番外編41 女は強し(グレイ編⑫)




 太腿に巻き付けたベルトからソレを引き抜いたジャスミンは腕を上下に打ち振り、赤い扇を広げた。



「これまた大勢が雁首揃えておいでで……。ジャスミン様、モテモテですね」


「あら、私は貴方一筋よ?」




 背中合わせに立つグレイとジャスミンは、ぐるりと周囲を刺客に囲まれた状況にも顔色一つ変えずに軽口を交わしていた。


 どこまでも緊張感のない二人である。



「ジャスミン様がご自分で招待なさった刺客と、懲りない王女殿下たちか或いはジャスミン様と王太子の結婚に反対する貴族の手の者、そして我らが故郷からのおくりものといったところですかね?」


「あら、よくわかっているじゃない」


「こういうのは専門分野ですから。ここは問題ないとして、公爵様の方は大丈夫なんですか?」


「そちらも手を打ってあるから心配ないわ。ラッセルから移住してきた、イザベラの家で雇っている腕の立つ門番君も今日はお父様の護衛に借りてきたの。報告書の類の提出は不要と伝えたら、喜んで引き受けてくれたわ」


「ああ、あいつですね。門番にしておくには勿体無いヤツです。……それにしても、お嬢様一人相手に十七人? 気に入らないな」



 答え合わせと情報交換を終えると、グレイは不満も顕に眉を顰めた。



「何を訳のわからない事をほざいている?」



 襲撃者のうちの一人が困惑の表情を浮かべながら口を開くと、グレイは忌々しく思う気持ちを隠すことなく盛大に舌打ちした。



「手前の美学を押し付けるつもりはねーよ? 数で圧倒するのも自由だ。……だがなぁ、中途半端は一番良くねぇ。この程度の実力でウチのお嬢様を討ち取ろうってんなら、最低でも二個大隊くらいは必要だろうが!」



 言い終えると同時にグレイは懐に仕込んでいた獲物を放った。



「ぐああああ!」



 グレイの放った針のような暗器が首筋に命中した襲撃者が、叫び声をあげてその場に崩れ落ちる。


 これに一番に反応したのはジャスミンだった。



「ちょっと! 私の遊び相手なのに、私より先に手を出すなんてズルいじゃない!」


「こういうのは早い者勝ちなんですよ」


「その辺は後できっちり話し合いましょう。夫婦として」


「ふっ……、いいですよ。お好きな方法で話し合いをしましょう。何時間でも、何回でも」



 ジャスミンの言う『話し合い』とやらが、単なる対話によるものでないことは火を見るよりも明らかだった。



「いいわね。それなら、このお邪魔虫たちはさっさと片付けてしまいましょう」


「気が合いますね。俺も今、そう言おうと思っていました」



 間違っても、今まさに刺客に囲まれている貴族令嬢とその侍従の会話には聞こえない。


 幸か不幸か、婚約式の招待客のほとんどは我が身を守るのに必死で、ジャスミンたちの会話など気にも留めていなかったが、襲撃者たちは違った。



「先程から聞いておれば、まるで生きて帰れると思っているかのような言い草だな?」



 侮られていることに青筋を立てた者がまた一人、一歩踏み出してくる。



「あら、帰るのを忘れるくらい楽しませてくれるのかしら?」


「あまり期待しない方がいいと思いますよ」


「そうね……」



 先程別の刺客が返り討ちになった様を見て学習出来ていない時点で望み薄だとグレイが首を振れば、ジャスミンも頷く。



「おのれ! 我らを愚弄するのもいい加減に……ぐはっ」



 激昂し、襲いかかってきた男に今度はジャスミンが対応した。


 鋭い肘打ちを相手の腹に打ち込み、その場にうずくまらせると扇子の親骨で男の項を叩いて気絶させる。


 続いてこれを好機とばかりに迫っていた者たちを扇で打ち据えて吹き飛ばした。


 舞うように軽い動作に見えるのに、その一撃は確かな重さをもって襲撃者たちを蹴散らしている。



 やはり、この人より強く、美しい人間はいない。


 そう確信しながらグレイは、ジャスミンに背中を預けてもらえることを誇りに思った。




*****



「ひどいじゃないか、ジャスミン!」



 会場で大立ち回りを演じたジャスミンに対して、非難を口にしたのは彼女の父親であり、この国の宰相でもあるレヴィオール公爵だった。


 刺客たちはジャスミンとグレイの手によって速やかに片付けられたが、主役だったはずのパオロ殿下は襲撃にショックを受けて卒倒し、また招待客がパニック状態で蜘蛛の子を散らすように逃げ惑ったため、式はそのまま中止になった。


 今はジャスミンのために用意されていた控え室に引き上げている。


 ラザロスたちは何か言いたげだったが、深く追及することなく、帰りの馬車に乗り込んでいった。



「パオロ殿下との縁談が気に入らないなら、断っても構わないと言ってあったはずだよ? それなのに受けると言っておいて、婚約発表当日にこんなに滅茶苦茶にするだなんて! この日の準備の為に、この父がどれ程奔走したか、ジャスミンだって知らない訳じゃないだろう?」


「お父様、申し訳ございません。ですが、最近よくお父様の周囲を羽虫が飛び回っていていると仰っておられましたでしょう? これで一網打尽ですわ」


「そういうことを言っているんじゃない! 人の気持ちも知らないで……」



 一応謝罪しつつも羽虫を駆除したと誇らしげに語る娘に父親は感情で訴えかけた。


 実際、とんでもないことをしでかした自覚はあるのでグレイもバツが悪い。


 しかし、意外なところから助け舟はやってきた。



「ですが、あなた。以前から私は『あの子にはグレイしか有り得ない』と申し上げておりましたわよね? また、『グレイにもあの子以外有り得ない』とも」


「ぐっ……」



 口を挟んだのはジャスミンの母、公爵夫人だ。公爵は妻の指摘に、言葉を詰まらせている。



「……あなたは昔からまつりごとの才能はおありでも、男女の事柄には疎いのよね」


「ぐぐぐ……」



 公爵夫妻の会話から、グレイはジャスミンが誰に似たのかを悟った。



 また後日、ロレーヌ王家からレヴィオール公爵家に婚約辞退の旨が記された書状が届いた。


 辞退の理由について触れた箇所に、『命が惜しい』と書かれていたというのは、後々までの語り草になっている。



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