第14話 人の子として生きる意地

 視界の炎が消えた瞬間、ライザは獣ような咆哮を上げながら、前に向かって駆けだした。


 目的は一つ、単純明快だ。並み居る聖炎守護を全員戦闘不能にすること、そろがこの場を切り抜け、生き残るための条件だった。


 吹っ切れたライザは止まらない。聖炎守護の人混みの中に飛び込み、次々と上に横にと吹き飛ばしていく。物凄い速さで敵の数が減っていった。ライザに吹っ飛ばされ、地面に倒れた聖炎守護の戦士はしばらく動き出しそうにはなかった。


 氷狼の力を使わずとも、元々ライザは自分の力だけで聖炎守護の幹部まで昇り詰めていた。要するに、ライザを取り囲む敵はほとんどが格下なのだ。いくら多人数で襲い掛かろうとも、まるで相手にならないのが見ていてよくわかる。


「余裕ですね。あの女に闘わせて自分は高みの見物ですか」


 エルデスがゼテスに襲い掛かる。


「お前の相手は俺じゃない。すぐにライザと闘うことになるぜ」 


 細長い剣で切ったり突いたりをしてくるエルデス。

 ゼテスはそれを適当にあしらった。向こうがその気でもエルデスと闘う気は全くない。それどころか……。


「ほら来た」

 

 薄く笑うゼテスの視線の先には、ライザがいた。

 ライザはすでにエルデスのそばまで来ている。


 今度はライザがエルデスに襲い掛かる。

 ライザはエルデス以外の聖炎守護を全員倒したわけではない。しかし、ゼテスが攻撃されているのを見て気が変わった。頭に血が昇った。


 ライザに倒されなかった聖炎守護はいるが、彼らは全員ライザの猛獣のような苛烈な戦いっぷりにより、完全に戦意を喪失していた。一撃の下で大怪我を負わせて意識を飛ばす。それを可能とするあの拳か蹴りが自分に襲い掛かってくると思うと、どうしても恐怖で身がすくんでしまう。


「エルデス!!」

 ライザが凶悪な表情を浮かべながら、エルデスに攻撃を加える。

 ライザの攻撃手段は主に徒手だ。鍛え抜かれた身体から放たれる攻撃の一つ一つが速く重い。

 まともに食らえば意識を数日間失う。んな予感を否応なしに叩きつける攻撃をエルデスは慎重に一つ一つ防御している。


 他の聖炎守護は棒立ちでエルデスとライザの闘いを見ていることしかできない。二人の間に入れば、嵐の中の紙切れのように一瞬にして飛ばされてしまうだろう。


 ゼテスは問題なく闘いに介入できる。ライザに加勢し、エルデスを瞬殺することは可能だ。

 だがそうはしない。これはライザの闘いだ。ライザが自分の生きる意志を見せつけるための儀式だ。自分を人間ではなく氷狼としてしか見てこなかった連中との決別だ。忌まわしい過去を乗り越えなければならない。自分の命はこんなところで落としてはならない。次に継がなければならない。


「お、お前は今ここで死ななければならない化け物だろうが! 例えこの場を生き延びたとしてもこれから先まともに暮らせるとでも思っているのか!? 化け物が人間のふりをして生きていけると思うのか!? いつどんな形で氷狼の力が暴走するかお前自身にもわかるまい!」

「ごちゃごちゃ抜かすな! 私の正体が氷狼だろうが化け物だろうが、私が父さんの娘であることに変わらない! 生きることを諦める理由にもならない! 何人私を殺しに来ようとも生き抜いてやる……!! 抗ってやる……!!」


 何がなんでも生き抜くという意志を込めた拳が、何回にも渡りエルデスの身体を叩きつけられる。

 感情のまま、心のおもむくままに暴力を振るっていたが、ライザの思考は至極冷静だった。


 生き様は貫く、怒りと暴力でこの場を切り抜ける。だがそのために死んでも構わないという捨て身の考えは全くなかった。何よりもまず優先すべきなのは生きることなのだ。

 ライザの猛攻に、エルデスの防御が追い付かなくなる。

 ライザの肘がエルデスの鼻っ柱を叩きおる。


「うげぇ~~っ!!」


 苦悶の声を上げるエルデス。鼻の骨は間違いなく折れた。鼻自体も潰れて変な形になっている。

 エルデスが後ろに吹っ飛ぶ。それをライザは許さない。


 ライザが取り出したのは、例の拘束具。エルデスに首輪を投げ拘束する。

 鎖を引く。引き寄せられたエルデスの身体に、太ましく肉付きのいい足で猛烈な蹴りの連打を浴びせる。音がすさまじい。質量と速度のある拳が、人体を打つ。その音は重く大きな砲弾が炸裂する音に似ている。


 連打だが、数を前提とした技ではない。一発一発の威力が高い。数で押し切り、ダメージを重ねていくのではない。イメージするのは致命傷の重ね塗り。

 一発ごとに生き抜く意志と殺意と怒りを込めた蹴りが、容赦なくエルデスを襲う。


「ぐがああああああああああ!!!!!」


 蹴られ続けたエルデスの悲鳴は耳をつんざくようだった。


「く た ば れ ! ! 」


 ライザがエルデスの鳩尾に重い拳を突きこんだ。拳が腹を打つすさまじい音がした。それが最後の一撃だった。


 エルデスの身体がパンチの威力で少し浮いた後、ゆっくりと地面に倒れ伏す。

 ライザはそれを立ったまま見ていた。最後に立っていたのはライザの方だった。

 エルデスを見下ろすライザ。聖炎守護相手に連戦した上で、格上であるはずのエルデスに今なぜ勝てたのか、その理由はライザ本人にもよくわからない。


 エルデスに勝った。とにかく今は生き残った。それがわかった瞬殺、ライザの心に一抹の達成感が去来し、身体中の力が抜けた。


 連戦に次ぐ激闘。ライザの体力はもう限界だった。

 フッと意識が途切れ、ライザの身体が地面に倒れそうになる。

 それを、ゼテスが止めた。倒れていくライザの手を握ることで。 

 ライザの手を強く握った。それにより、ライザの意識は途切れずにとどめられた。


「さすがだぜ」


 ライザの顔を見て、口の端を吊り上げる。


「これくらい当然よ」


 それを見たライザは満足げに、不敵に笑った。





「神の思し召しだああああああああ!!! 殺せえええええええ!!!」

「異教徒を生かしておくことは神への忠義に反する! 殺せ殺せ!」


 下卑た声が複数、殺し自体を楽しむような理性のタガが外れたケダモノの声が響く。聖炎守護が慌てふためく。


「こ、こいつら十字軍か! なんだいきなり……!!」

「応戦しろ! 確実に俺たち聖炎守護を殺しにきてるぞ!」


 十字軍の隊が聖炎守護を襲撃する。


 聖炎守護は抵抗していた。しかし、ライザに数を減らされ、頭のエルデスを倒された状態ではまともに闘えない。上位の実力をもつ者はほとんどライザに倒されている。


「十字軍が……? 一体どうして?」


 氷狼である自分を殺しにくるのはまだ理解できる。だがなぜ今になって急に聖炎守護を襲い始めたのかがわからない。信仰の溝こそあったが同じ人間だ。氷狼を追うために彼らもこの街でしばらく生活していたはずだ。自分が街を離れた約二週間で何か騒ぎでもあったのだろうか?


 ライザと違い、ゼテスは正確に十字軍の行動原理を読んでいた。それ故に、十字軍の凶行に憤っていた。眉間に亀裂のように深いしわがある。


「許さない……!」


 ライザが身体の力を振り絞り、十字軍と闘おうとした。自分を殺そうとしていた聖炎守護は大嫌いだが、ただ一方的に蹂躙されるのを見ているだけというのは性に合わない。


 自分と聖炎守護との闘いに漁夫の利で介入されたようで、かなり腹が立つ。

 ゼテスも同様に腹が立っていた。


「やめろ」


 ゼテスのたった一言で、大勢が争っていた場所が、静寂に支配される。

 低く静かな声で威圧した。たったそれだけだったが、ゼテスの凄まじい殺気を伴う威圧は、十字軍に恐怖を抱かせ、聖炎守護への襲撃がいったん止まった。 


 聖炎守護も十字軍も、一瞬にして襲撃を止めたゼテスに視線が釘付けになる。

 全員がゼテスを警戒する中、一人の男が軽い足取りで出てきた。


「一瞬でこれほど大勢の動きを止めるとは……すごいお方だ」


 アンリはそう言いつつも全く効いていない様子で出てきた。


「相変わらず人をイライラさせるのがうまいな十字軍は……」


 ゼテスがこめかみに青筋を浮かべる。


「本来なら氷狼を目覚めさせて聖炎守護と衝突させる。上手いこと共倒れさせて、この街を守る勢力がいなくなれば、好き放題奪って殺すつもりだったんだろ? ド汚ねえ筋書きだぜ」

「人聞きの悪いことを言わないください。これは布教なんです。彼らは聖炎などというわけのわからないものを崇める異教徒ですし、改宗する意志も見られませんでした。我々の崇高な教えを理解できる脳を持たない獣と同じなんです。だからこれくらいは当然なんです。この世界に十字教以外の神と信仰はいらないんです」


 アンリにはまるで罪悪感がない。責任転嫁や言い訳ではなく、本当に自分を神の使徒と思い込み、蛮行を正当化している。狭量な教義と狂った信仰心が合わさってできた精神だ。和解は絶対不可能だ。


「布教? 侵略の間違いだろ? お前ら十字軍はいつも善人面をしてよその土地の文化財産人民信仰、何もかもを滅茶苦茶にしやがる」

「主は言いました。『異教徒を皆殺しにせよ』と。聖典にもあるこの神の御言葉に従い、異教徒どもに死を与えることは我々十字教徒にとって神の愛であり、人の正義なのです」


 アンリはまるで聖職者が教えを説くように話す。

 十字軍の精神構造は単純だ。異教徒相手には何をしてもいい。それを邪魔するやつは神に逆らうも同義なので明確な悪、殺しても問題ない。


「正義ねえ……。お前らみたいなのが神だ正義だのと抜かしながら毎日どこかでこんな風に暴れていると思うと、魂が腐って仕方ねぇ~」


 もし十字軍が自分がこの場に居なければ、この街は最悪の状況になっていたに違いない。ライザも恐らく死んでいた。十字軍がこの街を守る聖炎守護を皆殺しにして、街にいる住民にも手を出していたに違いない。

 十字軍は民間人にも容赦はしない。殺されるか、あるいは奴隷にされるか、どちらにしてもこの街は崩壊する。そうしてこの街とこの街の聖炎信仰は死んでいく。全ては唯一神の名の下に。


「ライザとの旅は楽しかった。未知の景色、未知の生物、未知の味、冒険の醍醐味が詰まっていた」


 ゼテスがライザの方を見る。大勢が争うこの場に相応しくない穏やかな口調と視線だった。


「空はこんなにも自由なのに……ロマン溢れる場所なのに……お前らみたいなのがいつも空をつまらねえ場所にしやがる。空は暴力と争いが蔓延る場所にしちゃいけねえんだ」


 ゼテスの身体が何かの感情に震える。


「俺はお前らの作るクソつまんねえ世界をぶち壊すために空賊をやっている。弱者を食い物にするカスみてえな他の空賊と、争いしか起こさねえ十字軍をこの空から完全に消し去る。そうすることで俺がこの空に真の自由をもたらす……!! 空に夢を見た者がただ夢を追える。本来空とはそうあるべき場所だ……!!」


「フハハハハ! 身の程知らずもここまでくるといっそ清々しいですね! あなた一人だけで十字軍相手に戦うと!? 他の空賊も相手にすると!? 自分が何を言っているのかおわかりですか!? 十字軍は地上の世界をほぼ全て支配した巨大な組織ですよ!?」


 アンリが後ろにいる自分の隊に振り返る。


「笑いなさい同志たち! 神に唾するこの男の愚かさを! 愚行を愚行だと理解できない愉快な脳みそを!!」


「「「ギャーッハッハッハッハ!!!」」」


 十字軍が一斉に笑い出した。ゼテスの目的を、決して達成できない夢想だと誰もが信じ切り、見下し笑いものにしている。

 十字軍の勢力は巨大である。今、ゼテスが目の前にいる十字軍はアンリが率いる一部隊に過ぎない。例え彼らをここで全滅させたところで十字軍全体の戦力はまだまだ残っている。


 アンリの隊の聖騎士全員がゼテスに対して殺気を向ける。神に逆らう気が満々で、大言壮語を吐くこの男をどうしても生かしておく気は全くない。

「身の丈に合わない野望を持つあなたは滑稽だ。我々を倒して空に真の自由をもたらす、などというのはどうあがいても実現しようのない馬鹿馬鹿しい妄言に過ぎない。あなたに十字軍を敵に回す覚悟があると……?」


 アンリはそう言うが、ゼテスは全く物怖じしていない。


「覚悟も決意も宣戦布告も、とっくの昔に済ませてある……」


 それどころか逆にやる気を出したように見られた。


「逆に聞くぜ、お前らには……」


 ゼテスが禍々しい魔力を纏う。

 十字軍は全員ゼテスに対して殺気を放っていた。


 だがゼテスの魔力は、十字軍の大勢の殺気を逆に丸ごと飲み込んでしまうほどだった。ゆっくりとアンリの前に、十字軍の前に歩いていく。大勢の敵を前にしてのこの胆力、この凄み、ただ者ではない。


 自分がここで死ぬとは微塵も思っていない。それほど警戒心のない呑気な足取りだった。

 あの男は何者か、あんな空賊がいたかとアンリが自らの記憶を探った。目の前にいる男は考えうる限り最悪の人物だった。


「犬死にする覚悟はあんのかよ?」


 そう凄んだゼテスの背には、十字軍なら誰もが恐れるものがあった。


 ゼテス本人よりも大きく、それを見た人間に一生忘れることができない恐怖を刻み、数多の人間を殺しておきながら未だに捕まらない理由であり、畏怖を込めて口にされる異名の所以となった……


 紅い翼。


 血を何重にも塗り重ねたような色彩。翼は禍々しくも神々しい雰囲気があった。

 悪魔のような形の翼だが、皮膜の部分は紅く輝く天使のような羽で構成されている。


「こっ、こいつッ!!!」

「紅翼だぁーーーーー!!!!」


 氷狼をも越える恐怖をまき散らした大悪魔の登場により、その場は混乱に陥った。

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