7 タビト ④
そして、今、ここにたどり着いた。
ここは、敬子と玲弥の家。私が飛び出した家。
全てを思い出した。
ああ、そうだったんだ。
私は銀糸を紡ぎ、人をつないでいった。
そして、やっと、玲弥と敬子、そして、母さんの「思い」にたどり着いたのだ。
敬子が教えてくれた母さんからの伝言。改めて思い出すと、胸にしみる。
「タビトに感謝してる。心配事は何でもタビトに聞いてもらった。自分でどうにもならないことは、猫の魔力でどうにかしてってお願いした。どうにもならないことだって分かってても、それを言うことで、タビトに聞いてもらうことで、すごく楽になった。ありがとう。
タビトに申し訳なかった。自分の愚痴やお願いを聞いてもらって、しんどくなかったかな。
ありがとう。タビトのおかげで救われたよ。」
そうか、母さんはそんなふうに思ってくれてたのか。私がいらないから、無力だから、私を遠ざけたわけじゃないんだ。何にもできない私だけど、私がいることで、母さんは少しでも楽になったんだ。
そして、母さんから頼まれたこと。私はそのお願いを放り出して、この家から逃げた。それもまた、罪悪感として、私の心の底に残っていた。そのことを忘れていた。
でも、そんな中で、私は、そうとは気づかないうちに、玲弥と出会い、敬子と出会い、銀糸で心をつなぐことができたのだ。母さんに頼まれたこと、遅ればせながらではあるけれど、果たすことができたのだ。
遅くなってごめん。敬子、玲弥、そして、母さん。
目の前でソファに座っている敬子に、すり寄った。敬子は私の背中にそっと手を置いた。
「きっとタビトは、母さんを探しにいってたんだね。母さんは病院に入院したんだよ。父さんと同じ病気になって。本当なら、父さんの時みたいに、最期はあの家で逝きたかったと思うけど、私がしっかりしてないから、母さん、入院することに自分で決めちゃった。私のせいで、母さんの最期に合わせてあげられなくてごめんね。」
そうだったのか。重い病気だった母さんは、入院するために、空色のカバンに荷物を詰めてたんだ。私が無力だから、側に置いてくれなかったわけではないのだ。
「母さんの最期は穏やかだったよ。きっと、天国の父さんのところに行けると思ってたのかもね。後のことは、何とかなる、タビトが守ってくれるって安心してたのかな。」
そうか。母さんは、安らかに旅立ったのだ。
母さん、ありがとう。伝言を残してくれて。
私、これから、ちゃんと生きていけそうな気がする。
母さんと父さんのいる「空」に旅立つ、その日まで。
その日の夕方、玄関から大きな声が聞こえた。
「腹減ったー! 今晩のおかず、何?」
玲弥だ。きっと、部活が終わって、学校から帰ってきたのだろう。ととと……と、玄関にお出迎えに行く。
後ろ向きで靴を脱いでいた玲弥は、振り返って私を見て、目を大きく見開いた。
「タビト!?」
さっきよりもさらに大きな叫び声だ。
「お前、タビトだよな?」
そうだよ、という思いを込めて「にゃぁ」と鳴く。
「タビトだ! やっぱりタビトだ!」
玲弥は子供みたいにはしゃいで私を抱き上げた。
そうだよ。私はタビト。この前は逃げ出してしまって、すまなかったね。あの時は、まだ思い出してなかったんだ。でも、今は、はっきりわかる。玲弥のことも、敬子のことも、母さんのことも。そして、自分自身のことも。
玲弥は私を高く持ち上げて、まじまじと見つめた。
「お前、帰ってきてくれたんだな。」
「にゃー」
「やっぱり、お前だったんだ。ありがとな。お前のおかげで、救われた。」
玲弥の言葉に、お腹の奥の方がぽわぽわとあったかくなる。
「母さん! タビトだ! タビトが帰ってきた!」
敬子がパタパタとスリッパの音を立てて、玄関にやってきた。
「お帰り、玲弥。そうなの! タビトなの! 今日、ドアを開けたら、庭にこの子がいた。奇跡だと思った……。」
「本当に……。もう何年になるかなあ……。俺がまだ小学生の時だったよね。」
「そう。母さんが亡くなった年だから……玲弥は小学四年生だったんじゃない?」
敬子が指を折って数えている。
「もう七年になる……」
「そっかぁ……、あれから七年たつんだな。」
玲弥は私を抱いたまま、リビングに移動し、ソファに腰掛けた。カバンは玄関に置き去りだ。
玲弥の膝の上はあったかくて気持ちいい。大きな手で優しく撫でられると、全身の力が抜けていく。頭もコテンと膝に預けて、身を委ねる。
「実は、俺、タビトに、公園で会ってたんだ。」
「まあ、そうなの……」
敬子も隣に腰を下ろす。
「よく似てるなと思って、声かけたけど、その時は、逃げてった。」
「そうかあ……。でも、ひょっとしたら、それで思い出したのかもよ。玲弥のことや、この家のことを。」
「そうかなぁ……」
半信半疑な玲弥の声が、目をつむっている私の耳に届く。
「だって、七年よ! 七年前に姿を消したタビトが戻ってくるなんて、本当に夢みたい……」
「確かになあ……。奇跡だよな。」
「奇跡って言えば……」
敬子が口ごもりながら言った。
「こんなこと、信じてもらえないかもしれないけど……」
「何?」
「実は、さっき本当に奇跡が起こったの。」
「奇跡?」
「タビトが私の額に手を押しつけて、そっと離したら、そこから銀の糸が出てきて……。ああ、これって、夢よね。私がきっと寝ぼけてたんだ……」
「夢じゃないよ! 俺も!」
「俺もって?」
「俺も、公園でタビトに会ったとき、同じようなことがあった!」
「そうなの?」
「うん! それで……それがきっかけで、俺……、自分を変えることができた。」
二人の声がさざ波のように私の耳に心地よく響く。
「私も……私も、そう。玲弥が帰ってきたら話したいと思ってたことがあって……。」
「話したいことって?」
「長い話になるけど、いい?」
「もちろん。俺も言いたいこと、あるかも……」
子守歌のように優しく響く声の中で、私は、うとうとと心地よい眠りに落ちていった。
夜遅く、仕事から帰ってきた「父さん」も、驚きの声を上げた。
「タビトが戻ってくるなんて、思いもよらなかったよ……」
「父さん」は、感慨深げにつぶやく。もちろん、この「父さん」は、玲弥の父さんであって、私の「母さん」の「父さん」ではない。このあたりが、全く人間のややこしいところだ。まあ、何はともあれ、私は「父さん」にも、熱烈歓迎された。
そして、私はこの家族とともに、この家で暮らすことになった。
「家」というのはすごいものだと、改めて思う。雨が降ろうが風が吹こうが、何も心配することはない。常に屋根の下にいることができるのだ。冬の寒さで凍えそうな身体を温める場所を、探す必要もない。
そして、野良猫にとっての最重要事項である「食べ物」。それに困ることもない。敬子がおいしいご飯をくれる。時々、玲弥が、敬子には内緒で「チュール」という何とも魅惑的なおやつをくれる。獲物を探してあちこちさまよっていたことが、嘘のようだ。
「敵」を警戒することもない。食べ物の奪い合いもないし、テリトリーを守るためのケンカもない。いきなり追いかけてくる態度のデカい野良犬を警戒する必要もない。猛スピードで現れる恐ろしい車の横を、ひやひやしながら走り抜けることもない。
夜は暖かい布団の中にもぐりこむ。優しい手が、優しい声が、身体全体を包んでくれる。
「タビトー!」
そんなふうに名前を呼ばれることのうれしさ。そうだ。私はタビト。「母さん」がつけてくれた名前だ。その素敵な名前を、玲弥や敬子や「父さん」が呼んでくれる。「私」を呼んでくれる。そのたびに、尻尾の先まで、ぴぴぴと、何かが走る。ててて……と走っていって、足にすり寄る。
そう、ここが私の居場所なのだ。
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