第2話-1

「さぁて、ここが地方第五神殿ね」


 立て付けの悪い馬車から降りたミーティアは、杖を持った腕を大きく回してこわばった身体をほぐした。

 馬車を走らせてきた御者は「聖女様、もうここでいいですかね?」と怖々した面持ちで聞いてくる。ミーティアはうなずき、賃金を払った。


「ここまで運んできてくれてありがとう。無理を言いました」

「いえいえ、とんでもない! 護符を山ほど書いていただきましたし、身重の娘にも祝福をいただけました。本当に心から感謝しております」


 しかしいくら感謝していても、漂う空気すらなんだか薄暗くどんよりとした辺境には長々といたくないのだろう。御者は賃金を受け取るとすぐに御者台に戻り、きた道を全速力で戻っていった。


「気持ちはわかるわ。本当にすごい瘴気しょうき……」


 立ちこめる紫がかかったもやに顔をしかめつつ、ミーティアは前方にそびえる神殿へと歩いて行った。

 かつては手入れの行き届いた神殿であっただろうに、今や外壁はほぼ崩れ、聖堂に続く柱も崩れたり亀裂が入ったりしている。天井はかろうじて残っているが、今にも崩れてきそうな様相だ。


 そもそも聖職者や聖女が駐在しているのだろうかという不安に駆られつつ、ミーティアはかばんを背負い直して、入り口へ続く階段を上っていくが。

 突如、扉が向こうからバンッと開いて、武装した騎士が雪崩打なだれうって出てきた。


「行くぞ! これ以上の魔物の進行を許すな!」

「おお――っ!」

 総勢十人ほどの騎士が雄叫おたけびを上げながら飛び出してくる。とっさに脇に避けたミーティアだが、出陣の気配を感じて声を張り上げた。


「お待ちになって! わたくしも行きます。わたくし、新たにこちらに配属された聖女ですが――」


 しかし、先頭を行く騎士はちらっとこちらを見ただけで「はんっ」と鼻を鳴らした。


「どうせ擦り傷を治す程度の力しかない出来損ないの聖女だろ? 戦闘の邪魔だ、待機してろ!」


 ――カッチーン。

 騎士の言葉はミーティアの逆鱗げきりんに見事にふれた。彼女は憤然と言い返す。


「失礼にもほどがあるわ。わたくしを誰だと思っているの」

「問答している暇はない! 馬は!?」

「裏手に繋いでいます!」


 騎士たちはミーティアを真っ向から無視して出かけようとする。

 だが馬にたどり着く前に、どこからかバタバタバタ……という重たい羽音が聞こえてきた。


「くそ! 空を飛ぶタイプの魔物だ!」


 先頭を行く騎士が叫ぶ。彼はすぐさま腰の剣を引き抜いた。


「臨戦態勢! 腰を落とせ!」


 騎士たちがすぐさま反応する。彼らがこぞって上を見上げているのを見て、ミーティアも顔を上げた。

 すると――彼らの言うとおり、不気味な羽を生やした魔物が、こちらに向かって飛んでくるのが見える。


(なにあれ!? そのへんの民家くらいに大きいじゃない)


 ミーティアは思わずあんぐりと口を開けた。

 大きさもさることながら、バタバタバタ……と羽音を立てながら飛んでくる魔物は、大きなトンボのような顔をして、口からは牙をはやしている。それでいて身体の形はスズメバチに似ていた。

 いずれにせよ近くで見たいフォルムではなく、ミーティアは思わず「気持ち悪っ」とつぶやいてしまった。


「羽で吹き飛ばしてくるぞ! 全員腰を落とせ!」


 先ほどから指示を飛ばしている騎士が大声で叫ぶ。どうやら彼が隊長らしい。

 近くまでやってきた魔物は、彼の声をかき消すように、ひときわ大きく羽を羽ばたかせた。


 ブォン! と風がうなるほどの音が聞こえて、ミーティアもとっさに床に伏せる。頭上を突風が吹き抜け、外套がいとうとスカートがバサバサとひるがえった。


(しかも、なにこの、ピリピリする空気……!)


 目に沁みる痛みにとっさに顔をしかめると「こいつの放つ鱗粉りんぷんには毒があるぞ!」と隊長の声が聞こえてくる。


「さっさと言いなさいよっての……」


 ミーティアは杖をぎゅっと握りしめ顔を上げる。見れば騎士たちは弓を構えて、魔物に向けて矢を放っていた。

 しかし魔物は大きく羽を動かして、毒と突風を放ってくる。ほとんどの騎士があえなく吹き飛ばされて地面を転がる中、隊長格の騎士だけは横合いに転がり――そこから神殿の壁へと、文字通り


「えっ……!?」


 ミーティアは思わず目を見開く。

 隊長は神殿の壁や柱をトントントンッと蹴り上がり、あっという間に魔物より高い位置まで跳び上がった。

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