武士道とはなにか?
かつて、日本には忠孝の精神があった。太平洋戦争敗戦後、日本はそんな精神的バックボーンを失った。もちろん新たに多くのものを手に入れ、欧米並の先進国にはなった。だが、失ったものも、大きかったのではないだろうか?
そうだ、かつて日本は、武士の国だった。だが、たいていの日本人の目には、武士などというものは、過去の遺物のジャンク品にぐらいにしか映らなかった。
サムライいう言葉を、欧米人が好んで発することを知った最初の頃、フジヤマ・ゲイシャ的なピントのズレた日本観が原因なのかと、僕などは、少なからず訝しく思っていた。しかし、そうではないことが、だんだん分かってきた。サムライは、日本の世界における地位の向上に一役買ってくれていたのだ。例えば、インターネットラジオの一つに、samurai.fm というのがあるのだが、そのサムライはけしてジョークではなく、明らかにクールなものの象徴として、そのネーミングに使われている。
どうやら世界が、サムライを、かっこいいと思って使っているらしいと分かって、日本人は大いに気をよくしたのではないだろうか? そして、ついには、その言葉を逆輸入して、野球のナショナルチームにサムライジャパンと使用したり、日本発のものにそんな名を付けたりした。日本人には当然その権利があると考えたからだ。
サムライ、そして武士道が、世界的にポピュラーになる手伝いをしてくれたものは様々あったようだが、中でも “スターウオーズ” がその筆頭と言うべきだろう。西洋にも武士道と共通する価値観を持つ騎士道があり、その精神をフォースという形で表現して、広めてくれたスターウオーズの功績はけして小さくはなかった。やはり、ジョージ・ルーカスたちに影響を与えたクロサワ映画の力は大きかったに違いない。
そして、サムライと武士道を、あらゆる迷信や誤解から解き放とうという試みが、西洋人の側から、ついに起こったのだ。それが、あの映画、トム・クルーズと渡辺謙が出演した “ラスト サムライ” だっだ。
そのルーツを求めてサムライが最後にいた日本へ行かなければと。つまり、彼らは、もうサムライは現代の日本には絶滅していないことを、ちゃんと知っていたわけである。
さて、あの映画を見て、武士道について関心を持った外国人に、武士道とはなにかと質問されたなら、我々はどう答えればいいのだろう? それが答えられなければ、サムライの使用権を持つ日本人としての面目が立たない。
『武士道というは死ぬことと見つけたり』
あまりに有名なフレーズだが、まったく意味の分からない言葉でもある。文字どおりに解釈すれば──刀を常に携帯している武士はたいへん危険な職業だから、死ぬことを恐れていては勤まらない──と、いうことにでもなるのか……? いや、いや、そんな間抜けなことを言えないなら、もっと深く読み解かなければならないだろう。
武士道とは、自己否定の道である。
武士は自分のために生きてはならないのだ。
これが、我々日本人が美徳としてきた精神の根本原理である。また、あらゆる宗教から、成功哲学にいたるまで、その根底に流れているのは、やはりこの自己否定の精神と言うべきだ。いかに自己中心的な生き方を変えるかが、幸福になる秘訣ともなるのである。
さて、この武士道を信奉する者は、主君がどんなに愚かな殿様であっても、主君というその位置に対して仕えなければならないである。主君のいない者は大義(天)に仕えるのであろう。これは、騎士道でも同じではないだろうか。三銃士で描かれる彼らの主君への忠誠は堅いものである。
しかし、このようなことは、今日の我々には理解しがたく、困難な道に他ならない。なぜなら、今日の我々の社会では、個人の権利や生活、利益の追求が大いに認められている。そして、あのコーンパイプを咥えた神が与えてくれた民主主義が、かつて武士たちが命懸けで守った主君の位置を、だれでも簡単に取って代われる、薄っぺらで軽いものに変えてしまった。そのため、我々のこの国では、一国の指導者がこんなにも蔑まれていいのだろうかと、心寒くなる様相を呈している。
今日のこの社会はなにかが間違っていると、きみは感じないだろうか?
僕には、我々日本人の体の中に、美しい旋律と、リズムのような、社会秩序の感覚が、まだあると思えてならない。それはもう簡単に思い出せない、遠い幻になってしまうのだろうか? もう取り戻すことは、叶わないのだろうか?
けして、時計の針を逆まわしにしたいと、願うのではない。なぜなら、サムライが、けして幸福であったとは限らないからだ。
自己否定し、全体のために犠牲になる行いが完全に成立するためには、全体が完璧に、個人を守る社会を実現しなければならない。そうでなければ、犠牲が報われないのだ。
今日、自由主義、そして民主主義が行き詰まっているのを、世界中のだれもが感じている。だからこそ、民主主義の先進国の人々が、サムライに惹かれるのだ。
サムライが、かつて生きた許しのない封建社会ではなく、独裁者の圧政からも決別した上で、忠孝の精神を根底に持つ新世界を創ることはできないのだろうか? それこそが、我々日本人に与えられたの使命ではないかと思う。我々は、言わば東洋と西洋のハイブリッドなのだ。
あの震災の時に、絶望のどん底にいた人々が、暴力や略奪とは無縁の礼儀と秩序をしっかり保っている姿を、西洋人が高く評価したではないか。きっと、我々にしかできないことが、そこにある。
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