番外編38 新年祭の思い出(ラザロス編⑩)




「用意は出来ましたか?」


「ええ。準備ばっちりよ」



 ロレーヌに移住してから初めての年明け。ラザロスとイザベラの二人は、お忍びで街に出ていた。


 街は、新年を祝う祭りで賑わっている。


 普段の華やかな装いではなく、町娘の服に身を包むイザベラだが、その美貌は隠しきれず、行き交う人々がすれ違い様に振り返っていた。


 そんな彼女は周囲の視線にも気付いた様子はなく、はぐれないようにとラザロスに握られた自身の左手とラザロスの横顔を見比べては頬を赤らめていた。


 今では妻となった彼女のそんな可愛らしい様子を見て、ラザロスは身悶えしそうになるのを必死で堪えていた。



「ねえ、ラザロス。あれ……」



 どうやってもにやけそうになる口元を左手で覆って隠していたラザロスは、ちょいちょいと服の裾を引っ張られる感覚とイザベラの声で我に返った。


 イザベラが指し示す方向を見ると、的当てのミニゲームをやっている出店があった。



「見て行かれますか?」



 訊ねるラザロスにイザベラはこくんと頷く。



「おっ、お兄さんとお姉さん、美男美女でお似合いだねぇ。お兄さん、美人な彼女に何か取ってあげたらどうだい?」



 二人が連れ立って出店に近付くと、すかさず店主が声を掛けてくる。


 『彼女』と呼ばれた途端、イザベラがぴくりと肩を震わせた。


 何かと言われても、と思いながらも店頭に並ぶ景品に視線を走らせるとある一点でラザロスは目を止める。



 白い、うさぎのぬいぐるみだ。それもかなり大きい。


 そのぬいぐるみは桑の実色の目をしていたが、目を縫い付ける角度を誤ったのかつり目がちに見えて、ラザロスはどことなくイザベラに似ているような気がした。



「あの、うさぎのぬいぐるみは?」


「おや、お兄さんはお目が高いね! あれは特等だよ。足元のそこの線の上に立って、この空気銃のコルクの弾をあの一番小さい的に当てて倒す事が出来たら、あのぬいぐるみはお兄さんのものだよ。挑戦は弾十発につき半銀貨一枚だ。どうだ、やるかい?」



 庶民向けの出店にしてはなかなかに強気の料金設定だ。


 それにラザロスは剣の腕なら自信があるが、火器の扱いは専門外だ。


 それでも、このままここを素通りしてしまえば、イザベラに似たあのぬいぐるみは他の誰かの手に渡ってしまうかもしれない。



「……イザベラ、どうしましょう?」


「あ、貴方がやりたいなら仕方ないから、見ていてあげるわ」



 悩んでイザベラに意見を求めると、彼女ははにかみながらも挑戦することを勧めてくる。


 どうやら彼女のお目当ても、あのうさぎのぬいぐるみのようだ。



 そのことに気付いたラザロスは、あることを思い付いた。



「イザベラ。名前で呼んで、応援してくれたら、あのぬいぐるみが取れる気がします」


「ラザロス?」


「いえ、そちらではなく」



 ぬいぐるみにかこつけてお願いするのは意地が悪いだろうか?


 そう思いながらも、ラザロスは言わずにはいられなかった。



 初めて呼ばれてからだいぶ経つが、呼び慣れないせいなのかイザベラが恥ずかしがってなかなか呼んでくれない名前。


 オベール家の者にとって、セカンドネームは大きな意味を持つ。


 ラザロスと呼ばれるのも好きだったが、たまには呼んでほしいと機会があるごとに彼はお願いしていた。



「……ミカ、頑張って」



 恥ずかしそうに、生涯の伴侶と決めた人物にしか呼ばせないその名を呼ぶイザベラを見て、彼は幸せを噛み締めた。



「まいど! よく分からないが、お二人とも何だかお熱いね!」



 一回分のお金を渡すと、店主にイザベラとの仲を冷やかされたが、ラザロスは動じることなく空気銃に弾を込める。


 まず一発。試しに撃ってみた弾は、狙った位置から大きく逸れて飛んで行った。どうやら、軌道に癖があるらしい。


 二発目、三発目と撃つ中で早くもコツを掴み、ズレを修正していく。


 ラザロスの目はまっすぐ狙いの的を見据えていたが、頭の中ではある光景を思い出していた。



 イザベラと一緒に魔塔で暮らし始めて、初めての冬。


 年明けに塔の上からラッセル王都の新年祭を眺めていたまだ幼いイザベラが、小さな声でぽつりと『私もお祭りに行きたかった』と呟いたのをラザロスは聞き漏らさなかった。


 イザベラの魔塔からの外出は厳しく制限されており、祭りの見物などもってのほかだった。


 それでもどうにかして彼女の願いを叶えてあげたいとラザロスは知恵を振り絞り、あれこれかき集めて塔の屋上を飾り付け、祭りの屋台のようなものを用意した。


 所詮は子どものやることで、今思えばあまり立派なものではなかったが、それでもイザベラは桑の実色の瞳を輝かせて大層喜んでくれた。


 ラザロスが街で必死に掻き集めた景品の一つ、グレにゃんという名前の目つきの悪い猫のぬいぐるみは今も彼女の部屋に大事に飾られている。




「おっと、残念! お兄さん、残り一発だよ」



 九発目は的を掠めはしたが、倒すことは出来なかった。


 ふっと息を吐いてイザベラに視線をやると、彼女は両手を胸の前で組み、目を閉じて祈っていた。


 目を閉じると少し幼く見えるイザベラに、ラザロスは自然と笑みが零れた。



 彼自身も気付かぬうちに体に余計な力が入っていたのかもしれない。


 笑ったことで力が抜け、驚くほどしなやかな動きで自然に腕を伸ばしたラザロスは、的に狙いを定めると引き金を引いた。



 撃ち出された弾は一旦右に逸れたが、途中で緩やかなカーブを描き、的を台の上から弾き飛ばした。



「イザベラ、どうぞ。これが欲しかったんですよね?」


「ありがとう、ミカ」



 彼女に似た大きなうさぎのぬいぐるみを胸に抱えるイザベラ。


 嬉しそうに笑う彼女を見て、ラザロスもまた満足の笑みを浮かべた。



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