第1話 空気の読めない王子




「おお、まるで火を直接呑み込んでいるかのように熱い茶だな!」


「お気に召して頂けたようで、何よりですわ」



 ラザロスが淹れた茶を王子はそれは大層喜んで口にした。



「幸せな頭ね」


「うん? 何か言ったかな、キャサリン嬢?」


「いいえ。ただ、ハイラス殿下と時を共にしているという幸福感からつい、心の内にのみ留め置くつもりだった独り言が口をついて出てしまっただけですわ」


「そうか、そのように皆から歓迎されるとは漢冥利に尽きるな」



 なおも王子の察しの悪さは健在だと、内心でラザロスは天を仰ぐ。


 この国の貴族社会の古くからの風習に、来客の際は一杯目の茶は温めのものを淹れ、二杯目に熱い茶を淹れ直すというものがある。一杯目は来客に喉を潤してもらう為、二杯目は『茶が飲み頃の温度になるまでゆっくり滞在してほしい』という意味が込められているそうだ。


 さらに、一杯目のお茶から熱々の物を出された場合は、転じて『早く帰れ』という意味になるのが暗黙の了解だった。明文化されているわけではないし、マナーとして誰かから特段教えられるようなものではないので、新興貴族や下級貴族においては知らない場合も多々ある。


 しかし、国内においては最も古く、最も高貴であるはずの王家の人間ならば知らないでは済まされない話だった。そもそも王族が臣下から、『早く帰れ』と暗に言われることそのものも異常なのだが、早く帰れと言われるのは王子の空気の読めなさ加減が超一流なことに起因している。


 強烈な嫌味の数々も相手が鈍感で気付かなければその効力を発揮出来ない。ある意味で最強であり、最凶だとラザロスは嘆息した。




「そういえば、二ヶ月後に私の生誕を祝う宴が開かれる筈だが、此度は誰が取り仕切っておるのだ? 例年通りであれば、そなたらのうちの誰かが宰相や大臣、侍従長と話し合って予算や内装を決めていた筈だが……?」



 しばらく王子の王子による王子のためのモテエピソード(多分に勘違いとお世辞を含む)が続いた後、ふとハイラス王子は話題の方向を転換させた。


 再来月行われる王子の生誕祭。それは社交シーズンの最盛期におこなわれ、数々の年中行事の中で最も重要視されているイベントの一つだ。


 そして王子の生誕祭のみならず、いくつかの年中行事や各国の使節団の応対は五公女たちが中心となって準備が執り行われていた。それは王子の妃候補としてその資質を測る為というのが建前、本当のところは空気の読めない王子のフォローという重大任務を五公女たちが担っているからだ。


 時に裏方から、時に王子の隣に立つパートナーとして、大事な国賓の前で王子が失態を犯さないようにそれとなく支えるのがイザベラたちの役目であり、彼女らが時折王子に対して不敬とも取れる態度に出ても、誰もが見て見ぬふりをし、口を噤む所以でもあった。



「それは今はまだ秘密ですわ。前もってお知らせしていては、楽しみが半減してしまいますでしょう?」



 レース編みのグローブをした右手をヒラヒラと振りながら、ヴィオレッタが怪しげに微笑む。



「うむ、だがしかし、誰が私のダンスパートナーを務めるのかくらいは事前に知っておきたいのだが」


「あら、どうしてですの?」


「それは相手によって私も装いを変えねばならぬだろう?」


「殿下はいつも通り堂々となさっていれば、何も問題ございませんわ。だって、殿下が主役の席ではございませんか」



 赤い目を細め、鷹揚に笑ってジャスミンが表面上は王子を持ち上げるかのように言っているが、真意はそうではないとラザロスは悟った。


『準備はこちらで抜かりなく調えるから、余計なことはするな』


おそらくこんなところだろう。



「そ、そうか? そうだな! しかし、私もそなたらもそろそろ生涯の伴侶を決めなければならない年頃であろう? そなたらは家柄・容姿ともに優劣つけがたい。ゆえに、誰か一人に決めるのは難しいのだが……」



 婚約の話をちらつかせながら王子が五公女全員の顔を見渡した時だった。一瞬にして、ガゼボの中が複数の殺気で満たされたのをラザロスは肌で感じる。


 否、ラザロス自身が殺気を放っていた。他の殺気はいずれも侍従たちのもので、例外なく王子ただ一人に向けられている。


 察しの悪い王子は、それでも自分に向けられた剣呑な視線に気付く事無く、五公女それぞれの魅力をペラペラと語っていたが、射殺すようにそんな王子を見つめていたラザロスは、次第にある違和感を覚えるようになった。



「あら? 気のせいかしら? 何だか、だんだん殿下?の視線が低くなっているような……?」



 王子が現れてから終始口を閉ざしていたエカテリーナが疑問を口にしたことで、ラザロスが抱いていた違和感が確信へと変わった。



「お嬢様!?」


「フフフフ」


「まさかアレを!?」



 いつもは冷静なユーリマンが血相を変えて自分の仕えるお嬢様・ヴィオレッタに詰め寄り、問い詰める。


 すると、悪怯れた様子もなくヴィオレッタは声を立てて笑った。彼女が顔の前で揺らした右手には空の小瓶が握られている。



「だってちょうど今朝、完成したんですもの」


「お嬢様、私はアレの研究はどんな副作用があるかもわかっていなくて危険だからやめていただくように言いましたよね?」


「だから今、試したのよ。何か問題があった?」


「どこに自国の王族で『老け薬』の効能を試す人がいるんですか!?」


「ここにいるわよ?」



 自慢げに胸を張ってヴィオレッタは答えるが、それは誇れることではないだろう。


 そうしている間にも王子の身長はどんどん縮んで小さくなり、髪の色も白いものへと変化していく。



「解毒薬は?」


「それは無いわね」



 あっさり白状したヴィオレッタを前に、ユーリマンは眼鏡を右手で押さえながら、ガックリと項垂れた。



「あら、また随分と面白いものを作ったのね」


「そうなのよ、ジャスミン。完成に3ヶ月もかかったのよ?」


「ダメだと言われても作ってしまうところが、ヴィオレッタらしいわね」


「ところでイザベラ。あれ、ハイラス殿下だったの?」


「あら、エカテリーナったら相変わらずね」


「あのようになってしまわれては、わたくし達も何処のどなたか判らないわね」


「キャサリンにも判らないなら、わたくしが判らなくても無理ないわね。いつもぼんやりとしたお顔立ちだから、区別がつかなくて」



 予想外の事態にいつの間にか周囲の殺気は跡形もなく霧散して、五公女たちが和気藹々と会話を弾ませる。


 ジャスミンの後ろではグレイが頭を抱え、やっぱりそうだったのかと呟いていた。



「ロジェ、お前も気付いてなかったのか?」


「僕もお嬢様も、美しいものにしか興味はないからな」


「お前……」


「あら、殿下はお顔だけはそこそこ整っていらっしゃるわよ?」



 真面目にロジェに問うキャサリンの侍従・リベラだったが、大真面目に答えるロジェとキャサリンによってひどい会話が繰り広げられている。



 これから不眠不休で解毒薬を作る羽目になるであろうユーリマンをひどく気の毒に思いながらも、ラザロスは眼前に広がる光景からそっと目を背けずにはいられないのだった。

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