第4話 狂獣令嬢、その名の由来
ドン、とゼテスの肩が誰かとぶつかった。
「あ、すいませ」
ゼテスは謝ろうとした。が。
「チッ」
ぶつかった相手は舌打ちをした。それが気にくわなかった。空賊は相手が誰であろうと、なめられたら終いなのだ。
「オイィ!」
と怒号を放ちつつ、振り向きざまに裏拳!
手応えあり。ぶつかった相手は側頭部を抑えながらうずくまった。
相手は一人の男。十字のマークを意匠とした制服を着た騎士だった。
「てめー今舌打ちしたろ……」
「だからなんだ? 聖騎士様にこ、こんなことをしておいて……何様のつもりだ……?」
向こうは五人で歩いていた。全員同じ制服を着た騎士である。仲間の一人が喧嘩を吹っ掛けられたと思い、他の四人も喧嘩腰になる。
「はい。大馬鹿はっけ~ん」
「おいおい俺たちが誰かわかんねーのか、にーちゃん? 天下の十字軍の聖騎士だぞ?」
「しょうがねえよ。ここの田舎モンどもは聖炎の加護とやらで頭やられてっからなー!」
「「ギャーッハッハ!!」」
五人が五人とも下品な笑い声を出す。聖騎士は五人とも、虎の威を借りる狐のお手本のようだった。
十字軍は巨大な確かに勢力だ。この街を守る聖炎守護とは比べものにならない規模だ。
だが、そんなことはゼテスにとって関係ない。相手が誰であろうとムカついたやつには容赦をしない。二度と歯向かう気が起きない程度には痛めつける。
「お互い様だろうが……。お互い謝って気を付けましょうねで済む話だったんだよてめえが舌打ちなんざしなけりゃあよお……」
ゼテスはそれらの挑発にはあえて反応しなかった。あくまでも自分の標的は肩がぶつかったやつ、ただ一人である。
(ちゃんと舌打ちを舌打ちだとできるのね……)
とライザは冷静に喧嘩の成り行きを見ていた。
「無言でもギリ許したぜ俺はぁ! それを舌打ちだぁ!? なめてんじゃねーぞ!」
ゼテスが自分の標的を首を片手で持ち上げて、締め上げた。一連の動作はかなり素早く、聖騎士五人の反応を置き去りにする。
「なんだこいつ!? やっちまえ!」
「聖騎士様に盾突いてんじゃねえよ田舎モンがぁ!!」
他の聖騎士四人がゼテスを取り囲み、殴る蹴るの暴行を始めた。
「見ず知らずの相手だからこそ波風を立てないために良識的な対応が必要なんだろうがぁ!」
「かってえコイツ……!! なんて闘気だ……!!」
ゼテスは聖騎士四人に囲まれて殴られながらも傷一つつかず、微動だにしなかった。
「相変わらずてめえら聖騎士は癇に障るぜえ。俺がぶん殴りてえのはてめえだけだ! 喧嘩売ってきたのはてめえ個人なのに組織の威光を振りかざしてイキってんじゃあねえチンカス!」
まるで他の四人を存在しないかのように扱い、舌打ちをした聖騎士に怒号を放つ。
「ちょっと」
今まで冷静に見ていたライザがそこで初めて口を挟んだ。
「その辺にしときなさいよ。一発殴ったんだからもういいでしょ?」
「ライザ……」
ゼテスが怒りを引っ込める。
ライザの目は怒ってるというより、それ以上そんな奴らに構うな、と言っている。
それもそうだった。ライザは何回か時間がもったいないという発言をしていた。
ゼテスが聖騎士から手を離した。その聖騎士「ぐぇっ」っと呻きながら地面に落ちた。ライザのそばに駆け寄る。
「怖かった……」
「はいはい」
ライザがふざけて急に猫を被るゼテスに呆れた。しかし、これがいつものゼテスだし怒っているよりかはこっちの方がいいと思い始めた。
「それで俺たちを助けたつもりかよ。私喧嘩止めたよーってパパに褒めてもらいたいのか?」
それでもなお聖騎士は挑発してきた。今度はゼテスではなくライザに対して。
「あっライザ!」
ゼテスがライザの名前を言い終わる頃、ライザは聖騎士五人を全員ぶん殴っていた。
こればかりは相手がゼテス以上に悪かった。必然の惨劇。五人の聖騎士が全員、顔面に重たい一撃を受けて宙を舞った。そして、頭から地面に落ちた。
すでに全員気絶している。
(怒と暴が早すぎる……!)
ゼテスは戦慄した。
ライザは、怒りを感じてから暴力を振るう、という段階を経るのではない。怒りを感じた瞬間にはもうすでに暴力を振るっているのだ。喧嘩っ早いとかそういうレベルではない。
怒りから暴力へのタイムラグは無い。反応、思考、行動にまるで継ぎ目がない。
しかも全員の顔面にはえげつない暴力の爪痕がある。前歯がない。鼻が折れている。顎が外れている。
ライザの暴力は一欠けらの慈悲も容赦もなかった。ゼテスですら、聖騎士に対しては怒ってはいたが、暴力自体は手加減していた。ここまで痛めつけるつもりはなかった。
狂獣令嬢、ゼテスはその名の所以を肌で感じ取った。
「また例のメスガキが騒ぎを起こしてる……」
「しかも十字軍の聖騎士相手によ……」
「これを機に十字軍が退治してくれないかしら……だってあの子本当は……」
「ちょっとそれ以上先は禁句よ。名前を言うのすら忌々しいんだから」
街中での暴力沙汰に、また周囲に人だかりができてしまう。
「見せもんじゃねーぞ。散れ散れ~」
ゼテスが人だかりを追い払う。今度ばかりは応援ありがとうなんて言うわけにはいかない。言えば狂人だ。
あろうことか、ライザはオーバーキルを始めた。聖騎士の腕に片足を乗せ、メキメキと体重をかけて骨を折ろうとしている。
「ちょいちょいちょい、流石にそこまでやったらもういいでしょ」
一瞬で炸裂したライザの怒と暴を目の当たりにしても、ゼテスは前と変わらぬように接した。
「……」
ライザがゼテスに振り向く。怒りをぶちまけている最中の自分に、話しかけることのできる人間はゼテスが初めてだった。
「そうね……。もう行きましょ」
ライザも怒りを引っ込めた。
「いやあ~、申し訳ありません、私の部下が迷惑をかけたようで。私はアンリと申します」
二人が気を取り直し、その場を去ろうした。
その時、聖騎士がもう一人、二人の元にやって来た
迷惑をかけた。というには余りにも一方的に振るわれた暴力の惨状がそこにある。
しかし、新しく来た聖騎士の男、アンリは、それを全く気に留めていない。
「一部始終を見ていた子供から聞きましたよ。なんでも事の発端は肩のぶつかり合い。それから私の愚かな部下があなたのお父様を侮辱したそうで」
ピクリと、ライザの肩が震える。
「物言わぬ部下に代わって深くお詫び申し上げます」
「私たち聖炎守護にも面子がある。十字軍だからといってあんまりこの街でデカい面させないようにちゃんとしつけなさい。そうすれば水に流すわ」
ライザの聖炎守護内での地位は総長に次ぐ。組織としてのやり取りをできる程度には高い。
「寛大なお心遣い、誠に痛み入ります」
アンリは倒れている騎士五人を他の部下に連れて行かせた。
「ところで……この街の聖炎が消えたと耳に挟んだのですが、今から聖炎祭壇までへと向かうつもりなのでしょうか?」
周囲に聞こえないように、アンリは小声で話した。
「ええそうよ。それが十字軍になんの関係があるのかしら?」
「我々十字軍もあなたたち聖炎守護とは信仰の違いはあれど、神の従僕として人々の生活を守ることを生業とします。同じ人の営みを守る者として、この街の現状は見過ごせません。我々もその道行きに同行させてはもらえないでしょうか?」
ライザはその提案を受け入れる前に、ゼテスを見た。罪人といえど意思は尊重しておきたい。
「有難い提案ですが、丁重にお断りさせていただきます」
ゼテスは考えるまでもなく即座に返答した。
「これは俺の贖罪も兼ねてるんすよ。無関係な十字軍を巻き込むわけにはいかないすね」
「ええわかりました。この私は勿論、選りすぐりの部下を何人か同行させま……」
ゼテスの返事が、アンリの期待していたものと食い違い、アンリが勝手に話を進めようとしたが……。
「しょしょっしょ正気ですか!? 聖炎祭壇までは獰猛な魔物の縄張りをいくつも通るんですよ!? あたった二人だけで!? 群れで獲物を狩る魔物だっているというのに!?」
アンリは提案を受け入れてもらえると確信していた。断られたのは予想外だったようで、うろたえつつも二人に忠告した。
「ご心配なく、俺は一人で旅を続けてきた者から、多少腕に覚えはあるんす」
アンリはありえないといった表情で、ゼテスを見た。
めんどくさそうだと思ったゼテスは、ライザに助けを求めるように視線をやった。
「そうよ、それに土地勘ない人間が大勢でこの辺歩き回るのは危険すぎるわ」
「でもなんだかんだで好きにしろって言ってくれるんでしょ?」
アンリがやたらと馴れ馴れしくなりながら食い下がる。
「うるせえわよ」
ライザはそれを無下に断った。
「んじゃあそういうことなんで。グッバイ」
ゼテスがそう言い残し、二人はアンリを置いて行こうとした。
「同行は諦めます。ですが一つ、忠告させてください」
アンリが二人の肩をニュルっと掴む。
「最近、この辺りに危険な悪魔、紅翼が出没したとの報告がありました」
ゼテスがアンリの忠告に目を細める。
アンリが二人に、紅翼の手配書を手渡した。
人に翼が生えたような姿をしている。後ろ姿で顔は見えない。
その異名の通りの紅色の翼が手配書の中にある。翼は禍々しくも神々しい雰囲気があった。
悪魔のような形の翼だが、皮膜の部分は紅く輝く天使のような羽で構成されている。
写真の下に記された懸賞金の額は億を軽く超えていた。
「ふ~ん、結構強いのね」
ライザが手配書を凝視しながら言う。アンリの忠告にはまるでビビっていない。
「結構なんてもんじゃないですよ。こいつを討伐するのに十字軍では結構な人員を割いたのに、未だに傷一つ付けた報告すら上がってないんですからね。十字教の聖職者を、何十人も殺して回ってるんです。悪魔の中でもとりわけ強力な個体、魔王級です。飛可戦力の中じゃ最強クラスですね」
「飛可戦力って何?」
ライザが聞きなれない言葉の意味を聞いた。
「飛行可能戦力の略です。飛空艇や天馬車などの乗り物に頼らず、そいつ個人の力だけで空を飛び、空大陸から空大陸へ移動することができるやつのことです。その性質上、所在が掴みにくく厄介極まりない」
アンリは完全に紅翼を恐れていた。
そうなるのも無理はない。アンリの属する十字軍は世界で最大規模の勢力を誇る。ライザの属する聖炎守護よりも遥かに強大であり、質も数も優に上回る。
その十字軍が膨大な人数と時間をかけて追っているのに、未だに捕まらない。多人数の聖騎士を相手に勝つ単純な強さと、毎回逃げ切る狡猾さを併せ持つということだ。それに加え狂気じみた執念で聖職者を殺して回ってる。懸賞金の額も十字教にとっての危険性を考慮されたものだ。
十字軍は全知全能の神と神の子を信仰する十字教を母体とする。十字教は広い地域で信仰されており、ゼテスですらその存在と大まかな教義の内容を知っていた。
十字教は布教を名目に大体どこにでもいる。しかし、十字教は一神教であるために、聖炎自体を信仰するこの街の住人にとっては、信仰的に溝があった。
「とんでもないやつだな! 人として許せねえぜ!」
ゼテスが紅翼の所業に怒りを覚えた。
「だからもし道中、やつと遭遇しても絶対に闘わずに逃げてください」
「ふん、大丈夫よ。もし見つけたら倒しといてやるわ」
「あなたのような美しい方に何かあっては、それは世界の大きな損失だ」
「そ、そうよね。まあ別に紅翼を倒すことが私たちの目的じゃないし……」
ゼテスは安い社交辞令で喜ぶライザを見て良からぬ考えが浮かぶ。
(実はチョロいなこいつ……俺も今度その手を使おう)
ライザに殴られそうになっても、媚を売って暴力を回避できれば儲けものだ。
ライザ相手に殴られないように振る舞おうという発想がないあたりゼテスはかなりふてぶてしい。
「それと他にも気をつけるべき悪魔が……」
アンリが手配書をもう一枚手渡した。
それを受け取ったライザの表情が消える。
「そいつは氷狼という名です。紅翼と同じくらい危険な悪魔で……」
ライザが氷狼の手配書をクシャリと強く握る。
「ライザ?」
ゼテスがライザの顔を覗き込んだ。少し心配だった。
「……何でもない。氷狼もこの辺りで目撃情報があるのかしら?」
「ええまあ、くれぐれもお気をつけてください」
「情報提供ありがとう。気をつけるわね」
二人はアンリと別れ、町の入り口についた。
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