第11話 殺したのは私
帰りの道は何のトラブルもなかった。聖炎を狙う輩は出なかった。強いて言えばウルダラークを見れなくてゼテスが不満足だったことくらいだ。
「ウルダラークのものまねできねえじゃ~ん!」
「普通の狼と大して変わらないわよ」
アンリが言及していた紅翼にも氷狼にも遭遇することはなかった。
「いやあ~長旅ご苦労。これでゼテス君も無罪放免だ。ライザもしばらくはゆっくりと休むといい」
エルデスは聖炎を受け取った。聖炎が入った瓶を、微笑みながら見つめ周す。
当面の危機が解決して、両者としても一息ついたのだろう。
「エルデス! 約束は!?」
ライザがエルデスに勢いよく食ってかかった。
聖炎を持って帰れば自分の邸宅を返すという約束だった。
ライザの家は落書きだらけで中も汚い。しかしそれでも父親との思い出がある大事な家だ。
「わかっている」
エルデスがライザの家の鍵を取り出した。
その瞬間、ライザは一瞬にして鍵をひったくった。エルデスとよりを戻す気は完全にないらしい。
エルデスと別れた後、二人は何の当てもなく歩いている。
「う~ん、なんにも縛られないってのはいい気分だぁ~。首回りだけ楽園の空気だぜ」
ゼテスが首をぐりぐり回した。家畜のようにつけられていた首輪はもうない。
圧迫感と冷たい鉄の感触から解放された首を、存分に動かす。
「私もよ」
ライザも自分の手首をぐりぐり動かした。
二人はそれぞれ腕輪と首輪から解放されたが、並んでいる距離は変わらない。
鎖に繋がれていた時と同じ距離感で歩いている。二人ともそれに何の違和感もない。
「ゼテス」
ライザがしかけた。
「き、今日はうちに泊まっていきなさいよ。紅翼とか氷狼とかこの辺にいるから危険だしもう暗いし。どうせ暇でしょ!?」
ライザは早口だったがその言葉通り、辺りはとっくに暗くなっていた。
「いや気持ちは嬉しいけど」
「決定ね! 今日は家でパーっと飲みたいから適当になんか買ってきてちょうだい!」
ライザは食い気味にまくしたてて、財布を渡し、有無を言わさずゼテスの予定を決めた。
本音を言えばこのまま別れるのはあまりにも名残惜しい。少しでも長くゼテスを引き留めたかった。
「私は家掃除しとくから先に帰っとく!」
ゼテスが財布を返す前にライザは爆速で家に帰った。ライザの背中がどんどん小さくなっていく。強引で卑しいやり方だったが、家を掃除しなければならないのは本当だ。
ライザは生活力がないので家がとても汚い。ゼテスが見れば幻滅してしまうだろう。少なくとも広間とゼテスが泊まる部屋くらいは綺麗にしておきたかった。
「行っちまった……」
ゼテスは結局ライザに自分の意志を伝えることができず、ほとんど置いて行かれたような形になった。
「まいっか、適当にライザの好きそうなもん買って帰ったろ」
ライザの意志に従い、ゼテスはライザ邸に泊まることにした。
何が好きか、本人の口からはっきり聞いたことはなかったが、好みそうなものは大体わかっているつもりだった。なんだかんだ野性的なところがある。無難に肉とか好きなんだろう。酒もそれに合いそうなものでいい。
「絶対荷物多くなる……あいつめっちゃ食うし」
愚痴を吐きつつもなんだかんだ楽しみにしていた。この街に到着後に速攻で投獄されたので、この街の食事には全くありつけていない。
何を買うか考えつつ、市場に向かった。
ライザは久しぶりに自分の家に帰った。広間での生活の痕跡は家を出た時のままだ。
この家は一人で使うには広すぎる。だからライザは入り口からすぐの広間を実質的に自分の部屋のように使っている。自分の部屋はちゃんとあるが入口からそこまでいくのがめんどくさいからだ。
「大掃除になるわね」
時間はかかりそうだが、ゼテスを汚い空間に招きたくなかった。
「おかえり」
自分以外住んでないはずの家に、自分以外の声が聞こえた。
声の主を見つける前に、後頭部を強く打たれ、意識がなくなった。
ライザが目を覚ます。自分の身体は地面に横たわり、拘束されていた。両手を後ろに縛られ、足首も縛られている。
それだけでなく体になぜか力が入らない。
自分がいる場所には見覚えがある。自分の家の地下室だ。
目の前にはエルデスが居た。ライザは拘束されているのにも関わらず、警戒して距離をとっている。
「初めから回りくどいことをせずとも、こうすればよかった。お前の家を奪ったのも、空賊をけしかけたのも、お前が誰にも知られない場所で、ひっそりと、静かに死んでほしかったからだ。お前のような人の皮を被った害獣には相応しい末路だ」
驚愕の事実がエルデスの口から次々と出てくる。どうやらこの男は自分のことをずっと殺そうとしていたらしい。
ライザは直ぐにでも怒鳴り返したかったが、何も言い返すことができない。布を口に押し込まれて口を封じられているからだ。
しかもまるで自分を取り囲むように魔法陣が地面に描かれている。魔法陣の周りにも何人かいて魔力を注いでいる。
何かしらの魔術がライザへかけられていることは明白だった。
「何を言っているのかわからないという顔ですねえ」
アンリもいた。口調は敬語だが、明らかに不穏さを帯びていた。
「ライザさん。我々十字軍が追っていた氷狼という悪魔は、他でもないあなた自身なのです」
冷たく鋭いものがみぞおちから頭上まで突き抜けるような感覚がライザを襲う。
嘘だ。絶対に嘘だ。聞きたくない。聞きたくない。
もし本当ならば父親を殺したのは他でもない……。
「そうなんです~。オーリンを殺したのはあなたなんです~。彼は元十字軍の優秀な聖騎士でしたが、ある日我々を裏切り行方をくらませました。まさかこの街の出身だったとはね」
ライザの考えを見透かしたように、アンリは滔滔と話す。
「おかしいと思わなかったか? 父親の死をきっかけに街の人間から嫌われて初めて、除け者にされて」
エルデスの視線が冷たさを帯びていく。人に向ける目ではなく、これから駆除する獣を見るような目になっていく。
「それはお前が狼の化け物だからだ」
頭を鈍器で殴られたような衝撃、心臓が大きく高鳴る。目の焦点が合わなくなってきた。目の前の光景が何重にもブレて見える。
「今のお前自身が一番の証拠だ」
気づけばライザの足が、青白い毛の生えた狼のそれに代わっていた。
最悪のフラッシュバックが起こる。氷狼の記憶が、氷狼の見た景色がライザの頭の中に流れてくる。傷ついていくオーリン、爪に貫かれるオーリン、そして血だまりに沈むオーリン、明らかに命が助からない出血量だった。
自分の流した血の中でオーリンは氷狼を見ていた。
どんな風に見ていた? 父さんは最後にどんな顔をしていた? どんな表情を浮かべていた?
自分を殺した化け物を、最期にどんな目でいていた……?
決して信じたくなかった言葉が、紛れもない事実としてライザに叩きつけられる。
自分の中で、自分じゃない何かが目を覚ましたような感覚がした。
ライザの心が死体のように冷えていく。
嘘だ。そんなはずはない。父さんはたった一人の家族だったのに、あんなに優しかったのに、あんなに強かったのに、私のために色々してくれたのに、そんな父さんを殺したのは……殺したのは……。
なぜ私が殺したの。今までずっと頑張って来たのは、誰にも何の文句も言わせないくらいに強くなったのは父さんのためだったのに、聖炎守護のトップまで昇り詰めて、父さんと自分の存在価値をみんなに認めさせたかったのに。
それだけが、それだけが、私の生きる目的だったのに。私の全てだったのに。
父さんを殺したの私。
私は何? 氷狼なの? 悪魔なの? 化け物なの?
「お前の父親は疫病神で愚か者だ。貴族としてこの街を守る役目を果たさずに飛び出したかと思えば、貴様のような脅威を連れ帰り、その果てに殺される」
「元々オーリンとあなたは血なんて繋がってませんがね。あなたは元々十字軍が開発した悪魔を人の身に宿す生物兵器、魔人なんですよ。せっかく氷狼に適合した素体だったというのに、オーリンがくだらない情に流され、あなたをどこかに連れ去りました。逃げた先が彼の故郷のこの街です」
何も言い返せない。
「あなたも相当な愚か者だ。そこまで強くなったのも、暴力的で怒りやすくなったのも父親のためだというのに……まさか自分の手で父親を殺していたんですからねえ……とんだ笑い話だ」
父親を殺した脅威が自分の中にいる。今のライザはその感覚からどうあがいても逃れようがない。
「オーリンの人生は無価値そのものです。せめてあなたはその人生を、死ぬことによって役立ててください。我々は今から氷狼を解放します。そして氷狼を倒します」
ライザの身体が、ライザではない何かに変わっていく。
人としての手足が、鋭利な爪を備えた手足に変わっていく。歯も牙へと変わる。
同時に体もどんどん大きくなっていく。
「お前にやってもらうことはシンプルだ。ただの物言わぬ死体になれ。お前の死体こそが氷狼という恐怖が消えたことの証明となる。それにこの街の全員が喜び安堵する。理想的で円満な結末だ。この街に必要なのは断じてお前自身じゃない。お前の屍だ」
自分の身体が自分のものではなくなっていく。拘束は解けたが、もう自分の意志では一切体を動かせない。
ライザの身体が変わっていく。
完全に狼のシルエットとなった身体は巨大化していき、地下室の天井をぶち抜いた。
そして、その上の館も崩壊させていく。父親との思い出が無惨にも崩れていく。ライザはそれを止めることすらできない。
瓦礫の山の上にたつその巨体は、陽光の下でも青白く輝いている。
狼だった。
「ウオオオオオオオオオオオン!!!!!!!!!」
氷狼が吠える。
実に十二年ぶりの顕現であった。前回の氷狼の顕現を命懸けで止めたオーリンはもういない。
ライザの身体はもうすでに彼女のものではない。完全に氷狼の身体へと変わってしまった。
その身体はすでに氷狼の意志によって動かされている。
ライザは指の一本すら動かせない。にもかかわらず意識だけはあった。
自分の意識だけが氷狼の身体の奥に閉じ込められたようだった。
目線が高い。氷狼の目を通して見えるものが、ライザにもはっきり見える。
今の自分は化け物の姿なのだろう。聖炎守護に退治されて然るべき存在なのだろう。自分は氷狼ごと殺されてしまうだろう。
だが全てはもはやどうでもよかった。父親を殺したのは自分。その事実を知ってから、事実を事実だと確信してから、ライザの世界は、目に見える全てが煤けて見える。
自分の人生は、無意味、無価値。今までずっと信じてきたものが、自分の人生の拠り所となっていたものが、嫌われ者になりながらも生きてきた理由が粉々に砕け散った。
生きる気力が消えた。氷狼に抵抗する気力がどうしても湧いてこない。
巨大な狼と同じ目線でライザは街に向かった。
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