番外編40 グレイの求婚(グレイ編⑪)




「パオロ・アウレリオ・ロレーヌ王太子殿下ならびに、レヴィオール公爵令嬢のご入場です!」



 高らかな宣言の後、ジャスミンはパオロ王太子と連れ立って会場に姿を現した。


 パオロ王太子は飾りが多く襟の詰まった礼装に身を包み、ジャスミンは身体のラインを強調するような白いドレスに身を包んでいる。


 こんもりとボリューム感があって溢れんばかりの白い胸元に、会場に詰めかけた男性の多くが釘付けになっている。



「次のドレスの流行は、襟ぐりの深いマーメイドラインね……」


「でも、あの形はすごく人を選ぶわよ?」



 商売人の顔をして小声で呟くキャサリンの言葉に、ヴィオレッタが不思議そうな顔をして小首を傾げている。



「ヴィオレッタはまだ成長途中だから、気にすることはないさ」


「ユーリマン!」



 妻を気遣っているように見えて余計なひと言に、ヴィオレッタは怒りゆえかはたまた別の理由なのか、顔を赤くした。



「流行を追いたくなる気持ちはわからなくもないですが、一番は似合うかどうかですね。その点、うちのエカテリーナは何でも似合う!」


「ロジェ、貴方は黙っていて頂戴」


「年頃の女性はともかく、老齢の女性があのような格好をするのは……見たくないな……」



 嫁バカ発言をするロジェをエカテリーナがたしなめる横で、リベラが何を想像したのか苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。



 そんなやり取りを前にも無言のラザロスとイザベラはというと、壇上に立つジャスミンとグレイを落ち着かなげに何度も見比べてはため息をついている。


 理由はわかっていたが、グレイは敢えてそれに気付かないふりをした。



「皆も知っているとは思うが、我がロレーヌとラッセルはかつて敵対関係にあった。領土をめぐって刃を交え、多くの血が流れたのを昨日のことのように覚えている者も多いことだろう。黒装束の死神の姿に怯え、一度我らはそれに屈した」



 壇上で演説を始めたパオロ王太子の口から最初に飛び出したのは、数年前にラッセル王国と争い、敗戦を期した苦い記憶だった。


 本来、祝いの席であるこの場でそのような血生臭く重苦しい話題を出すのは相応しくない。


 しかし、貴族たちは誰も王太子を止めることはしなかった。



「だが、どうだ? かつて我らに憂節うきふしをもたらした彼の王国は五つの公爵家を失い、衰退の一途を辿っている。今や、栄華は我らの手にあるのだ!」


「国王陛下万歳!」


「パオロ殿下万歳!」


「レヴィオール公女万歳!」



 わああっと波のように拡がる貴族たちの歓声。


 国王に加えて、壇上の二人を讃える声が上がる。


 暫し満足げな笑みを浮かべてそれを聞いていた王太子が両手を挙げて会場に静粛を促した。



「このように天気の良き日、良き臣下に囲まれて、未来の妻たる美しい婚約者を迎えられることを私は誇りに思う」



 演説によって、王太子は会場の空気を掌握してみせた。


 そして、皆の注目を浴びる王太子がジャスミンを伴って白亜の台座に歩み寄り、ペンを持つ。



 ロレーヌの王族の婚約・婚姻は誓約書を取り交わす慣習がある。


 そして今まさに、王太子は婚約の誓約書にペンを走らせ、流れるように署名をした。


 この婚約式において、最も重要で象徴的な場面だと誰もが知っており、固唾を飲んで見守っている。



 次はジャスミンの番だ。彼女の署名が終われば、二人の婚約は正式なものとなる。



 パオロ王太子は振り返るとにこりと笑みを深め、ジャスミンにペンを差し出した。


 そのペンを純白のレースのグローブで覆われた手でジャスミンは受け取る。



 ジャスミンの姿を見るのはこれが最後になるだろうから、グレイはきっちりと主人の婚約を見届けるつもりでいた。


 しかし、あんなにも強く美しいジャスミンが誰かのものになるのはやはり見たくない。


 そんな強い衝動に駆られて、グレイがジャスミンから目を背けようとした時だった。



 一条の銀の光が閃いて、ジャスミンの胸元に向かう。


 会場の大多数の貴族はおろか、衛兵ですら反応出来ない中で、一番に動いたのはジャスミンだった。



 ――ギンッ。



 何か固いもの同士がぶつかる音がし、続いて耳障りな金属音が晴天に響き渡る。


 ジャスミンの足元には銀色の投げナイフが転がっていた。



「ペンは剣より強し……」



 ジャスミンがナイフをペンで弾いたのを見てリベラがそう呟いたのと同時に、ジャスミンの背後に立っていたパオロ殿下が蒼い顔をして額を押さえ、後ろに引っくり返った。


 何のことはない、ただの失神だ。



「殿下!」



 やっとのことで衛兵が叫んだ時には、すでにグレイは人々の間をすり抜けてジャスミンの隣に立っていた。



「あら、何だか予定より多いわね」


「……ジャスミン様!? ま、まさかまた……!?」



 のんびりと呟くジャスミンにグレイは目を見張った。


 そんな侍従に、ジャスミンは片目を瞑ってウインクする。



「こんなじゃじゃ馬のジャスミン様の面倒を見れるのは、俺しかいませんよ」


「これだから、貴方のこと好きなのよね。でも、貴方だって私じゃなきゃ駄目なんじゃないかしら?」


「……わかりましたよ! これから一生、貴女にお仕え致します。その代わり、ジャスミン・ルクレチア・レヴィオール様。貴女の一生をこの俺に下さい」


「そこまで言うなら仕方ないから、貴方の妻になってあげるわ」



 真っ赤な唇を左右に引いて嬉しそうに笑うと、ジャスミンはグレイの唇を奪った。


 まさか、この場で彼女がそこまでするとは思っていなくて、グレイは一瞬だが虚を突かれる。


 いつだって、自分の裏を掻いてくるのはジャスミンだけだ。


 だが、それも悪くないとグレイはこの時ばかりは思うのだった。



 遠くから生暖かい視線を送ってくる侍従仲間たちと公女たちに心の中で詫びながら、グレイはぐるりと辺りを見回した。



 幾つか妙な気配が紛れ込んでいるのはグレイも承知していたが、今回の襲撃者たちは随分と目立ちたがりのようだ。


 荒事に慣れていない貴族や王族が逃げ惑う中、華やかな上衣を脱ぎ捨てた刺客たちだが、真っ昼間の婚約式というシチュエーションだけに逆に目立ってしまっている。



「ジャスミン様、ご準備は?」


「フフン、抜かりないわ」



 ジャスミンとグレイ。二人を包囲する刺客たちを睨みつけながらのグレイの問いに、ジャスミンは得意げに鼻を鳴らす。


 彼女はペンをその場に投げ捨てると自分のドレスの裾に手を掛け、派手な音をさせて引き裂いた。


 裂け目から大胆に露出する形の良い太腿にはベルトが巻き付けられ、内側に一把の扇子が仕込まれている。



「さすがですね」


「貴方もなかなか素敵よ」



 将来を誓い合った二人は互いに背中を預け、微笑みを交わした。



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