番外編39 イザベラの問い(グレイ編⑩)

※番外編37の後のエピソードです。



*****



 パオロ王太子とジャスミンの顔合わせからあっという間にひと月が過ぎ、婚約式の日を迎えていた。


 春が過ぎ、陽射しが眩しい季節を迎えている。



 この婚約式は主にロレーヌ国内の貴族に二人の婚約を知らしめるために催されたものだ。


 ラッセル王国とロレーヌ王国は六、七年程前までは交戦状態であったために、古参の貴族や戦時中に大きな損害を被った領主ほどジャスミン、ひいては五公爵家に対して反感を持っていた。


 婚約式での立ち位置や振る舞いを見ることで、そうした反乱分子と成りうる者たちをある程度見極めることが出来る。


 国の売却を決めたのは国王だったが、王太子と王女たちの様子を見る限り、王家とて一枚岩ではないらしい。


 王政の国であっても、国は王のものであって、王だけのものではない。


 国とは民があってこそ成り立つもので、その民を束ねているのは貴族たちだ。


 国を統べるというのは、それだけ難しいことだった。




「ややや、グレイじゃないか」


「ジャスミン様と一緒じゃないのか?」


「王宮の侍女たちに『この先は男子禁制です』って物凄い顔で睨まれて追い出されたんだよ」



 会場近くに特別に控えの間を用意された公女とその夫たち。


 中でもロジェとリベラが、部屋の前の通路に背中を預けて一人でぽつんと立っているグレイの姿を見るなり声を掛ける。


 それに応えるグレイは肩を竦め、眉間にシワを寄せて渋面を作っていた。



 たしかにジャスミンの身支度において、グレイの出来ることは少ない。


 例として、彼は自分の髪に関して言えば目元に掛からず、鬱陶しくない髪型であれば何でもいいと思っている。


 また、ロジェほど美しさに対するこだわりもなかった。


 女性の体格的には関係を持つのなら子どものようでは気分が盛り上がらないので、抱き心地の良い凹凸のはっきりした肉感的な体型を好むというくらいだ。


 だが、まるでジャスミンと引き離すかのように追い出されたことは気に食わなかった。



「開始までしばらく時間があるようだから、私の部屋でお茶に致しましょう」


「そうね」


「では、僕がお茶の用意を致します」



 キャサリンの提案に乗ったエカテリーナにロジェが追従する。



「君も暇ならお茶でも飲んでいくかい?」


「いや、俺はいい」



 手持ち無沙汰な様子のグレイを気遣ってリベラが声を掛けたが、彼はそんな気分ではないと首を振った。


 続いてヴィオレッタとユーリマンが姿を現し、グレイと二、三言葉を交わした後、彼らもキャサリンに用意された部屋に消えていく。



 既婚者と独身。普段あまり意識はしていなかったが、ここへ来てグレイは何となく距離を感じていた。



「グレイ? こんなところでどうしたんだ?」


「ああ、ラザロスか。男は邪魔だからって、追い出されちまってさ。……まあ、貴族出身でもない侍従の扱いなんて所詮こんなもんだよな」



 最後にやってきたラザロスとイザベラもグレイの前で足を止めた。


 いつになく自虐的なグレイに、ラザロスは苦笑を浮かべている。


 そんなラザロスの隣に立つイザベラは、射抜くように真剣な目をしてグレイに問いかけてきた。



「グレイ、貴方はジャスミンが殿下と結婚したらどうするつもりなの?」


「そうですね……。まあ、これまでの給金でそれなりに懐は潤っているので、しばらくは何もせず気ままに暮らしますよ。その後は傭兵稼業でも始めてその日暮らしですかね?」


「貴方はそれでいいの?」


「王宮で王妃になったジャスミン様の侍従をするなんて、俺には無理ですよ。王宮なんて、窮屈過ぎて俺には耐えられません」


「そうではなくて……。本当にジャスミンがパオロ殿下と結婚してしまってもいいの?」



 首を振るイザベラの動きに合わせて、彼女の耳を飾るイヤリングがシャラシャラと音を立てて揺れた。



 ジャスミンの結婚に関して、グレイは何も感じていない訳では無い。


 けれど、何かを言ったところでその未来が覆るとも、グレイには思えなかった。



「……それがいいか悪いかを決める権利なんて、元暗殺者で、ただの侍従でしかない俺にはありませんよ」


「そう……」



 静かに一線を引くグレイの答えに、イザベラは視線を落とした。



 王族ではなく、貴族でもなく、善良な民ですらない。


 これから輝かしい未来を歩んでいくのだろうジャスミンの傍に、自分のような人間がいるべきではない。



 これほど長い期間、誰かと共にあった事などなかった。


 だからきっと、ジャスミンに対して情が移ってしまったのだろう。


 グレイは奥歯を噛み締める。



「……これ以上、情が移ってしまう前にお嬢様の前から去らなければなりませんね……」


「それはいったい……!?」


「この婚約式が終わったら、俺はジャスミン様の侍従を辞めます」



 弾かれたように顔を上げたイザベラに、グレイは確かな決意を持って告げる。


 肌にまとわりつく空気が不快で、空は陽が差しているというのに彼の心はいっこうに晴れなかった。



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