第13話 怒と暴はどうした? 怒と暴はぁ!?

 氷狼の姿をしていたライザ。ライザを取り囲むエルデス率いる聖炎守護。奴らはあからさまにライザを消したがっている。ライザを見る視線がそれを物語っていた。殺意、侮蔑、嫌悪感、卑下、あらゆる負の感情がこもっている。ライザ自信を心配するような気配は誰一人として感じなかった。


 エルデスに渡せば、ライザは死ぬ。それが如実にわかった。


「ライザを殺すつもりだろ」


 胸中には粘つく泥濘にような怒りが渦巻いていたが、エルデスに放った声音は極めて平静であった。


「当然のことです。人々の安寧秩序を守る。それが我々聖炎守護の正義ですから。氷狼が死ぬことで助かる命が大勢あるんです。現にあなたが止めてくれなければ死人がでていたことでしょう。この街を救った英雄に惜しみない拍手を」


 エルデスが拍手を始める。それにならって他の聖炎守護が全員拍手を始めた。

 渇いた拍手は酷く耳障りだ。


「やめろやめろ白々しい」

 ゼテスが両手を振り拍手をやめさせる。

 なぜそんなことをするのか。エルデスと聖炎守護の視線がゼテスに集まる。


「確かにライザを殺せば氷狼も死ぬ。脅威を未然に防ぐという点においてライザを殺すのは正しい。だが、人々の生活のためにだとか、氷狼の犠牲者を出さないためにだとか、そういうご立派な理由じゃねえだろ。ただの建前だ」

「ではあなたはなんとお考えで?」


 ゼテスはとんでもないことを言っているが、エルデスはあくまでも感情を表に出さず、対話という体を崩さない。


「お前らはライザが嫌いだから殺すんだ。死んでもいい人間だと心の底から思っているから殺すんだ。ご立派な大義名分を抱えた上で気にくわない人間を排除するのは精神的な快感が得られるから殺すんだ」

「ふざけるな! 氷狼を倒したからといっていい気になるなよ!」


 ヤジが飛ぶ。ゼテスの言い分に痺れを切らした聖炎守護が一人いた。


「黙ってろ……」


 ゼテスが彼を睨んだ。大勢いる聖炎守護の中から正確に自分にヤジを飛ばした一人を見抜き、睨みつけた。


「は、はひっ、はっ、はっ、はひぃっ!」


 睨んだと同時に飛ばしたのは魂の芯まで凍り付くような、恐ろしい殺気。

 魔獣よりも、氷狼よりも恐ろしい殺気をぶつけられた聖炎守護は錯乱し、まともに喋れなくなった。そして、倒れてしまった。精神がゼテスの殺気に耐えられなくなり、身体は意識を遮断した。それ以上精神が狂わないようにするための自衛反応である。


 一人、聖炎守護が睨まれただけで倒れた。その他の聖炎守護にも動揺が走る。目の前の男はいったい何者なのか。


「人じゃないから、悪魔だから、氷狼だから殺してもいいんだ。だからこれは人殺しじゃないんだ。異物を人間社会から排除するだけだ。ちりとりでごみを集めて捨てて街を綺麗に住みやすくするのと何の変わりもない行為だ。全くもって素晴らしい善良さと道徳に溢れた行為じゃないか」


 皮肉げに笑うゼテス。しかし先ほど睨んだだけで一人気絶させたことにより、誰も口を挟めない。


「……反吐が出る」

 嫌悪感が滲んだ言葉だった。

 人のため、街のためという名目でライザの命を絶つことと、それをまるで善行のように思っていることを、ゼテスは心の底から唾棄した。


「俺が見てきたライザは氷狼じゃねえ、紛れもなく人間だお前らがやっているのは自分たちの都合で一人の人間を奪うという人殺しだ。善人面して殺すのをやめろ。正義だとか善悪とかを理由に奪う命の重みから目を逸らすな」


 ゼテスがライザを見下ろす。


「なぜ部外者で、たかが空賊であるあなたがそこまでその女に肩入れするのですか? 個人的な興味でも湧きましたか」


 エルデスが、ゼテスとライザを交互に見る。


「そんなロマンチックなもんじゃねえな。お前らがライザを気にくわないのと同じように、俺もお前らが気にくわない。それに……」


 ゼテスが不敵に笑う。両端が吊り上がった口は、見るもの危険な悪意を感じさせる。 


「こんなクソみたいな筋書きの殺しを野放しにするのはな、魂が腐るんだわ」

「魂が腐る……その意味とは?」

「今みたいな胸糞悪いことを見過ごすと死ぬほど後悔する。一生引きずって生きたまま死んだような気分になる……そうなるくらいなら死んだ方がマシ。正義や悪なんざどうでもいい。だから……」


 ゼテスが言葉が鋭さを帯びていく。


「俺が魂を腐らせねえ生き方は空賊しかねえんだよ」


 それはあまりにも野放図で自分勝手で独りよがりで無謀で蛮勇な理論だったかもしれない。聞く者によっては笑い話になるかもしれない。


 しかし、この場でゼテスを笑う者は誰もいなかった。一見バカげたその考えを貫くに相応しい力がゼテスにはあると、その場の誰もが語られずとも理解していた。


 空賊と呼ぶにはあまりにも底知れない覇気をゼテスは秘めている。


「つまり、自分の空賊としての信念に基づいてその女を我々からかばうということですね」


 エルデスはゼテスの行動理論を理解して、少しだけ晴れやかな気分になっていた。


「かばう? 勘違いすんなよ」


 ゼテスが炎を出す。

 ゼテスとライザを取り囲むように、炎の防壁を形成する。

 外からは二人の姿は全く見えず、炎の燃える音により中の音も聞こえない。外側の人間に炎の中で何が起こっているか知る手段はない。


「ゼテス……ありがとね、私のために怒ってくれて」


 いつの間にかライザの意識は戻っていた。


 ゼテスは怒鳴り声をあげるなど、わかりやすく怒りを表に出したわけではない。しかし、ライザはゼテスの声音から怒りの感情を察することができるほどにはゼテスの人柄を理解していた。


「うぬぼれんな。あいつらのやり方が気にくわなかっただけだ」


 ゼテスが冷淡に言い放つ。


「そう……」

 ライザはただ曖昧な返事をするだけだった。


 いつものライザならさっきみたいな喋り方をすれば即座に喧嘩腰で口答えするはずだと、ゼテスは思っていた。生意気で無愛想で傲岸不遜な返事が返ってきて、憎まれ口をお互いに叩き合うことを期待していた。


 今のライザの目には明らかに生気がない。生きる気力が見られない。生きているが、まるで死体のように虚ろな目をしている。


「ゼテス……見てたでしょ? 私、氷狼だったの……十字軍に作られた生物兵器なんだって」


 十字軍、生物兵器、ずいぶんと忌々しい言葉の組み合わせだ。連中は他の宗教を叩き潰すためならなんだってする。


「あっははははははははは!!!」


 泣いているのか、笑っているのかわからない声だった。こんな形で感情を表に出すライザをゼテスは初めて見た。


「父さんを殺したのは私……なのに……仇をとるって……馬鹿みたい」


 ライザは今までに見たことがないくらいに心が枯れている。沈んでいる。沈痛な面持ちをしている。言葉の一つ一つからライザの絶望が伝わってくる。


「だからゼテス……私を殺してよ」


 ライザが媚びるような目で見た。それはゼテスが初めて見たライザの女々しい顔であった。


「私を殺して……ゼテスになら殺されてもいい……ゼテス以外に殺されたくない。あなたの炎で誰も私の死に顔を見れないくらいに、私の身体を全部燃やして灰にして」


 振るえる声、生を諦めた顔、充血した目からとめどなく溢れる涙、無理もない。

 最愛の、唯一の家族の命を奪ったのは自分だったのだ。

 父親の仇だとずっと思っていた氷狼は、人生をかけて倒すと決めていた悪魔は、他でもない自分だったのだ。生きる目的が一瞬にして消え去ったのだ。


 計り知れない喪失感と絶望感が、ライザの心にのしかかったのだろう。

 心の中に、どうあがいても埋めきれない大穴が空いたような気がしただろう。

 辛かっただろう、苦しかっただろう。

 自分が父親を殺したという事実。その重みにライザは耐えきれない。

 だがゼテスは慰めの言葉をかけるためにここにいるわけではない。


「ライザはそんなこと言わない」


 ライザはゼテスが何を言っているか理解できなかった。

 ゼテスは自分が思うライザの人物像を、本人に強制した。


 ライザの第一印象は怒りと暴力の塊だった。そんなライザならこんなに女々しく哀願するようなことは言わない。弱々しくすがるような顔をしない。

 自分の気にくわないこと全てを怒りと暴力でねじ伏せる理不尽の権化、それがゼテスの知っているライザだった。


 今、目の前にいるライザはどうしてもゼテスの考えるライザ像と合わない。

 生きてもいいんだ。などの台詞を言ってライザを慰めることは、それはそれで美しい構図にはなるだろう。


 しかし、どうしてもそうする気にはなれない。優しくて、温かくて、生きる希望を与えるとか、そういう類の言葉と、ライザの今までの生き様はどうしても嚙み合わない。


 骨付き肉を豪快に食う大男が、マナーの厳しい高級レストランでちまちま食うだろうか。食うわけない。それ以前に居るわけない。


 甘ったるい慰めの言葉はライザには絶対に似合わない。必要なのは同情や哀れみはじゃない。

 必要なのは……。

「違うだろ~?」


 ゼテスがライザの胸ぐらを掴み持ち上げる。

 ライザの身体が浮いた。苦しそうにしながらも、ゼテスの顔をしっかり見ている。


「怒と暴はどうした? 怒と暴はぁ!?」


 ライザは今まで気に入らない人間を怒りと暴力で黙らせてきた人間だ。

 だから荒療治しかしない。言葉でぶん殴って無理矢理立ち直らせるしかない。

 必要ならマジもんの暴力も振るうつもりだ。喧嘩ばっかりしてきたから殴られるのには慣れてるだろう。


「何でもかんでもすぐに怒りと暴力で解決してきたようなやつが、苦しい時だけ女々しくなってんじゃねえ! だからこれまでと同じように怒りと暴力でこの状況を切り抜けるべきだろうが!」


 その生き方こそが、ゼテスが心を動かされた芯の通った生き方だったから。その生き方をやめるとライザはライザでなくなってしまう。実際に死ぬ前に、生きながらにして死んでしまう。


 生きながらに死ぬとは、かつて掲げた理想や、自分の心に沿った自分の生き様を、途中で諦めることだ。他でもないライザがそうなるのは死んでも許せなかった。


 たとえライザ本人がそう望んだとしても、自分が殺すのも嫌だし、聖炎守護に殺されるのも嫌だった。かといって聖炎守護から守るのも絶対に違う。ゼテスの知っているライザなら絶対に他人の助けを必要としない。大自然に放り込んでも一人で勝手にたくましく生きるような女だ。


 だから例え、自分の知らなかった真実が、どうしても変えようのない絶望だったとしても、ライザにはそれに抗ってほしかった。闘ってほしかった。一人の力で生き抜いてほしかった。街を守るという大義名分のもとに、平気で人を殺すような連中の言いなりになってほしくなかった。


 それがライザだから。

 ゼテスの声が荒々しくなる。

 ライザはこんなゼテスの激情を初めて見た。


「いいか! 十字教はな! 組織的な暴力で異教徒異民族全てを捩じ伏せ、世界の大部分を支配しているような連中だ! そんな連中相手にお前の親父は闘ったんだ! お前を生かしたんだ! お前に生物兵器として人を殺して欲しくなかったからだ! 死ぬ覚悟はお前を助ける時にとっくに決めたはずだ! ここでただ死んでいくのが、その覚悟に報いることか!?」


 ゼテスが初めてライザに見せる怒りの表情だった。


「お前は氷狼じゃねぇ! ライザだ! 父親が繋いだ命を諦めるな!! 人の子なら最後まで足掻いて生きろ!」


 ライザがハッとした顔をする。

 氷狼が父親を殺した光景が再び頭の中に流れ込んでくる。


 傷ついていくオーリン、爪に貫かれるオーリン、そして血だまりに沈むオーリン、明らかに命が助からない出血量だった。


 自分の流した血の中でオーリンは氷狼を見ていた。どんな顔をしていた?

 殺されたことに対する恨みだったか? 死ぬことに対する絶望だったか? 化け物を助けてしまったことに対する後悔だったか? 


 そのどれもが違う、恨みも絶望も後悔も、オーリンは最後の顔に浮かべていない。

 オーリンは自分の娘に、助けた相手に殺されてもなお、笑っていた。

 最期だから、もう会えないから、せめて笑って別れを告げよう。

 致命傷の痛みをこらえ、笑った。娘は一人でこれから一人で生きていかねばならないが、自分の娘だから大丈夫だと、そう信じて笑った。


「ぐ、ぐぐ、ぐ、ううぅぅぅ~」 


 ライザは無理矢理、流れる涙を引っ込めた。嗚咽も飲み込んだ。

 ゼテスがライザを下ろす。

 自死することが、殺してしまった父親への償いになど、断じてならない。


 オーリンは死んでしまったが、最後まで十字教という巨大な組織と抗った。ライザもそうしなければならない。

 暴論だった。暴論だったが、ライザを無理矢理にでも生かせるなら万々歳だ。生きていて欲しかった。


 ライザはぐちゃぐちゃになった顔を擦った。

 顔がはれ、涙の痕が残っても、格好がつかなくても、前を向く。

 絶望の淵から立ち直ったようだった。


「自分の生きる道は自分で切り開け。今お前を殺したいと思っている連中に、氷狼の力ではなく自分の力だけで抗え」


 ゼテスが炎の防壁の外を指し示す。炎を消せば、たちまち二人は周りを取り囲む聖炎守護と対面する。


「わがっだ」


 ぼろぼろの、上ずった涙声だった。しかし、もう迷いはなかった。

 向かい来る全てを一人でなぎ倒す覚悟をライザは決める。


 血が繋がってなくても、父さんとは間違いなく親子だった。

 父さんは私のせいで死んでしまったけど、それを理由に私が死ぬのは決して償いにはならない。

 何が何でも生きてやる。例えこれからどんな目に会おうとも、生を諦める権利は自分には決してない。


「行ってこい! 全員ぶちのめせえ!」


 ゼテスが炎の壁を解除する。

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