつとした雰囲気に満たされている。

 扉の向こうは壁がなく、代わりに【神樹】の真っ白な幹が壁のようにそびえている。

 その根元から大量の水があふれているので、室内には水路を作って、水が部屋の両脇を伝って神殿内に流れていく構造になっているのだ。


 こうして部屋に近づくだけでも、普段は水のせせらぎの音が聞こえて、すっきりした気持ちになるというのに……それが今はあまり感じられない。緊張で神経が高ぶっているせいだろうか?


 とにもかくにも、走り着いたミーティアは、ほんのわずかに開いていた両開きの扉を体当たりをするように押し開く。

 本来なら【神樹】からあふれる清涼な空気が身体を包むはずなのに。

 今は、覚えのないまがまがしい気配が礼拝室に漂っているように感じられた。


 異様な雰囲気に口元をこわばらせながら、ミーティアは杖を手にゆっくり礼拝堂の中央へ歩いて行く。

 彼女の足音に気づいたのか、【神樹】のすぐそばに儲けられた祭壇にいた誰かが、ゆっくり振り返った。


 ミーティアは少し息を吸って、吐いてから、その人物をにらみつける。


「お久しぶりでございます。筆頭聖職者ボランゾン様。……いいえ」


 そこに立っていたのは間違いなくボランゾンだ。

 つるつるの頭も、聖職者の衣服で隠せていないちょっとぽっちゃりとした腹部も、間違いなく記憶にある彼のままなのに――。


 ミーティアは彼の中に、それまでと違う気配を確かに感じ取っていた。


「あなたは、いったい誰なの?」

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