第3話 没落寸前の伯爵令嬢、ガヴァネスになる

 この日、テルメール家はとても賑やかだった。


「父様、ルッセン地区のこの家はどうかしら?」


「マリー、どれだい?」


「これよ、これ!部屋は6つだけれど、私とお姉様が同じ部屋になれば、ロバートとキッチンメイドのアンナに一室与えてもお客様用に1室は空けられるでしょ?」


「あら、良いわね。マーケットも近いし、交通の便も良さそうだわ」


「母様もそう思うでしょ?」



 既に、爵位を返上する前提で話を進めて行く一家であったが、まだ転職先の決まらない(離れたくない)ハウスメイド達や従僕達は涙目でその会話を聞いていた。



「旦那様……流石にまだ早計なのでは」


「あ、ロバート……確かにそうだったな。いや、つい浮かれてしまってな」



没落を望む貴族が何処に居る⁉︎ここに居たよ‼︎


そんなノリツッコミをしながら、ロバートは項垂れる使用人達を憐れんだ。しかし、伯爵夫人や三姉妹達は嬉々として新しい生活に期待を膨らませていた。特に、感情を殆ど表に出さないエリアリスが珍しく楽し気に話を聞いていた事に、使用人達も驚きを隠せないでいる。



「エリア姉様、マリー姉様はどうするの?働くの?」


「そうねぇ。このご時世ですもの、女も働きに出ても問題はありませんわね……私、どんな事をしましょう。出来れば貴族の方々と関わりの無いお仕事がしたいわ。お花屋さんや、パン屋さんなどはどうでしょう?きっと楽しいわ」


エリアリスは美しい所作でお茶を飲みながら、テーブルに飾られた花を見つめ微笑んだ。


パン屋さん。

この響きだけでも、私の鼻腔はふわりと香るバターの香と小麦の香りに満ちて行きます。自らの手で物を作り、それを売る。なんと心躍る事でしょうか!勿論働く事、それはとても大変で、辛い事も沢山あるのでしょう。ですが、お妃教育の日々に比べれば、精神衛生は格段に良いでしょう。あぁ、早く市井で暮らしたい物です。



「旦那様、お寛ぎの所申し訳ございません……」


「どうした、ロバート」


「その……メルロート公爵家より使いの方がお見えでござます」


「メルロート公爵⁉︎」



 父様は慌てて玄関ホールへと向かいましたが、何故突然メルロート公爵様のお使いの方がお越しになったのでしょうか?今までに、お父様が公爵家の方と関わり合いがあったとは伺った事もありませんでしたが。


 それから2時間程が経ち、エリアリス達が就寝の準備を終えて部屋の灯りを消そうとした時であった。



「エリア、いいかい?」


「お父様?」



こんな時間に何でしょう?私にご用なら、明日でも良いのに。


「どうなさったのですか?お父様」


「ちょっと……急ぎ君の返事が欲しくてね」


「私の……ですか?」



 それから、父様から話を伺いました。それは当家にとってもまたとないお話なのですが、私には〈絶望〉としか形容出来ない内容でございました。



「私が公爵家レナウス様のガヴァネスに⁉︎」


「あぁ……それにお嬢様のアナスタシア様と、時期当主のウィリアム殿の御婚約者のマナー講師も兼任して欲しいそうだ」


「……私で無くても良さそうなお話ですが」


「そう、なんだけどね……何故か突然公爵から名指しで依頼が来てね。私も爵位返上を機に市井へと降るつもりだからと断ったんだが…」


「何か言われたのですか?」


「ケッセドルドの海運会社に出資すると……しかも既に専任担当者を向かわせたと言うんだ。陛下にもその旨を伝えて共同経営の許可も得たと」


「え⁉︎……ならば、公爵家に差し上げれば宜しいのでは?」


「あくまでも、エリアにガヴァネスとして来て欲しいが為の出資だと言うんだ……海運業に興味は無いが、公爵家の子供達を一流にするには伯爵家の令嬢としての君で無くては意味が無いと言われたよ」



 神様。やはり現実とはこうも厳しい物なのでございますね。私、先程までは新しいパンの構想を練っておりましたのに。ガヴァネスでございますか?私に何が教えられるのでしょうか。読み書きと各国の成り立ちといった歴史しか教えられませんのに‼︎



「あのぅ……お断りとか……」


「無理だよエリアァ~」


「で、ですよね~」



何故でしょうか?この時、私はガヴァネスになる事で、私の何かを変えてしまいそうな、そんな予感がしたのでございます



「なら、了承した旨……伝えてくるよ」


「え⁉︎まだ、使いの方いらっしゃるのですか?」


「そうなんだよ。了承が貰えるまで帰らないと言って居座られちゃってさぁ」



……怖いです。まるで囲い込み漁で追われる魚の気分でございます。

それにしても、何故公爵家の御当主様は私の事を知っておいでなのでしょう?




 それからトントン拍子に話は進み、ついにガヴァネスとして初勤務です。しかも、帝都内の屋敷からでは無く住み込みでと言うのですから、荷造りが大変でした。


 さて、ここが公爵家ですか。やはり、公爵ともなるとお屋敷の大きさから、使用人の数まで我が家とは段違いでございます。

琺瑯で作られているのでしょうか?とても綺麗で大きな門。それに、さらに先にも門がございますのね。なんの門でしょうか?分かりませんけど、それにしても本当に凄いです。語彙が乏しくなる程に。

それに、使用人の皆様の制服も、我が家や、他家で使用している物とはかなり違います。フルオーダーかしら?

はぁ。格の違いを見せつけられた様な気分でござますね。



「エリアリス様、お待ち申し上げておりました。当家ハウス•スチュワードのヘイス•ルードと申します。宜しくお願い致します」



深々と頭を下げ、ヘイスはエリアリスに挨拶をすると、にこやかな笑みを湛えて荷物を受け取った。エリアリスも、妃教育の賜物である美しいカーテシーで挨拶をするとニコリと微笑み返礼した。



「これはどうもご丁寧に。エリアリス•テルメールでございます。本日よりお世話になります」


「長旅でお疲れでございましょう。まずはお部屋でお寛ぎください。12時より昼食となっておりますので、後程お呼び致します」


「ありがとうございます。ですが、まずは公爵様にご挨拶をさせて頂きたいのですが」



その言葉にヘイスは一瞬固まったが、何事も無かったように笑って頷いた。



「その旨、旦那様にお伝え致しますので、まずはお部屋へ」


「?……はい」







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