絶対的アウトサイド2

6

 低い身長、低い目線、嗅細胞が今よりよっぽど強く働き、じわりと感じ入るものが乱立していた頃が確かにあった。


 僕の家の近くには一つの厩舎が存在する。

小さく薄汚く、闇にひっそり佇む。

 一目に見ればそれは終了を迎え切った厩舎のようで、深層でそれが生きている可能性を疑いつつも、やはり死んでいると、動かない建物だと子供ながらに思った。


 広小路から離れて、中路に入る。

 入り組んだ道の未知に進み向く若き探検家時代の僕はその厩舎の前を事前知識の無く、通り過ぎた。いや、止まった。


 探検家で有りながらも、臆病であった僕にとって、出会いは刺激的で、恐怖的だった。


 牛。半分、いると思いつつ、半分、いないと思う。半分、存在するはずである牛、そう思っていた。

 厩舎の暗闇を深く覗いて見れば、牛の筋骨の隆起、皮膚のリアリティ、汚れの付いた毛先と凹凸、匂いと調和する自然性を感じる。


 対して、厩舎であるから、雄々しくも気高い牛が、拙い縄で、脆い柵で囲われ、こちらを四足で立って、濁った人工の瞳で見ている。


 暗い厩舎に目を溶かす。糞尿と野生の香りが鼻を刺激し、後退を脳が司令する。それでも突き進んだのはあるものに惹かれたからだ。


 じっと見つめる濁った人工の瞳だった。離れないほどに吸い付き、離れようとも動けない。左に位置する寝転んだもう一頭が尻尾を地面に叩きつける。


 ドファさ、ドファさ。

 一音、一音にその尾の重さが伝わる。恐怖でしかなかった。

 当時でも、今でも重量は強さだ。筋の量も、肉の量も比例的に増えていく。近づくのは危険だと、幾度も脳が知らせる。


 ドファさ、ドファさ。

 音のたびに惹かれる。感染症に罹る可能性があるため、関係者以外この建物に近づかないでください。立て看板を流し読む。

 歩を進める。


 グッと近づくと見える、瞳の上、見上げるプラのまつ毛が気持ち悪いと思った。大きく、重い、横たわった牛に少年時代の僕は何かを欠いていると感じた。


 その時だったのだろう僕が…


7

 気がぼんやりと現実に繋がっていく。眠りから醒めるのとは違って、こんなことは無かった。


 ぱっちりと開かれる目が光を十分程度受け入れていく。光に当てられた目が外の世界を映し出していく。


「痛い…」

 腰の位置がやけに鈍痛に苛まれている。手で地面を、シックで穏やかな床板を押すことで身体を起こし上げる。


 ヒヤリと身体の芯が冷えている。失血をして気を失ってしまったように、汗腺から嫌な汗をびっしりとかいているのだ。


 替えの服はタンスの三段目にシャツ、二段目に肌着用のTシャツがそれぞれ決められた位置に入れている、確か昨日洗濯したはず。


 と、思ったところで、違和感だ。窓ガラスの位置、タンスの種類、ベットの数。

ここはどこだったか。


「やっと起きたのか、京介」

 ここで僕はやっと起きるほど寝ていたことを知った訳で、もちろん次の行動は時計を見ることであった。


「朝の8時半」

分からないな、朝起きる時間としては確かに急がなければマズイかもしれないが、やっと起きた程でも無いと思うけれど。


「おい、京介。何をボケっとしておる。しっかりしろ」

して、誰だろうか、この少女は。

 間違っても僕と言う人間はそういった、趣味嗜好を持ち合わせている人間では無いはずで、だからこそ、少女に起こされると言うことは有らずであるべきである。


 少女の顔をぼけーっとした顔で見遣っていると、何か少し嫌な、そう、殺気みたいなものを感じる。


 動けと言わんばかりの(いや、言ってるようなものか)少女を前に未だ動かない僕に嫌気をさしたのか、スタスタと少女がこちらへ向かって歩く。


「いや、違うんだよ。決して僕は君みたいな少女に危害を加えようって訳じゃ無い。近づかれさえ居ないのであれば、僕も君も不利益ない。だから、近づかないでくれないか」

近づく異質の少女に僕はよく分からない解決的な理論を並べ立てる。


 少女は歩いてくる。それでも、少女は近づいてくる。


 僕だって後退りする。ベットにまで、つまりは最高に後退した時点までは動いた、床板、ベットの骨組みにおけるまでヒノキを使っていることが印象的だった。


 目の前に少女が来たところで、僕は恐ろしさに目が回りそうだ。フワッと動き始める腕、顔に異常接近せんとするその腕を止めるでも無く、ただ視界に捉えたまま動けない。


 微動だにしない僕に構わず、近づく手。瞬く間、およそ半分の視界が奪われた。


「何でしょう、ん」

下半分、視界の下半分には少女の小さい手が覆い被さっている。

 ちょうど、頬を両側より押すことで、顔がタコのようになる具合である。そして、もれなくタコにされた。


「京介、しっかりしたか?」

タコを押す力が少し強くなる。


「改めて聞くぞ。京介、しっかりしたか?」


「あの」

グッと力が強くなる。


「京介、しっかりしたのか?」


「はい、はいしました、しました!そうでした。あー僕としたことがうっかりしてました。僕はここへ自殺を依頼しに来たんでした。そして、僕はここへ殺されに来たんでした」


「分かっておるなら、いい」

そう言うと、スッと顔から手を離す少女。

押し縮められた頬に血が通う感覚が流れていく。


 跡でもついてるんじゃ無いだろうな。頬をさすりながら、少しだけ心に愚痴を垂れる。


「いや、儂の方こそ悪かったの。少しの、ほんの少しはしたが、話をする間もなく無遠慮に殺そうなんて無作法じゃった」

部屋に置かれたクッションの強そうな椅子にどっかりと座り込む少女。頬杖をきながら、こちらを射止めるように視線を向ける。


「儂としたことが長旅ゆえなのか、疲れが溜まっておっての。鈍すれば貧するとはこう言うことを言うのじゃな」

貧すれば鈍するをもじった言葉で、僕は居ないように独り一言を空に放っていく。


「金じゃ」


「え?」


「だから、金を寄越せ。つまりは依頼料を寄越せと言っている」

あぁ、そうだった。最高の自殺方法、自分への殺人依頼。その依頼料のことを少女は言っているのか。


 ジャケットの内ポケットに財布を入れていたのは記憶している。胸元から手をゆっくりと入れて中を弄る。


「違う、京介。貴様は儂がそのような安い財布に入っている薄っぺらな額で依頼を請け負ったと思っておるのか」

「背負いカバンのこまい方の収納じゃろう。膨らみ、厚み、匂い、隠しても無駄じゃ」


 あれよあれよと僕はリュックを引き寄せると、二つある収納スペースの小さい方のジッパーを引き開ける。


 中からは金一封が銀行のシンプルな封筒に詰められた状態であった。僕がやったんだろうけれど、今思うと、中々肝の据わった金の配置である。


 それをリュックから引き揚げた瞬間、後ろ側の椅子からギシッと音がし、隣に少女が音もなく立ち据える。


「早う、寄越せ」

言われるがままに僕は封筒を取り出し、少女の手に置いた。まだ離しはしなかった。疑問が浮かんだからだ。


「ちょっと、落ち着いて考えるけれど。僕はそう、自殺を依頼したのは確かなのだけれど。薄らな記憶が正しければ、大男、黒服の大男と話していたような気がするのだけれど」


「あぁ、そうじゃ。貴様は大男と話しておったよ。黒服とだべっておったよ」

我慢ならない手のひらがお金を握り始めながら、少女は言を述べた。

 男と話していたであるならば、大男がここにいるのが自然な訳で、そして少女は確か僕が建てた推論によると弱座という殺し屋は二人組で、その片割れとかどうとか。


「その大男、彼と話をさせてくれないか。君みたいな少女がたとえどんな事情があろうとも、殺し屋の片方だったのであろうとも、人のデリケートな話に割いるべきでは無いよ」


 少女はこっくりと首を傾げる。

「デリケート?気取るなよ。自殺の話じゃろう。隠さなくても、隠しきれんよ、死にたがりが」


「隠せないから、隠さない主義では僕は無いんだよ。手遅れでも、君がどれほど知っていようと慣れようとも、これ以上は触れさせるわけにはいけない」

 少女の手に力がさらに籠る。辛うじて、僕の手はその正しく魔の手に巻き込まれていないけれど、その中心金300万はぐしゃりと谷折りにならんとする。


「京介、お前の意見は分からない訳でも、聞かない訳でも無いが、聞けない訳もあるんじゃ」

「大男は呼べないし、黒服の男も同じく呼べない、他の誰を呼ぶことも、こんな山の中では叶いはしない」


「では、あの大男は、話た黒服はどこに行ったんだ?」


「儂じゃ、儂がそれそのもので、それ以外にはない。大男で黒服であった者は儂が動かしていた、というより、声を吹き込んでいただけにすぎない」

男はいなかった?声を吹き込んだだけ?

では弱座よわりざ切落きりおとは。二人組であったはずの形が崩れていく。


「二人組でも、はたまた三人組でも無い。儂こそが、儂一人こそが弱座よわりざ切落きりお。依頼されたものなら何なりと、あらゆるものを切り落とす、絶対無血の殺人鬼。」

「これからよろしく死んでくれ」

大層で、物騒な、挨拶から始まった僕らの出会いだったが、様式美としてこちらもこう返そう。


「これからよろしく殺してくれ」と。

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