背後に潜む者のいることを知れ
僕の妻は若い頃、ときおり霊の存在を身近に感じると言った。霊感というようなものを持っていたのだ。だから、そのせいで、人の集まる場所をあまり好まなかった。 新婚時代に一度だけ、ともに映画を観に行ったきり、ディズニーランドも、ゲームセンターも、レンタルビデオ店にさえ足を運びたがらなかった。なぜなら、この世をさまよう霊たちも、そのような人間が密集する場所に集まってくるからだ。ところで、死んだばかりの霊の多くが自分の葬儀に出席しているのをご存知だろうか? 妻は父の葬儀の場で、父を見ている。そんな妻のような者にとって、霊界とは、もはや現実でしかない。
霊感が鈍くなったのか、ただ楽しくもないと思うからか、近頃はまったくそんな話はしなくなったが、今から三十年ぐらい前だろうか、かなり印象深いことがあった。自家用車で職場に通っていた頃のことだ。めったに人を乗せることのない車だったが、一度だけ会社の同僚を乗せたことがあった。そして、その週末、いつものように妻の買い物の助けに車を出そうとした時のことだ。妻はドアを開けたまま、固まったようにその場に立ち、眉間には皺を寄せて、じっと車のシートの上を食い入るように見つめていた。やがて口を開き、ここにだれか乗せたでしょう? と、言い当てた。どうして分かるにかと聞くと、こう言う。黒い小さなものが、シートの上で蠢いているのだと。後に知ったのだが、霊は自在にサイズを変えられるらしい。どうやら、その蠢く小さな黒いものたちは、同乗した同僚の縁の者(霊)たちのようだった。妻は一度部屋に帰り、聖塩を持って戻ってきた。そして、おもむろに、シートの上にそれを振りかけた。僕はなぜか、気の毒なことをしたように思ったのを覚えている。そんな体験が何度かあり、僕にとっても霊界は現実となっていったのだった。
さて、この世界と霊界との関わりを知るために格好な話がある。夕食時にテレビのバラエティー番組で紹介された、アメリカで実際に起った非常に興味深いエピソードである。
心臓移植手術を受けたある女性に起った摩訶不思議な出来事だった。その女性はどちらかと言えば、内向的な性格で、持病のためでもあっただろう健康的な食生活を送り、喫煙も決して行わない人だった。そんな彼女に、心臓移植の手術後、次々と奇妙な変化が現れる。煙草を吸うようになり、以前は決して口にしなかった脂っこい食べ物やコーラを好むようになる。内向的な性格も、活発な性格へと変化して行く。彼女は自分の身の上に起ったそんな変化について、心臓の提供者、ドナーと関係しているのではないかと次第に考えるようになり、それを確かめたいという思いを強める。そして、明かすことを禁じられているドナーの遺族との面会を諦めず、医師を通じて手紙を送り、ついにそれを果たす。 ドナーはバイク好きで、そのため事故に遭い命を落とすことになった若い独身青年であった。フライドチキンやコーラを好み、喫煙の習慣を持っていたこと、そして明るく何ごとにも積極的な性格の持ち主だったことを確かめることができた。彼女と遺族との面会は、とても初めて会う者同士とは思えないような、言いようもない懐かしさにも似た思いの溢れる感動的なものになったのだった。
まず言っておきたいのだが、このエピソードが嘘ではなく、事実として、本当にあった出来事だという前提のもとに話を進めたい。本当か、嘘かの検証はここでは出来ない。
青年は事故死した後も、ずっと自分の肉体と共にいたのだ。移植後は、それを受けた女性の側から、片時も離れなかったに違いない。理由はよく分からないのだが、心臓のような肉体の一部でも残っていれば、そこに留まりやすいのかもしれない。青年の霊は、彼女の口を通して、煙草を吸い、コーラやフライドチキンを食べたかったに違いない。そして彼女を見ていて思ったはずだ。なんてじれったい人だろう。もっと積極的に人生を楽しめばいいのにと。そして、いろんな場面で彼女の背中を押したのだろう。 その結果、彼女にとって、マイナスよりもプラスになることが多く起こり、手助けと呼べることができたのではないだろうか。青年は、いつの時点か、彼女の側を去っただろう。いつまでもこの世界に止まっているのは、悪霊だ。怨みや憎しみが強く復讐心に囚われた者がそうなるのだ。
このような心あたたまる事例ばかりだといいのだが、悪いことも起こり得る。魔が差すという言葉があるように、どんな人でも自分を失う時がある。怒りや憎悪に激しく駆り立てられ、冷静でいられなくなり、破壊的な行動に走ってしまったことはないだろうか? だれでもそんな体験の一つや二つは持っていてもおかしくはない。しかし、そんな我々の理解をはるかに超えるような、想像を絶するほどの凶悪な大量殺傷事件が、過去には起こっている。車で歩行者を次々引き倒してからナイフを振り回したり、ほとんど抵抗できないような子供達を登校時のバス乗り場で連続して刃物で切りつけたり、ガソリンを使った放火によって逃げる間も与えずに多くの人の命を奪うような事件がである。犯行後自ら命を絶った例もある。なぜだろう? 自殺だけでは足りなかったのだろうか?
そんな理解し難い自滅的犯罪は、犯人の意思というよりも、何者かのコントロール下で、まるで道具のように利用された結果起こった事件のように、僕には見える。殺す相手はだれでもよかったなどと言われると、ますますそのように感じられてならない。悪霊の行動目標は、すべての人間を自分と同じような不幸な境遇に巻き込むことである。だれもが自分と同じ苦しみを味わうことを望むのだ。だから、だれでもいいから一人でも多くを目標にし、地上の人間に取り憑こうとするのだ。 凶悪だが、どこか不自然な事件の背後に悪霊が関わっていることはあり得るのではないかと思う。また逆に、まれなことかも知れないが、善霊や身内だった霊が地上の人間を危険から守ることもあるだろう。
我々はこの地上で、常に霊と接触しているかもしれないと覚悟する必要がある。そして、霊たちから我々が見えても、我々からは、彼らが見えないということを知っておかなければならない。ちょうど、あの映画のように。“ゴースト/ニューヨークの幻”。ライチャス・ブラザーズのアンチェインド・メロディが流れていたあの映画は、この世と霊界の関わりを上手く描いていた。理解しておかなければならないのは、主導権が向こう、霊界側にあるということ。そして、悪い者(悪霊)が我々を狙っていても、たいてい我々は無防備であるということを忘れてはならないということだ。
霊といっても、もとは人間。彼らの心は、我々の心と同じなのである。 類は類を呼び、友は友を呼ぶ。悪人の友は間違いなく悪人である。したがって、当たり前のことだが、まずは悪人にならないことだ。悪霊は悪人の側に来る。そのことが分かっている人は、無理にでも善行を自分に習慣づける工夫を生活の中で行っている。“一日一善” などと呟きながら。
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