画一的リングサイド3
11
うん、美味い。
女将へと連れられ、通されたのは、旅館の左端に存在する座敷の食事場であった。
部屋へ込められる内装のこだわり、西洋感といった木材の味があるのは同様であったが、ここは西洋風というより和風のと言うのが正しく、ある時代の質素倹約を思わせる。
個室さえ用意されない、この食事場だったが、そのようなことを気にするまでもなく、食事場には僕のほか、運びに入った従業員の一人を除いて、今の所、一度として侵入することさえない。
「女将が誰かと話す機会があると言っていなかったか?」などと、心のうちで吐露する。
心より、話したい気分と言うわけではなかったが、居ないは居ないで淋しいやら、拍子抜けやらで、退屈が対比的に生まれてくる。
出された数種の漬物を少しずつ食べて時間を潰す。品数自体は少なく、朝食のメニューは米に味噌汁、卵焼きに、焼き鮭、漬物が卓に並んだ。これがまた美味かった。
腹の減った体に、熱々の味噌汁の沁み沁みたのが未だ抜けきらない、出汁がよく取られていて、味噌と合わせることにより相乗的にその旨みを引き出す。
卵焼きもまた、イメージしていた旅館のそれとは違って、少々の粗熱をとった程度で出来立てに近く、ふっくら、プルッと白身と黄身が焼き上がっていた。
冷え切った卵焼きのなんと味気の無さと言ったら無いのを身に沁みて知っている身からすれば、嬉しすぎるサプライズであって、メニューのシンプルさに対して、十分すぎる満足を感じる。
満ち満ちた気持ちで、今もまた、ポリポリときゅうりの漬物をかじる。残り二枚になってしまったのが惜しい。
大事に大事に、漬物を頬張る。
「あれ、カエラちゃんいないのー?おーい」
若い女の声が入口の方から、響き渡ってくる。
すぐさま、その声の主が現れた。もちろん、このお話はミステリーではあるが、奇怪をテーマに書いているわけでは無いわけで。
声が若く、と言う条件で見つけられる人間で限りなく正しい一人の若い女性が姿を現す。
「部屋に帰っちゃったのかな。全く!」
プンスッと怒った感情を、起こったままに、表現する。
人生を通して、これが可愛い子ぶるというのかと、初めて得心いったという感じだ。いや、決して、断じて可愛いと、ほんの少しでも思ったわけでは無いが、身近にいると胃もたれしそうな奴だと思った。
そう、勝手ながらに察した僕は、そそくさと部屋に戻ることを心に決める。先ほど、片付けは何もせずに、そのままでと言われたのを一時も忘れなかった僕は、何の思いも残さず(正確に言えば、女将でも待って、漬物をおかわりしたかった)席を立つ。
「お!新入りじゃん。おっはー!!」
旅館の形は簡単には、頭に入ったので、帰りは一人で帰ろうとも、特に問題はないはずである。口の中が塩っけを求める。微弱な塩が欲しい、まさに良い塩梅を求めている。
「おーい、聞いているのかい、聞こえているのかい?聞こえてないなら返事しなー!」
苦渋を胸に仕舞い込みながら、席を後にする。座敷を降りて、靴を履いてと。
「おい!」
「はい?」
おっと、どうしたことか。いきなり話かれたけれど、目の前に女性が立ち塞がっている状況に陥ってしまっているけれど、一体全体どうしたというのだろうか。
「無視してるよね、君、無視してるね」
「無視?」
「そう、無視、無視!」
「無視、心外だな。無視するというのは、声をかけられていると認識した上で、行う行為であるから、こちらが話しかけられている事を認識しなければ、成立しないんだよ。君は僕が無視していると言ったけれど、それはおかしく、つまり変という事だ。無視という単語を我々、二人程度の関係に発生するためには僕がそれを行ったという表現がまず必要であるわけだよ。分かる?」
塩を求める舌が朝から異様に回る回る。無視の理論なんて知らないし、適当もいいところだ。しかしながら、意味はあったようで、目の前の誰かさんには効いているように見える。
目を回しているというか、頭をこねくり回して、今の駄文を良く考えている。
「確かに、無視は言い過ぎだったね。ごめんなさい。焦りすぎた、急ぎすぎたよ。訂正するよ、じゃあさ、話を聞いて?」
「嫌だと言ったら?」
「話しかけて、話しかけるね」
「捻りのないやつだな。そんなことをしていたら、そのまま僕は君の横を悠々闊歩して出ていくことになるだけだ」
「じゃあ、初めてあたしはあなたを「無視した」って
おっと、これはマズイ。理論の概略としては、加害者からの唯一の意見論と、つまり、無視したと僕が言わなければ、無視が成立しないという超理論であった訳であるが、抜け道があったのを突かれてしまった。
我々の関係ではの間隙、初対面だからこそ、知らない顔できるのだが、一会話でもしたからには関係が少し築かれてしまうではないか。
見知らぬ女性に、若い女性に、痛いところを突かれてしまったが、どうしよう。初めましてだから、無視したのに。
別に気にせずに無視して行こうかな。
それでも良かった。
「分かった、分かったよ。はーあ。話を聞こう。話を聞いてから、部屋に帰るよ。これで良いかい」
重々の呆れっぽさが伝わるように、大根は言った。
「何か、ツレナイなぁ。仕方ないかもしれないけど、仕方なさそうにはしないでよ」
お願いだからさ、と女は言った。
プロフィール。大学生、新聞サークルに所属する彼女との初めての接触だった。
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