番外編37 顔合わせ(グレイ編⑨)




「お嬢様、こちらのイヤリングは如何でしょうか?」


「うーん、もう少し落ち着いたデザインのものがいいわ」


「お嬢様、こちらの靴はどうですか?」


「踵が高過ぎるわ」


「新しいものをお持ち致します!」



 その日、レヴィオール公爵邸は慌ただしい空気に包まれていた。


 それもそのはず。これから、パオロ王太子がやって来るのだ。


 

 縁談が決まって、初めての顔合わせということで、ジャスミン自身のドレスアップも、屋敷の飾り付けにも余念がない。


 バタバタと忙しなく侍女たちが行き交う様子はさながら戦場のようだとグレイは閉口した。


 そんな彼は、特段するべきことがないのでジャスミンのドレスルームの扉の横の壁に背中を預け、暇を持て余していた。


 女性の身支度というものは時間がかかるものと彼も承知していたが、今日は一段と長い。



 やがて、廊下の向こう側からパタパタを足音を響かせながら息せき切って侍女がやって来る。



「で、殿下が……お見えになりました!」


「あら、ちょうどね」



 肩で息をする侍女がようやく言葉を吐き出したのと同時にドレスルームの扉が開かれ、ジャスミンが顔を出す。



「どうかしら?」



 その場でくるりと一周回って見せるジャスミン。彼女の動きに合わせて、緑色のドレスの裾が揺れる。


 いつもの赤色ではないことに、グレイは少しだけ驚いた。



「お綺麗ですけど、わざわざ飾り立てなければいけない理由が俺にはわかりませんね。お嬢様は何もせずとも美しいですから」


「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない」



 待たされたことへの嫌味のつもりだった感想に、ジャスミンは何故か嬉しそうな顔をした。



 満足そうな侍女たちに送り出され、玄関ホールへと向かう廊下をジャスミンとグレイは歩く。


 その間、二人の間に会話らしい会話はなかった。



「お初にお目にかかります。ジャスミン・ルクレツィア・レヴィオールと申します」


「顔を上げて、私によく見せてほしい。貴女がジャスミン殿か。なるほど、宰相殿が自慢の娘だと言っていた理由がわかったよ。悪魔をも魅了する美貌の『幻惑の五公女』だと噂されているのは知っていたが、まさかこれ程とは」



 朗らかに笑うパオロ王太子を見て、グレイは今日のジャスミンの装いの意図を悟った。


 パオロ王太子はプラチナブロンドの髪をしたなかなかの美男子で、若葉色の瞳をしている。


 今日のドレスの色は彼の瞳の色に合わせたのだろう。



 ジャスミンには燃えるような赤の方が似合うのに。


 グレイは胸の内でそう呟いた。



 服飾の事などまるで分からないはずなのに、赤が似合うと思うのは、単に見慣れているというだけなのか、それともたった今露見したジャスミンに対するこだわりなのか、グレイ自身にもわからない。




「まあ、殿下ったら嫌ですわ。そんな、ご冗談を。それは皆が面白がって大袈裟に言っているだけですのに」


「冗談なものか。貴女のように美しい女性を妻に迎えられるだなんて、私は人生の幸運を使い果たしてしまったのかもしれないな」



 自分には到底言えないような歯の浮きそうなキザったらしい言葉を口にするパオロ王太子に、グレイは反吐が出そうだった。


 美辞麗句を並べ立てる人間など、ロジェ一人で十分だ。



「殿下、こちらへどうぞ」



 玄関ホールでひとしきり言葉を交わしたジャスミンと王太子は、ジャスミンの応接室に移動することになった。


 その道中の会話は専ら、先日の王女たちとの茶会についてだ。



「先日、妹たちと茶会をおこなったそうだね。どうだった?」


「はい、大変楽しいひと時でした」


「……そうか。だが途中、賊の襲撃があったと聞いた。茶会で出された菓子にも、その賊の手によって毒が仕込まれていたとか何とか……」


「ええ、まあ、そのようなこともございましたね」



 どうやら王女たちはジャスミンが捕らえたあの刺客に全てを擦り付けたようだ。



「君が襲われたと聞いて、身も凍るような思いだったよ。さいわいなことに、優秀な兵士が未然に刺客を捕え、事なきを得たそうだね」


「ええ、大変頼もしい兵士の方でしたわ」


「婚約者の君の口から他の男を褒める言葉が発されていると思うと、少し妬けるな」



 相変わらず、あの場での出来事はロレーヌ王家にとって都合よく捻じ曲げて伝えられているらしい。


 王太子が演技をしているようにも見えないことから、王太子はあの茶会の一件とは無関係であるという推測をグレイは立てる。


 パオロ王太子と王女二人は腹違いの兄妹だ。仲が悪くとも不思議ではない。



 ジャスミンが内心で無能な兵士を嘲笑っているだろうことも知らず、口説き文句を並べ立てる王太子を前に、グレイは何とも言えない気持ちになったが、魚の小骨が喉に刺さった時のようにスッキリしない感情の正体はパオロ王太子が屋敷を去る時間になってもわからず終いだった。



「では、来月の婚約式で」


「楽しみにしておりますわ」



 終始和やかな時間を過ごした二人は、グレイの目に前で再会の約束を取り交わしていた。



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