第25話 ウィリアムとエリアリスの距離


 公爵家。それは皇族に次いで最も権力を持つ特権階級の頂点。だが、その責務を全うしていたのはウィリアムの父までであった。現当主であるウィリアムの立場は軍の一兵であり、帝国にある商会の殆どの名義は父であった。そんな何も持たずにして当主となった彼の唯一の強み、それは私兵とも言える諜報部隊の存在である。幼い頃よりヤルンセンを囲む列強四国を転々とし、各国で一定の地位にある親族の元で暮らした彼は何故か周囲の人間が放って置かなかった。それは、彼に統率者としての力や魅力があるからではなく【放っておけない】そう思わせる何かがあったからだろう。純粋無垢な子供から目を離せない様に、ウィリアムと関わった者は皆等しく【何とかしてあげなくては】そう思ったのだった。そして、我が子、弟、ペットの世話をすべく父性や母性が爆発した者達はウィリアムの側を離れなかった。



「どう思う?」


「どうって……いい加減ぐっと行ってガッと襲っちまえばいいのに」


「だよなぁ?なーにチンタラやってんだか」



ウィリアムとエリアリスの座るベンチの斜め向かいに腰を下ろして、新聞を読む男が2人、穴を開けた新聞から2人を見ていた。



「本当、ウィリアムには手が焼ける」


「仕方ねぇよ。俺達と違って汚れてねぇんだからさ」



赤毛に緑の瞳、狼の様に鋭くチンピラの様な風貌をしたトーダ。そして、銀髪にブルーグレーの瞳で柔和な雰囲気を持ち、一見して男とは思えない風貌のグレンは影でウィリアムの護衛をしている。



「トーダ、俺はさあの2人お似合いだとは思うけど、ウィリアムにはメリー様の様な強気な令嬢が似合うと思うんだよな。グイグイ引っ張ってくれて、いざとなったら最強の味方になる。みたいなさ」


「そうかぁ?俺は今のウィリアムのまま主人でいて欲しいからなぁ。エリアリス嬢と上手くいって欲しいと思ってるよ」


「勿論俺もそう思ってるけどさ、もしあの2人が上手く行ったら俺らの負担が二倍になりそうじゃないか?ウィリアムがもう1人増える、みたいな」


「……確かに」



 元は敵国の密偵であった2人。しかし、7年前の戦いで、捨て駒として貴族の女子供を人質に取り、味方の逃走時間を稼ぐべく立て篭もりを指示された。彼等もその意味を理解していた。仲間を逃す為に死ぬ事に後悔は無い。されども人としての扱いを受けてこなかった彼等は【母国の為に】という呪いに飲まれて死ぬ事だけは納得出来なかった。そんな時、立て篭もる彼等の元に交渉役として向かったのがウィリアムであった。親族が中に居るという事もあったが、敵としてそこに居る彼等の不遇を知っていたからこそ、何とか出来ると思った様だった。結果、彼等に悉く論破された上に暴走したトーダとグレン以外の敵に大祖母達を殺されてしまった。突入してきた軍によって彼等は捕縛及び銃殺されたが、唯一大祖母達人質を庇おうとしたトーダとグレンにウィリアムは声を掛けた。本音、そしてその心の内はこの様な事を思っていた。


『死ぬのが本当に怖く無いのか?』


(私ならばこんなミッションを課されたならば逃亡するな)


『私にもお前達の様な強さがあれば』


(死ねと言われ、国の為にその身を捧げられる強さ、羨ましくは無いが……敬服する)


『お前達がこの国に生まれていたならばお前達の様な仲間が……欲しかった。まぁ、言っても仕方ない事だが。言わせてくれ……ありがとう、大祖母を救おうとしてくれて』


(なんなら大祖母達を狙わないで欲しかった。狙うならそこのクソッタレの軍総長を狙ってくれれば良い物を)



 と、まぁ。ウィリアムからすれば、敵国の野良犬との間に熱い友情ドラマがあった訳ではなかったが、家畜の様な境遇で生きて捨てられたトーダとグレンには衝撃であった。礼を言われる事、人として向き合い認めてくれた事。たったそれだけの事なのだが、2人はもしも許されるのならば、この男の為に働いてみたいと思ったのだった。


「春はくるのかねぇ?」


「……来るさ」


新聞の隙間から、2人は微動だにしないウィリアムとメリーを見つめた。




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「ウィリアム様、メリー様とのご結婚はいつ頃をご予定なのですか?」



あぁ、空を舞う落ち葉が綺麗だ。

高くなり始めた秋の空。

全てが完璧であったのに……何故今そんな質問をするのだ愛しい人よ!



「決めてはいない」


「何故でございますか?」


「彼女は大学にいくし、私も当主となったばかり。結婚はまだ先だろう」


「左様でございますか。そろそろ、公爵夫人として社交界での立ち振る舞いについて講義を準備しようかと思っていましたが」


「……いや、それはまだいい。というか……不要だ」


「そう、ですか」



 私ったら、何と不躾な事を聞いてしまったのでしょうか。ウィリアム様とメリー様の事を私がどうこうと伺う事ではありませんでしたのに。


 本当は、メリーの公爵夫人としてのマナー講習など頭の片隅にも考えてなどいなかった。ただ、何にも縛られず太陽の下話をしていたかった、そんな本音に彼女は気付いていない。深窓奥深くで貴族社会の駒として生きて来た彼女はどう会話を繋げれば良いか分からず、咄嗟にウィリアムと関わりのある婚期について話を振ったに過ぎなかった。



「従姉妹殿はな……結婚には向いておらんのだ」



そう清々しく、はっきりと、なんの迷いもなくそう言うウィリアムを、エリアリスは目をぱちくりとさせながら、どう言う意味なのだろうかと考えた。


 ウィリアム様?それはどんな意図を含んでいるのでしょうか?貴族の結婚は向き不向きではありません。役割であり、意義の筈でございます。



「……」


「従姉妹殿の夢を知っているか?」


「いえ、その様なお話は伺った事がございません」


「彼女の夢はな、検察官になる事なんだ」


「検察官、ですか?」



 まぁ!貴族令嬢であるメリー様が検察官でございますか?それは何とも信じられないとしか言いようの無い夢でございます。もしも、その夢を叶えるのであれば、結婚はおろか爵位を捨てなくてはなりません。貴族、平民問わず平等たる精神を持って職務とする為に、警務官、検察官、弁護士に陞爵及び爵位保持は許されません。それを、本当にメリー様は叶えたいのでしょうか?



「7年前の東の国モートルとの戦を覚えておいでか?」


ウィリアムは揺れる木々を見上げ、ポツリとつぶやいた。

炎の1ヶ月戦争。この戦を誰が忘れられようか?

武装国家モートルは、元々農業国家であった。しかし、穏やかな当時の国王の統治に不満を募らせていたモートル軍将軍の謀反により国王が変わった。彼は軍備を強化すると共に周辺国を少しずつ懐柔し、モートル王国に統合した。そしてヤルンセン帝国に継ぐ大国にのし上がりつつあった。それを脅威に感じたヤルンセン、ケッセンドルド、コールダールの三大国家が手を組み経済的に彼の国を抑圧した。それに反発したモートルが戦を仕掛けてきたのだが、モートル対三国の戦は苛烈を極め双方甚大な被害を出したのであった。



「はい。その頃の後宮はいつもピリピリとしていて、警備も厳重でございましたから」


「その時、従姉妹殿の母方の領地は前線にあってな」


「そうでしたの。それは……さぞお辛かった事でしょう」


「その時、従姉妹殿の祖母が人質となり殺害された事件が起きたのだ。その事件の首謀者達は捕まったり、その場で射殺されたりした……だが、従姉妹殿の心が傷付いたのは、その内通者がな……従姉妹殿の乳母だったのだ。乳母もモートルに子供を人質に取られていた故、苦渋の選択であっただろうが…」


「まぁ‼︎」



ウィリアムは何故、メリーが検察官を目指すのかを話した。それはその乳母が司法の裁きを受けられず殺されたからであった。第二の母と慕っていた乳母の死を、当然とお思いつつも、彼女の優しさや人柄を知るメリーは長い間嘆いていた。そして犯罪者であっても公平な裁きを受けさせたい、そう強く思う様になったと言った。



「私は従姉妹殿の夢を応援したいと思っている」


「……ならば何故婚約などなさったのですか?」


「それは」



言えない。貴方を我が家に迎える為だなんて。

どう言い繕うべきだろうか?



「メリー様をお守りしたかったのですか?」


「どうだろうな?父や叔父上の考えは分からない。だが、その様な思惑もあったのだろう」



ドキドキどころかロマンスの雰囲気のかけらも生まれぬまま、2人は空を見上げた。普段ウィリアムの考えなどを知る事の無い雇用関係の2人だが、この日初めてウィリアムやメリーの内側にエリアリスは触れた。多くを語り合った訳ではないが、この少しの時間がエリアリスとウィリアムの距離を確かに近付けたのだった。

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