第7話 精霊湿原でワニを食う

「ワニを食うわよ」

「ワニ」


 空腹を感じたライザが呟いた。


「ぼっそぼその携帯食料ばっか食ってられないわ。ここでガツンと野生の肉を食うわ」

「いえ~いタンパク質大好き」


 聖炎守護で支給された携帯食は、ただ栄養補給を目的としただけである。食えない味ではないが大しておいしくない。何度も同じものばかり食べていると飽きがくる。


「ワニなんかこの森におるんか?」


 ゼテスはその辺で拾った棒をぶんぶん振っていた。


「そろそろ森を抜けるわ」


 ライザの言う通り、しばらく歩くと周りを取り囲む木々が途切れた。


「おお~」


 ゼテスは目の前に広がる湿地帯に、感嘆の声を上げた。緑だけでなんの代わり映えもしなかった森に比べて、水場の景色は新鮮だった。


「あ、妖精さんだ!」


 ゼテスが妖精を見つけてはしゃいだ。駆け寄ろうとする先には確かに妖精らしきものが二匹いる。二匹は人間でいう全裸のような姿だが、肌も髪も水色で薄く光っており、水場の上で艶めかしく絡み合いながら踊っている。


 その景色はなんとも幻想的で、ゼテスの好奇心がモリモリ刺激された。


「フン!」


 ライザが火球を放った。妖精二匹が燃えあがる、幻想的な光景が一瞬にして地獄絵図と化す。すぐさま妖精たちは水中に引っ込んだ。


「あーっ! 何するんだよライザ!」


 突然の暴挙にゼテスが抗議の声を上げた。


「よく下を見てみなさい」


 ライザの言葉に従って下の方、透き通った水を見通す。


「ワニだ!」


 デカいワニがいた。


「妖精はそのグロウダイルの疑似餌よ、あんたみたいにおびき寄せられた獲物をバクっといくのよ」


 疑似餌が光る様からそのワニはグロウダイルと呼ばれている。

 ゼテスが見つけたグロウダイルは疑似餌を引っ込ませ、逃げていった。


「ワニ逃げちゃったぞ」

「あんなのはまだ小さいわよ。私が狙うのはもっとデカいやつ。成長した個体ほど疑似餌の妖精がより多くなる」


 グロウダイルはこの湿地帯に多く生息している。故に疑似餌の妖精があちこちで踊る光景が見られるこの場所は、精霊湿原と呼ばれている。

 幻想的な響きだが実態は恐ろしい。


「それ、よこしなさい」


 ライザがゼテスの持っていた木の棒を指差した。


「やだ」


 この棒はゼテスが見つけたものだ。振り回すのにちょうどいい長さの棒である。


「やだじゃない」


 ライザが一瞬にして木の棒を奪う。


「あーっ! 返せよ俺のエクスカリバー!」

「ただの棒きれに意地張ってんじゃないの」


 ただの棒ではない。確かにその辺で拾ったが、ここまで真っ直ぐでちょうどいい長さの木の枝はそうそう見つかりそうにない。その希少性を指してゼテスはエクスカリバーという名前をつけていた。


「エクスカリバーだぞ!」

「だったら何よ」


 ライザにとってはそんなこと知ったこっちゃない。

 ゼテスがかなり気に入っていた棒を、ライザは容赦なくナイフで先端を尖らせていく。

 元の面影がどんどんなくなっていく棒。ゼテスは歯ぎしりした。


「エクスカリバーは誰かを傷つけるための道具じゃねえ……!」

「お、あのワニ中々デカいかも」

「まじ? どこ?」


 ゼテスの興味が一瞬で木の棒からワニに移った。ウルダラークを見れなかった分、余計にグロウダイルを見るのが楽しみだった。しかも大きい個体ときた。


「うわホントだ! 妖精がいっぱいいる!」


 遠くにいるが、十匹以上の妖精がフラフラと踊っている。疑似餌だとわかってはいてもやはりその光景は美しく、ゼテスのテンションが上がった。


「アレを食うわ!」


 ライザも同じく、デカめのグロウダイル、つまり食べ応えのある大量の肉に心を躍らせていた。

 二人は軽やかな足取りで、獲物の近くまで進む。

「一発で仕留めてやるわよ」


 ライザは木の棒を片手に意気込んだ。 

 デカいワニを相手に木の棒。木の棒自体は何の変哲もない。ワニに突き立てればぽっきりと折れてしまいそうだが、そこはライザ地震の闘気がものを言う。

 ライザが自分の身体に闘気を纏う。その闘気を、木の棒に集中させた。


「フンッ!」


 槍投げの要領で、木の棒を勢い良く投げる。

 バシャリと、水飛沫が上がった。

 踊っていた疑似餌が引っ込むと、デカいグロウダイルの死体が、腹を上に向けながら浮いてきた。


「や~りぃ」

「うんま~。習ってた?」

「一人で何度も仕留めたわ!」


 ライザの投擲は正確にグロウダイルを貫いていた。ただの木の棒をワニの鱗を貫くまで強化する闘気と、正確にグロウダイルを貫く腕の良さに、ゼテスは感心した。


 ライザもゼテスからの感謝に自尊心が多いに満たされた。

 グロウダイルの狩りがどんどん上手くなっても、今までにその腕を賞賛されたことはない。ゼテスが初めてだった。


「こいつの肉は美味いわよ~! 感謝しなさい!」


 ライザが木の棒に括り付けた縄を引っ張りながら、嬉しそうな顔をした。

 ゼテスも一緒に縄を引っ張り、ワニの死体を陸へと引き上げた。腹も大分空いている。ライザのお墨付きの上、初めて食べるグロウダイルの肉に期待が止まらない。


「ありがとなライザ!」


 ゼテスは心が躍った。初めて見るワニを食えるというのだから、しかもライザのお墨付き。どう料理しようかとあれこれ思考する。


「ふむ、やっぱ美味いわね」


 ライザの方を見れば、なんとワニの生肉をそのまま食べてた。

 ゼテスは唖然とした。


「どうしたの?」


 ライザはいたって自然に生肉を食べている。まるでそれ以外に食事の方法を知らないかのように。こんなところでも狂獣令嬢という異名が顔を覗かせる。


「いっつもそうやって食べてるのか?」

「私は腹下したりしないわ。たまに火を通す程度ね」


 食い方が蛮族過ぎる。


「没収! 生食禁止!」


 ゼテスがライザの手にしていた肉塊をぶんどる。ライザに背中を向けて肉を守る姿勢に入る。


「あ! 何すんのよ返しなさい!」


 ライザがゼテスの背中を小突き始めた。はたから見れば微笑ましい光景だが、ライザは結構強めにシバいている。


「やだ! 料理したいもん!」

「自分の分だけすればいいじゃない!」

「やだ! ライザの分もする!」 


 一緒に同じものを食べないと、美味しいものを共有しないと、一緒に冒険している意味がない。道案内してくれているライザへの恩返しのつもりもあったが、ゼテスの絵面はまるで駄々っ子だ。

 ゼテスはワニを調理して食べた経験があるので、ライザの行為はかなりもったいなく感じた。


「こんなうまそうな肉、ただ生で食べるなんてもったいない~。料理させて~」


 ゼテスは肉を抱えて頭を下げるようにうずくまる。

 ムキになるのではなく、ただひたすらに哀願するという姿勢に、ライザは少し料理に対する興味が湧いた。


「そこまで言うんなら、料理してもいいわよ」


 ゼテスがこれほどの執着を見せたのだ。どんな料理ができるのだろうとライザは期待した。


「やった~!」


 そしてこれほどまでにウキウキするのだ。さらに期待は膨らんだ。

 ゼテスは早速ワニを解体し、料理に取り掛かった。炎も自分の権能で一瞬でつけた。


「じゃあなエクスカリバーくん」


 ゼテスは気に入っていたはずの木の枝を容赦なくへし折り火の中に放り込んだ。ゼテスからすれば何でもないことだったが、やはりライザは木の枝よりも優先された料理に、より興味が湧いた。

 ゼテスが、自分の出した魔法陣に手を突っ込み、調理器具一式と色んな調味料を出した。


「まずはワニ肉に塩コショウを振って下味をつける」


 並べられたワニの肉に、ゼテスが塩コショウを振る。慣れた手付きであった。


「先に刻んだニンニクをオリーブオイルで炒める。香りが飛ぶとダメだから弱火で」


 ゼテスのフライパンからは、ふつふつと音が出始めた。

 ニンニクのいい香りが二人の鼻孔をくすぐる。


「ニンニクがきつね色になったら肉を入れる」


 ワニの肉塊が、ドジュウと豪快な音を立てながらフライパンの上に置かれた。

 肉の焼ける香ばしい匂いが当たりを漂い始めた。

 ゼテスは料理をしながらも、その完成に期待しすぎておかしくなる。


「ぐへへ……たまんねえ」

「キャラ変わってるわよ」


 チンピラみたいな口調になったゼテス。それに突っ込むライザ。

 しかしライザ自身も初めて食べるワニ肉のステーキ、その味を想像すると無性にワクワクする。


「片面が焼けたらひっくり返して蒸し焼きにする」

「……できた?」


 肉に火が通ったのを見て、ライザがそわそわしながら聞いた。


「まだだ! 肉はしばらく休ませて、残った油に赤ワインやらなんやらをいれてソースを作る!」


 ゼテスの料理の手際はやたらと良かった。

 料理などしたことがないライザにとって、ゼテスの料理はまるで手品か魔法のようだった。

 ライザの目もまるで初めて見るものに興味津々の子供のようだった。


 ゼテスはライザの前に皿を出した。

 付け合わせもなしにデカい肉の塊が皿の上に乗っている。 

 ライザはそれをまるで宝物のように見た。


「ほら食え」

「先に食べていいの?」

「ああ、俺が好きでやったことだからな。それくらい当然だ」


 ゼテスも腹は減っていたが、それは我慢した。ライザに料理がいかに素晴らしいものかを伝えることが最優先だ。

 ジュウジュウと小気味いい音と、肉が焼けた時独特の匂いが、ライザの食欲を刺激する。


「そう、ありがとう」

 ライザにとって、誰かに料理を作ってもらったことは本当に久しぶりだ。十数年ぶりの料理の振る舞いに自然と頬が緩み、心から感謝した。


 ライザはぎこちない手付きでフォークとナイフを使って肉を一口大に切り分けた。フォークとナイフを使い慣れてないのが丸わかりだった。


 しかし、それでも目の前の料理を、そのままかぶりつくのではなく、ちゃんとした手順で食べようとしているライザには誕生日ケーキで口の周りを汚す幼女のような愛くるしさがあった。


 ライザが切った肉を口に入れ、咀嚼して飲み込む。


「美味しい……」


 ライザの賞賛の言葉はごく自然に発せられた。


「……だろ?」


 ゼテスはその言葉を確信していた。

 ライザはもう一度肉を切り分けて口に入れた。


「止まらないわ!」

「ちゃんと噛んで食えよ~」


 ライザは次々と肉を口に運ぶ、早食いに見えるがちゃんと咀嚼自体も回数をこなしている。


「肉を歯で押しつぶすと直に弾力のある厚みを感じられ、温かい肉汁が噛めば噛むほど溢れてくる! 甘酸っぱいソースの味が、肉の味をさらに引き立たせる!」

「上手いな~食レポ」


 初めて食べる料理にライザは喜びっぱなしだった。

 それを見てゼテスも、満ち足りた気分になる。料理してよかったと、心から思った。


「ごちそうさま。すごく美味しかったわ」


 ライザは常人よりも遥かに早く肉を食べ終えた。肉が消えて、油が残った皿を名残惜しげに見つめる。


「あんたが空賊やってるのって、こういうことのためでもあるのよね」


 空賊として未知の土地に行き、未知の食を味わうこと。

 その醍醐味をライザは今の料理で理解した。


「まあな、これがあるからやめらんねえのよ」


 ゼテスはワニ肉のステーキを一口も食べていないが、ライザの反応を見て味への期待を深めた。


「ねえ、私まだ食べ足りないから……」


 肉はそこそこデカかったが、ライザはまだ全然いける。ワニ肉もまだまだ有り余っている。


「料理ってのを教えてよ」


 ゼテスとは別れてしまう日がいつかくる。

 だがその前にこの味を自分でも再現できるようになりたいとライザは願った。


「いいぜ」


 すぐに帰って来た返事にライザの顔が明るくなる。

 ライザはゼテスにビシバシ教えられながら、必死で料理の知識を自分のものにするべく、ひたすら頑張った。




「ライザがいてよかった」

 

 食後に、ゼテスはなんとなくそう呟いた。


「へ?」


 ライザはこういうことを言われた経験が皆無で、素っ頓狂な顔をした。


「ライザがいてよかった。ライザがいなかったら、ワニを見つけることも、デカいのを見分けることも、食うこともなかった。こんなに美味い肉にありつけたのはライザのおかげだ。ありがとな」


 自分ではよくわからないが、ライザはゼテスの言葉を聞いて、何か得難いものを得た感覚があった。


 ライザは他人から疎まれ、蔑まれ、存在を必要とされてこなかった。それ故に、ゼテスが当たり前のように発した言葉が、心に深く深く刻まれていくのだった。自分が他人から必要とされている。それがわかった瞬間、心がざわつくほど嬉しかった。


「これぐらい当然よ」


 ライザがゼテスに返した言葉は少し上ずっていて早口だった。

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