第16話「恋の噂は」

「……日車くん、あの噂、聞いた?」


 ある日、僕、日車団吉ひぐるまだんきちは、昼休みに学食で昼ご飯を食べた後教室に戻ってきた。すると友達の相原駿あいはらしゅんくんが真面目な顔で話しかけてきた。

 相原くんは四月に行われた山登りで一緒の班になった男の子だ。それまではあまり学校に来ていなかったみたいだが、あの日以降よく学校に来て、僕と話すことも多くなっていた。それにしてもあの噂とは何のことだろうか。


「ん? あの噂って?」

「……そ、それが、俺もちょっと聞いただけなんだけど、この前保健の北川先生が、お、男の人と一緒に歩いてたって……」


 相原くんの声がどんどん小さくなっていった。なるほど、保健の北川詩織きたがわしおり先生が男の人と……って、ええっ!?


「え!? き、北川先生が……!? あ、ごめん、声が大きくなってしまった……」

「……う、うん。俺も見たわけじゃないんだけど、なんか仲良さそうだったって……」

「そ、そっか……」


 二人でこそこそと話す。そうか、北川先生に男の人が……って、まぁ、北川先生も大人の女性だし、彼氏くらいいてもおかしくないだろう。


「ま、まぁ、北川先生も綺麗だし、彼氏がいてもおかしくないよね……」

「……そうなんだけど、俺、もう一つ気になること聞いちゃって……」

「ん? 気になること?」

「……そ、それが、北川先生と大西先生が、つ、付き合ってるんじゃないかって……」


 なるほど、北川先生と、うちのクラスの担任の大西浩二おおにしこうじ先生がお付き合いしていると。


 ……って、えええええ!?


「ええ!? あ、ごめん、また声が大きくなった……ほ、ほんとに?」

「……ま、まぁ、それも噂で聞いただけで、分からないけど……」

「そ、そっか……って、もしどっちも本当のことなら、かなりまずいのでは……」

「……うん、だから、今から北川先生に訊いてみようかと思って。俺、一年の時北川先生にはよくお世話になってて。日車くんも来てくれないかな?」

「な、なるほど……わ、分かった、保健室行ってみようか」


 なんだかとんでもないことを聞いてしまった気がするが、気になるので二人で保健室に行くことにした。そういえば四月に風邪を引いた時、僕も北川先生にはお世話になった。それから顔と名前を覚えてもらったのだ。

 階段を降りて、一階の廊下の途中にある保健室までやって来た。なんだろう、すごくドキドキする。

 僕は相原くんと目を合わせた後、ふーっと息を吐いて、保健室の扉をノックした。中から「はい、どうぞ」と聞こえたので、中に入る。


「し、失礼します」

「……し、失礼します」

「あら、日車くんと相原くんじゃない、こんにちは」


 北川先生が笑顔で言った。北川先生は美人で優しくて、生徒の人気もある。しかし独身なのはなぜだろうかと生徒の噂にもなっている。訊くと大変なことになりそうなので、本当のことは誰も知らないのだ。


「どうしたの? 二人ともボーッとしちゃって。何か私に用事かしら?」

「あ、そ、それが、あの……」


 噂のことを訊きたかったが、僕はなかなか言い出せずにいた。ま、まぁ、内容が内容だもんな……と思っていたら、


「……き、北川先生、その、今彼氏はいますか……?」


 と、相原くんが少し小さな声で北川先生に訊いた。な、なんと、ストレートだなと思ったが、他に言葉が見つからないから、それが一番いいのかなと思った。


「……へ? 彼氏? いないわよ。ていうか相原くんには一年生の時散々話さなかったかしら?」

「……そ、それが、この前北川先生と男の人が一緒にいたって……」

「……ん? 男の人……ああ、もしかして、弟のこと言ってるのかしら?」

「お、弟……さん?」


 僕はなんか変な声が出てしまった気がするが、大丈夫だったかな。


「ええ、この前母の誕生日プレゼントを買いに弟と買い物に行ったわ。そのことを言ってるのかしら?」

「あ、そ、そうなんですね……」

「……いや、それだけじゃないです。北川先生、お、大西先生と付き合ってるっていうのは、本当ですか……?」


 また相原くんが真面目な顔で言った。す、すごいな相原くん、こんなにストレートに訊けるなんて。意外な一面を見た気がした。

 相原くんの言葉を聞いた北川先生は、ポカンとした顔をしていたが、すぐに「あはははは」と笑い出した。


「何それ、もしかして誰かが噂してるのかしら? そんなのでたらめよ、私と大西先生はお付き合いも何もしてないわ」

「あ、そ、そうですか……よかった……」

「……ん? 日車くん、よかったってどういうことかしら?」

「ああ!! い、いえ、なんでもありません……! た、ただの噂だったんだなって……あはは」

「ふふふ、そうね、ただの噂よ。まぁ大西先生とは歳も近いから話すことは多いけどね。それにしても二人ともそんな噂を信じちゃうなんて、可愛いわねー」


 そう言って北川先生が僕と相原くんの頭をなでた。うう、恥ずかしい気持ちになるのは僕だけだろうか……と思って相原くんを見たら、恥ずかしそうに俯いていた。僕と一緒の気持ちなのかもしれない。


「なんか高校生って感じするわね……って、そういえば日車くんには沢井さわいさんという彼女がいたわね、くそ、また先越されてしまう……ブツブツ」

「え、あ、あの、先越されるって……?」

「まぁいいわ、それより二人とも、もうすぐ午後の授業が始まるわよ、またゆっくりいらっしゃい」


 時計を見ると、あと少しで午後の授業が始まろうとしていた。僕と相原くんは慌てて保健室を後にして教室に戻る。

 そうか、北川先生に彼氏はいなかったか。ホッとしたような、そうでもないような、不思議な気持ちになっていた。


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