第一幕 道化達の即興劇

第10話 天然要塞

 ご無沙汰しております。先週より公爵家のガヴァネスとして勤めております、エリアリス・テルメールでございます。皆様、いかがお過ごしでしょうか?私は当初の不安もどこへやら、公爵家の皆様に大変良くして頂き、この様な待遇を受けても良い物かと、逆に不安な日々を送っております。


 さて、初日の賑やかな時間を楽しみました後のお話をさせて頂きたく存じます。あの後、皆様に慰められました私は、何とか気持ちを落ち着かせまして、和やかな昼食を楽しませて頂いたのでございます。ですが、いささか気になった事がございまして、御当主となられたウィリアム様に幾つか質問をさせて頂きました。



「ウィリアム様、あの……先程のレナウス様の仰った事で、幾つかお伺いしたいのですが」



そうなのです。父上に伺いました御当主様のお名前も、勤務内容書面に記載されてございました御当主のお名前は〈フィリオ・メルロート〉様であった筈。いつのまにか代替わりをなさったのでしょう?また、フィリオ様は今どちらにいらっしゃるのか、私は気になっておりました。



「な、何が気になったのかな?エリアリス殿」



如何なさったのでしょう?ウィリアム様の御手元が少し震えている様にお見受けします。私、不躾でしたでしょうか?



「申し訳ございません。不躾でした……お気になさらないで下さい」


「いや!何も不躾ではない!な、何でも聞いてくれ」



あら、どちらでしょう?お伺いしても宜しいのかしら?でも、お顔が段々と青ざめきた様に見えます。



「あ、あの……」


「な、なんだ?」



エリアリスが見渡すと、ウィリアムは手に汗をかいたのか、ナプキンを握り締め何度も手を拭いているし、メリーは口を付けたカップから口を離さず、カップの高台だけがずっと面々を見つめていて、アナスタシアは天井のシャンデリアのクリスタルの飾りの数を数え出した。そして、レナウスは己の発言を思い出して顔面蒼白となり今にも吐きそうなのを必死に堪えている様だった。



「ウィリアム様は、いつ先代御当主から爵位を引き継がれたのでございますか?ガヴァネスとしてお迎え頂けるとお手紙を頂きました時は、まだフィリオ様が御当主だったかと」



 貴族の代替わり、爵位の継承は貴族法に則り原則生前譲渡は有り得なかった。しかし、公爵家の先代が亡くなったと言う事も聞いていないエリアリスは不思議に思ったのだった。



「あ、あぁ!なんだ!そんな事か!ふぅ……良かった」


「え?」



まさか、爵位の継承について聞かれるとは思っていなかったウィリアム達は途端に安堵の溜息を吐いて、各々ナプキンやカップを置いたり、水を飲み干したりと一息つきだした。その姿に、エリアリスは首を傾げたが、各々ニコニコと微笑んでいたので、「どうされました?」とは聞けなかった。



「いや、父上もそろそろ隠居したいと常々言っていたのだ。私も弟達を残して軍の仕事で遠方に回される訳にもいかぬ故な、父の領地での隠居も含め陛下にご相談した所、快く許可を頂けたのだ。まぁ、他にも理由はあるのだが気になさらなくて良い。ちゃんと法的にも承認を得ている」



まぁ。普通、その様な理由で爵位の継承が許される訳ございませんわ。後者の他の理由……こちら、なにやら大変な理由でもあったのでしょうか?ですが、ここを私が深掘りして良い訳ございませんわよね。法的に問題無く継承された。ならばそれで良いのです……もしも、法外な手続きや理由があって成された事であれば、私はまた……居場所を失ってしまうかもしれません。それだけが心配でしたが、皆様のお顔を見る限り、何の不安も無さそうですから、私安心致しましたわ。



「左様でございましたか。不躾な質問を致しまして申し訳ありませんでした」


「いや、構わない。貴方に隠す事は何もないのだから……何でも聞いてくれて構わない」



そう言って、花を愛でるかの様に微笑むウィリアムに、エリアリスもニコリと微笑み返した。

午後の強い光を受け、先程まで露わとなっていたエリアリスの七難はライトアップ効果で消え去り、そもそもフィルターの掛かっていたウィリアムには女神の如く輝いて見えた。その上、エリアリスは放ってはならない会心の一撃を放ってしまった。


「お仕え致します御当主様が、ウィリアム様の様にお優しい方で……私、心から幸せでございます」


その言葉の破壊力に、ウィリアムの心臓は破裂するかと思える程バクバクと高鳴り、まさか?まさかのまさか?夢でも見ているのか?彼女も私の事を!?と内心叫んでいた。しかし、その事に気付かないエリアリスは更に追撃したのである。



「私、妃教育を受けております間……殿方とお話するのは陛下や貴族議員、他国の皇族の方々。そして近衛の方々ばかりでしたので……皆様とても厳しい方が多ございました。ウィリアム様の様に暖かい笑みを向けて下さる方はおりませんでしたから……その、あの……男性の笑顔とはこうも安心感を与えて下さる物だとは知りませんでしたわ」



ペラペラと普段では考えられない程話してしまったエリアリスは、口数が多すぎたと我に返り顔を赤らめ俯きながら、「端無い事を申しました」と言い口元を美しく整えられた指先で隠し微笑んだ。しかし、そのエリアリスの言う端無い言葉にウィリアムの理性は粉砕されたのである。


 ピエロの様に強引に引き伸ばされた口元、笑っていないその目のまま、無言のウィリアムにレナウスは声を掛けた。



「あ、兄上?な、何ですかその顔…」


「黙れレナウス。エリアリス殿……そう仰るならば笑っていよう」


「え?」


「貴方が安心できるのであれば、私は永遠に笑っていよう!」


「まぁ!ウィリアム様はとてもご冗談がお上手ですわ」



あはは、うふふと不安から解放され朗らかに笑うエリアリスに、鼻の下を伸ばして無理矢理笑うウィリアム。それを弟妹、従姉妹はハラハラとした面持ちで見ていた。メリーの当初の段取りはぶち壊され挙句、訳の分からぬ方に流れて行き、今や修復も困難な状況となっていた。一見このまま2人は上手く行くのでは無いか?その様に公爵家の面々は思いもしたが、だがどう見ても噛み合っていなかった。何故なら、笑顔で見つめ合っているにも関わらず、エリアリスはこう言い放ったからだ。



「メリー様とのご結婚までに、私……メリー様とアナスタシア様にプロトコルマナーをマスターして頂ける様に努力致します。ですが、レナウス様が仰ったウィリアム様の奥手を治す……と言うのは紳士としてのお手本をお見せする。という事かと思われますが、私、この点は男性講師をお雇いになった方が宜しいかと思いますの」



レナウスは、己の失敗がエリアリスには届いていなかった事に安堵したが、だが、これはこれで失敗では無いのかと恐る恐るメリーを見た。



「エリアリス様……貴方……」


「はい?」


「難易度が高すぎませんか?」


「難易……度、ですか?あ、プロトコルマナーと言いましても、初歩から始めますからご安心下さい!大丈夫でございますよメリー様!愚鈍と言われた私でも基礎は3ヶ月でマスター出来ましたから!メリー様なら一月もあれば習得できます!」



「そ、そう言う意味では……」



何やら、皆様急に御不安になられてしまいました。

こんな事ではいけませんわよね!安心して学んで頂ける様頑張らなくては!



「お仕えする皆様の為に、分かりやすく丁寧にお教え致しますから、何度でも失敗して下さい!一緒に何度でも練習致しましょう!さ、明日より頑張りましょう!おーー!」



満足気に胸を張り、腕を天高く突き上げるエリアリスの姿に、ウィリアム、レナウス、メリー、アナスタシアは乗せられるがままに腕を上げた。


「「お、おー……」」




 お父様、お母様、マリー、アルマ!私、公爵家で皆様の為に頑張ります!応援して下さいましね!



こうして、公爵家の者達は天然要塞の前に膝を着く事となり、どの様な策を用いたとしても、そもそも彼女の視点が恋愛に向いていない以上、策など無意味であると言う事を痛感させられたのであった。










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