第10話 ライザの過去

 ゼテスはライザを運ぶ時、ライザの身体に何も負担がかからないように慎重に運んだ。そして運び終えた後も逐一どこか怪我をしていないかの確認を怠らなかった。


「ちょっと運ぶくらいで大げさよ」


 自分の体を何度もジロジロ見られたライザは少し恥ずかしさを覚え、ゼテスの顔を見ずに言った。

「駄目だ。身体が麻痺してるのなら、痛覚も正常じゃない。自分の知らない内に怪我をしていてもおかしくない」


 帰ってきた返事があまりにも理路整然としていたので、ライザは何も言い返せなくなった。

 麻痺状態にあるライザを、ゼテスはあまり長距離は運べない、身体に負担がかかるからだ。そこでゼテスはライザの体から毒が抜けるまでの五日間を過ごす拠点を一箇所に定めた。

 拠点は竜巣地帯の一角、甲竜の巣だった。


 甲竜は亀のように背中に頑丈な甲羅を持ち、鋭いトゲのある尻尾が特徴的だ。草食のため温厚な性格で人は襲わない。

 それ以前に、竜巣地帯は人間なんてほとんど来ない故に、人間に対しての警戒心が全くない。

 小型の肉食竜程度なら尻尾の攻撃で簡単に追い払えるので、ライザの安全も多少はマシになった。

 甲竜は群れでいくつもの巣を作り、共同で卵の世話や子育てをする。外敵に数の力で対抗するためだ。


 新しい命を育む巣の中の一つに、ライザとゼテスはいた。

 巣の形は円形の大きな窪みのようで、寝っ転がるにはちょうど良かった。


「うえええええ~」


 ライザは甲竜に顔をべろんべろん舐められている。麻痺してるので一切の抵抗はできず、されるがままである。

「気に入られてて草」


 されるがままのライザをゼテスが高みの見物をした。


「あ、僕は結構なんで……あひぃん」


 ゼテスは顔舐めを断ろうとしたが、最終的にべろんべろんにされた。


「良かったわね。私たち二人共受け入れてくれるみたいよ」

「そっすね……」


 結局二人とも甲竜のよだれ臭くなる。

 甲竜の小さい子供が何匹か、ゼテスとライザのいる巣へと入ってきた。


「ほ~ら子供の甲竜が寄ってきた。初めて見る人間に興味深々だ~」

「か、かわいい……」


 ライザも子供の甲竜に囲まれることなど経験したことがなかった。

 子供の甲竜は犬と同じくらいの大きさだ。瞳はつぶらで、甲羅も尻尾もまだ成長段階のため、身体が全体的に柔らかい。

「キュルルルルオン」


 大人の鳴き声と比べて、子供の鳴き声は高く愛嬌がある。

「かわい~」

「俺は~?」

「はいはい、かわいいかわいい」

「きゅるるるるおん」

「無駄に似てるのが腹立つわ~」


 この場でしか役に立たないであろうゼテスの特技。即興の割りにクオリティ高く、ライザは嘘をつくのも嫌なので、ウザいと思いつつも素直に賞賛した。

 やがて、二人共空腹になったので、ゼテスはライザを背負って食料調達に行く。




「これは?」

「いける」

「これは?」

「火通せばいける」

 甲竜の巣からあまり離れるわけにはいかない。

 ザテスはライザを背負いながら、巣の周りを歩き回った。見つけた動植物などを全て、食用可能であるかどうかを一つ一つライザに聞いた。


 ゼテスの看護は、ライザが驚くほど繊細かつ丁寧で、隅々まで細かい気遣いが行き届いたものであった。

 食事一つをとっても、万が一のことが起こらないようにゼテスも毒見をする。安全が確認できないものは絶対にライザに与えなかった。ライザが飲み込みやすいように作る料理の具材は、細かく刻む。


 甲竜の巣にいるといっても油断はせず、見張りを怠らない。ゼテス本人はなんてことないように振る舞っているが、ライザが麻痺になってから、一睡もしていない。下の世話も嫌な顔をしない。

 ゼテスはライザのために多大な労力をかけている。だというのにゼテスは不平不満を一つも漏らさなかった。


 ライザには家族も友人もいない。ここまで優しく扱われたのは、数十年振りであった。今は亡きライザの父以来である。


 自分では気づいていないが、ライザの情緒はめちゃくちゃになっていた。

 優しくて温かくて、不器用ではあったが、男手一つで育ててくれた父親。その父親がこの三日に渡ってライザを手厚く看護したゼテスと、どうしても重なる、重なってしまう。


 特にライザは父親に歯磨きしてもらうのが大好きだった。

 歯磨きをしてもらうと頭がふわふわと、心地よい浮遊感に包まれる。

 奇しくも、麻痺で動けない今、ゼテスにも歯磨きをしてもらっている。

 その手つきもやはり丁寧で、腹正しいことに父親の面影を重ねてしまう。


「ほ~ら見てごらん。ライザの歯型だよ~。綺麗な歯並びだね~」


 こういうところがなければだが。


 ゼテスがライザに噛まれた腕を見せてきた。歯を磨いた後には毎回こうする。

 これは別に嫌味とかではなく、単純に見せたいから見せているに過ぎない。飼い猫が飼い主に仕留めた小鳥を見せるのに似ている。なんなら岩竜の子供とかにも見せている。


 明日でちょうど麻痺毒が抜ける。その前日の夜。


『私ね、大きくなったら父さんみたいな聖炎守護になるの』

『それは嬉しいな。ライザは俺の子だから、絶対に強くなれるはずだ』

『うん!』

『父さんもな……昔はなりたかったものがあったんだ』

『何それ?』

『俺は俺の恩人みたいになりたかったんだ。ライザとこうしていられるのもその恩人のおかげなんだ』

『その恩人ってどんなやつ?』

『やつて。う~ん……ライザにはまだ難しいかもな。もっと大きくなったら話そっかな』




「父さん……」


 ゼテスのせいで父親の夢を見たライザが寝言を呟いた。


「……ツ!」


 それどと同時に目が覚める。ゼテスに聞かせるにはあまりにも恥ずかしい。


「今の聞いてた?」


 ゼテスは相変わらず見張りをしている。


「何が~?」


 聞こえていないようだった。


「いや、何でもないわ」

「パパって言うかと思ってたわ」

「聞こえてんじゃないの!」


 ふざけたゼテスを殴れる程度には、ライザの身体も回復してきていた。


「そうだ、これいる? 暇だから作った」


 ゼテスが平べったい石ころを二つ、ライザに見せた。


「これが俺、これがライザ」


 石の表面にはそれぞれ、ゼテスとライザの顔が描かれてある。らしい。

 らしいというのはその絵が子供の落書きとでも呼ぶべきか、下手な割に特徴を捉えており、なんともいえない味があったからだ。


「いらない」


 ライザが石ころ二つをはたき落とした。


「ねえ、聞きなさいよ」


 ライザは星空を見上げながら、ぶっきらぼうにゼテスに言った。

 ゼテスが石ころ取り出したのは彼なりの気づかいのつもりだった。


「私のこと、なんであんな家に住んでるのか気にならないの? さっきの寝言も」


 聞けとは言っているがその実、知って欲しいというのが本音だ。

 聖炎を持ち帰れば、ゼテスは無罪放免。またどこかへ旅立ってしまう。

 孤独な日々に戻る前に、一人でも自分のことを、偏見抜きに正しく知ってくれる人間がいることが救いになると思った。 


「辛気臭い話は嫌いだぜ」

「そう……」


 ゼテスはあまりつまらない話をしたがらない。ライザはそれをなんとなく理解していた。


「独り言でいいなら聞いてやる」


 しかし、ゼテスは気にはなった。あそこまで街の人間から嫌われるライザの素性を。


「じゃあこれは、独り言なんだけど……」

「独り言に前置きするタイプ?」

「ぶん殴るわよ」


 そうは言っても、このやり取りで少しだけライザの気がほぐれた。ライザとて他人に自らの生い立ちを話すのは初めてのことであった。


「私はね、家族は父さん一人だけだったの。聖炎守護としてこの街を守ってて忙しくて中々一緒に過ごせなかったけど、強くて優しくカッコよくて自慢の父さんだった」


 ゼテスが何も言わず、真剣にライザの話を聞く。


「父さんは私が五歳の時に、氷狼っていう悪魔が街を襲って、町を守るために死んだ」

(だから氷狼の情報を聞いた時に、ああなっていたのか)


 アンリから氷狼の情報を聞かされた時、ライザは動揺し、手配書を強く握っていた。


「それから、街の人たちが私を避け始めるようになった。友達もいなくなった。でもそんなの関係なかった。父さんが死んでからも、私の夢は変わらなかったから。父さんみたいになりたかったから、私も聖炎守護に入った。その中で最強になりたかった」


 むしろ、父の死をきっかけにライザの夢に対する想いはより一層大きくなった。父親のように強くなるために、どんな苦痛すらも耐えた。日々、強くなるための歩みを止めなかった。


 寝る間も惜しんで自分の腕を磨いた。任務があった日も鍛錬を欠かすことなく、肉体をいじめぬいた。剣も何百本も使い潰し、打ち込み用の人形も何百体もぶち壊した。


 鍛錬に次ぐ鍛錬は功を奏した。

 事実、ライザは聖炎守護では一番上の総長に次ぐ地位の幹部まで昇り詰めている。


「父さんのことを悪くいうやつは全員叩きのめした。相手が誰であろうと」


 自分が嫌われ、蔑まれる以上に、父親への侮辱が許せなかった。


 その内孤独よりも、怒りを感じるようになっていった。なぜ父親が侮辱されなければいけないのか。父親を悪く言う人間はそこそこ多かった。


 ライザは次第に、その状況自体に恒常的な怒りを覚えるようになっていた。すぐに怒り、すぐに手が出るのもこれに起因する。


 自分のもっとも大事な人間を馬鹿にされれば、誰かれ構わずに食らいつく。真っ正面から決闘を挑み、問答無用で容赦なく倒す。途中から相手の数が増えようとも、全員まとめて瀕死の目に合わせたこともある。卑怯な真似をされても力づくでねじ伏せたこともある。


 そんなことを繰り返すうちにライザは狂獣令嬢と呼ばれるようになった。物理的に強いから誰の手にも負えないのだ。


「私や父さんのことを嫌う連中に吠え面かかせるのは楽しかったわ」


 しっかりと目的の過程を楽しむ程度には、ライザはタフで図太い。


「いい性格してんねえ!」

「ふふ、ありがと」


 苛烈で暴力的すぎるが、自分の大事な人間のために、強く、真っ直ぐストイックに生きてきた。


「今の話を聞く限りライザはさぁ……」


 その生き様をゼテスは心の底から認めていた。


「芯の通った生き方してると思うぜ」


 嬉しかった。その一言で、ライザはやはり救われた気になったが、すぐに振り払った。他人から認められたことに、喜ぶのはまだ早い。


 まだ、目的は達成していない。父さんのようになる。つまりは聖炎守護で最強になる。というのはまだ達成できていない。ライザの上にはまだエルデスがいる。あと一歩なのだ。


 氷狼もまだ倒していない。氷狼を倒すことも人生をかけた目的なのだ。

 やるべきことはまだまだあるが、ライザはゼテスに言いたいことがあった。


「ありがとねゼテス。聞いてくれて」


 ゼテスがしばらく硬直する。


「今、俺のこと名前で呼んだ?」

「言ったわよ? それがどうしたの?」


 感動するゼテスに、ライザは困惑した。


「だってさあ、今までずっとあんた呼びだったじゃん。それが急に名前呼ばれてさあ……こう、距離が近づいた感じがして感激しちゃう」

「本人の前で言うそれ?」

「もっと呼んで!」


 ライザは恥ずかしくなったが、恥ずかしがれば余計に相手の思うつぼだと思い、開き直ってゼテスの言うこと聞き入れた。

 今のゼテスにとって、ライザに名前を呼ばれることは金銀財宝よりも価値を持つ。


「ゼテス!」

「ああいい!」

「ゼテスゼテス!」

「もっとだ!」

「ゼテスゼテスゼーテース!」

「寝よっか」

「急にスンッってならないで」


 夜が更けていく。

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