第2話 公爵令嬢が倒せない(グレイ編①)
「うちのお嬢様は強い」
微塵の疑いもなくそう告げるグレイの言葉の意味するところを正確に理解できる人間は果たしてこの世に何人いるだろうか?
「えっ? ……ああ、お嬢様は芯の強い方ですものね」
「それにあのお顔立ち。他の公女様方もお美しいですが、ジャスミンお嬢様だって負けず劣らずお美しくていらっしゃるわ」
「本当にね! お顔だけじゃなくてプロポーションも抜群だもの。美とはまさに強さ。美の暴力よ!」
最近、西の果てで姿が確認されたという邪竜が怖いと屋敷の使用人たちが話していたのを通りすがりに耳にした彼が、自らの仕えているお嬢様の名前を出したのは、不安に駆られる彼女たちを安心させようとしてのことだった。
しかし、お嬢様の秘密を知らない彼女らはグレイの意図を察することができず、頓狂な声をあげた後に手を打って的外れな賞賛を口にする。
……いや、ジャスミンが美しいのは紛れもない事実なのだが。
「もう、グレイったら。幾らお嬢様のことを尊敬しているからって、急に話を振られたら何かと思うじゃない! ホント貴方ってお嬢様が好きね」
「違う! そうじゃなくて……」
「もう、照れちゃって〜」
肘を突き出して笑いながら脇腹をつついてくる使用人仲間に、グレイはただ愛想笑いを浮かべるしか出来なかった。
*****
グレイがレヴィオール公爵家の使用人として雇われたのは数年前のこと。
よく気が付き、また頭の回転が早くて機転が利くグレイは、当時から公女のジャスミン・ルクレチア・レヴィオールの侍従を務めていた。
賃金も良く、また使用人の労働環境にも気を配られたレヴィオール公爵家は就労先として人気で、優秀な人材が数多く集まる中、新人でありながら侍従に抜擢されるのは大変名誉なことだった。
しかし、グレイには裏の顔があった。
「残念。あともう少しだったのに、惜しかったわね」
「ぐっ……」
文字通り勝ち誇った眼差しでそれはもう魅力的に微笑むジャスミンの前でグレイは言葉を詰まらせた。
彼の手には銀色に光るナイフが、一方彼女の手にはゼラニウムの花で鮮やかな赤色に染め抜いた装いも華やかな羽根扇子が握られている。
グレイが公爵家にやって来た真の目的は、ジャスミンの暗殺だった。
当時、齢十六にして既に組織で一番の腕を誇っていた彼のもとにその依頼が舞い込んできたのはまあ、当然といえば当然だった。何しろ、国で五本の指に入る大貴族の令嬢を殺せというのだから。
半年ほどかけて周辺を探り、慎重に事を運んだグレイは、まさかこの依頼が失敗するなどとは微塵も思っていなかった。
特に任務遂行に妨げになるものは無いと判断した彼はさっくりと殺してしまおうと、護衛をあっさりと気絶させてから夜会帰りの彼女に忍び寄った。
せっかく美貌を謳われた令嬢なのだから、あまり傷を付けずに殺してやろうと愛用の獲物で彼女の首筋を狙ったグレイだったが、その切っ先がジャスミンの柔肌に届くことはなかった。
何をどうやったのかは未だに謎なのだが、ジャスミンが羽根扇子でグレイのナイフを弾いてみせたのだ。
退屈しのぎになるというとんでもない理由で、『バラされたくなかったら、これからも私を狙い続けなさい』と言い、ジャスミンはグレイを見逃しつつも自分の側に置き、グレイは彼女の要望通り何度も彼女の命を狙った。
ある時は不意を突き、ある時は寝込みを襲い、ある時は毒物を用いて。持てる暗殺技術をフル活用し、あの手この手でジャスミンを殺そうとしたグレイだったが、どうしても彼女が倒せない。
これまでただの一度たりとも任務を失敗した事がなく、自分の腕に自信を持っていた彼のプライドは大いに傷つけられたが、全戦全勝のジャスミンは無傷だった。
そうしてグレイはジャスミンの異常性の数々を目の当たりにし、次第に理解することとなった。
ある時はマカロンで毒矢を全弾受け止め、またある時は暴走する夜会帰りの馬車と共に崖から転落したはずの彼女が、『絶景ね』と感嘆しながらグレイの隣で崖下を見下ろしていた。
あの時、『絶景なのは絶妙な具合に裂けたドレスの裾から大胆に覗く貴女のお御足です』と月明かりの下、心の中で叫んだのをグレイは今でも覚えている。
その後、他ならぬジャスミン自身から自分専属の護衛にならないかと打診されたものの、『面倒事は御免だ』『そもそもお嬢様に護衛は必要ない』という理由で断り、組織を抜けた今でもグレイは彼女の侍従をしつつ、彼女に挑み続けている現状にあった。
今となっては誰の依頼というわけでもないのに毎日のように勝負を仕掛けている理由はもはやグレイにもはっきりとはわからなくなっていた。
そうすればお嬢様が喜ぶからなのか、それとも化け物じみて強いジャスミンに勝ちたいという自分の願望ゆえなのか。
いつしか次の一手を考えるのが楽しみになっていたグレイだったが、最近現れた邪魔者によってせっかくの勝負に水を差され、彼は内心苛立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます