向背的レイクサイド5

16

「お客さん」

どこからか、声が聞こえる。何某かの、何かしらの声がただ廊下に反響し渡る。それに無意味に対抗戦せんとする、水音。

 ガラガラガラと水車の回る音は、意識せずとも聞こえるほどに大きくは無く、ガラスの向こうに、無音で回り続けている。


「お客さん!」


「はい」

僕はその声に対して、やっと返事をした。落ち着いた声で、返答できたと思う。


「お客さん、何辛気臭い顔してるっすか?何すか、吐きそうなんすか?」

本気で心配している人間の顔を久々に見たかもしれない。

 焦っている顔、まるで、いや、まさに自分ごとのように。


「いや、元気そうっすね、お客さん。ならなら、口角上げて、イェーイ!」


「どうしたんです?小鳥のやつと一緒にいると、聞いていましたけれど、秋足あきたしさん」

 彼女のテンションに大幅な方向転換というか、向かい風のように、疑問を突き立てる。


「秋足さん、なんてまるで、他人みたいじゃ無いっすか、カエラちゃんって呼んでください」

ほらほらとせがむ女。

 他人みたい、というか他人そのものなんだけれど、この女性といい、あの大学生といい、距離感がやはりおかしい気がするが、違うのかな。


「じゃあ、はい。折衷して、カエラさん。僕は改めて、京介」


「はい、ありがとうございます。はい、何っすか?折衷して、お客さん」

そっちはお客さんのままかい、と心で突っ込む。


「あぁ、えっと、小鳥と一緒じゃないんですか?と聞きたかったんです」


「なるほど。居ましたよ、さっきまで居まして、今は違います。今は別々になりました」

「何故かって聞かれれば、わたしの仕事の都合っす。仕事が回ってきたら、しなくちゃなりません。というより、させていただけたら万々歳ってカンジっす」

そう、秋足あきたしカエラは言った。

 満面の笑み、無駄なハイテンション、それを周囲に大いに当てる感じ、確かに小鳥と気が合いそうな人だった。


「いやね、別にただお客さんが、ベターって、ぬぼーっとしてる顔してるだけなら、こちらも構わないっすけれどね」

「けれど、そうは見えませんでしたから、その程度には見えませんでしたから」

「というのも、お客さん。今にも死にそうな顔してましたよ。マジで」


「そうでも無いけれどね」

何もない、元気だよ。

腕を上方へ押し上げ、おおっぴろげに、腹を出し、シャツが縦皺を刻む。


「あらそうっすか、それは失敬」

「わたしはてっきり、このまま部屋に戻って、紐でも括って死んじまうのかと思ってましたよ。すみません」

「違うのなら、良いんすよ」

そこまで言うと、バンバンと僕の背中を強めに叩いた。


「ハッハッハ!背筋伸ばして、シャンとするっす。下を向いてたら、下しか見えないっすよ」


「痛い、痛い」


「ああ、すみません、すみませんっす。うっかり、うっかり。本当に、申し訳ないっす。この通りっす」

どの通りかは、察しの悪い僕には分からないぜ。


「謝れば、済むわけじゃないのだけれど」


「えぇ、本気っす。本当にすみません。申し訳ないと、本気で思ってるんで、女将に言うのは無しっす。お願いします」

「本当に、内緒ってやつっす。願うっす。」

シーっと人差し指を口元に持っていき、静寂のアクションをとる。

 ハイテンション過ぎないか、喜怒哀楽というか、アップダウンがあり過ぎる、いやこれは無さすぎるのか、ずっと高すぎるのか。

 配膳の時は、しっかりした人だとか思っていたが、なるほど、仕事中の顔と、気の抜いた時の顔をよくよく切り替えできる訳か。


「内緒ね、分かったよ。分かった、承諾するよ」


「本当っすか?」


「本当に分かったよ」


「本当に分かったっすか?本当に本当っすか?」

 疑り深いやつだった。ああ、それもそうか、こちらには別に隠し立てるメリットが無いものな。

 平等性に欠ける。言おうが、言わまいが、どちらとしても僕には関係なく、彼女には関係がある。本気度が違う。


「じゃあ、そうだな。僕がそれを隠し通すメリットでも提示しないか?メリットがあれば、君も信じやすくなるだろう?」


「あー、要らないっす」

僕の提案に対して、間髪入れずにカエラちゃんと呼ばれる従業員は答える。


「えっ、要らないのか、条件」

しどもどで返す。


「要らないっすよ、そんなもの」


「本当か?」


「本当に要らないっすよ」


「本当に要らないのか?本当の本当か?」

あれ、何故こっちがこんなに条件を提示する側にまわっているんだ。立ち位置がよく分からなくなる。何かがおかしい。


「要らないって言ってるっすよ。本当の本当に要らないっす。しつこい人っすねー」

しつこいとまで言われた僕だったけれど、何が何だかである。

 怒るべきか、引くべきか、何から引く?怒るものは決まっているだろうが、彼女だろうが、それも何かやりきれないものがある。

 そも、怒るのは苦手にしている僕の逆十八番おはこと呼べるものの一つだが、それを加味しても、こいつは人の矛先を失わせている。

 冗談めかしている。と思えば、神妙が顔に浮かぶ。


「そこまで、ここまで、条件を提示するなんて、言ってくる人がわざわざ、チクるとはわたしには思えないっすから」

「信用するっすよ。お客さんのこと」

言うと、またバンバンと肩周りを強めに、先ほどよりも強めに叩かれる。痛い、痛い。

 2度目、口には出さなかった。面倒そうだったから。


「まぁ、そうっすね。条件とか、そんな小難しいのは無理ですけれど、要らないっすけど」

「わたしの話、わたしがここに働いている話でもしたら同情でも買えると思います」

「気が知れるってのも良いものでしょう?」


「僕の善意に賭けるって?善意から、言うに言えない状況を作れる方に賭けるって?」


「違うっす」

「お客さんに悪意がないという、わたしの直感に賭けるんす」

生粋の、無駄に事欠いて、無駄に賭けするギャンブラー、博打うち、暇人、貧乏性。

秋足あきたしカエラはそう言った人間だった。



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