7 タビト ①  

 今まで、何人もの人間と出会い、その額から銀糸を紡いできた。その人間たちのその後のことが気になり、遠くからそっと様子を見る。銀糸が導いたものがきっかけとなり、彼らが変わっていく様子を見るのは楽しかった。バラバラだった心がつながったり、失いかけていた思いを取り戻したり……。

 人の笑顔を見るとこちらもあったかい気持ちになれる。自分の中の「穴」が満たされる気がする。探していた「何か」に近づけそうな気がする。

 ただ、あくまで、気づかれないように見るだけで、再び直接関わることはなかった。


 しかし、公園にいた男子高校生のことは、妙に気になった。

 あの子はどうなっただろう。

 上手くやっていっているのだろうか。


 あの子と出会った公園に行ってみた。夕方の時間を選んで。空振りに終わったが、めげずに、何度も通った。


 いた。あの子だ。あの時と同じく、古ぼけたベンチに腰掛けている。

 今までの自分の不文律を破り、そっと近づいて見る。

 向こうも私に気づいた。

「やぁ。この前は、ありがとな。」

 すっきりしたいい顔をしている。

「今、けっこういい感じ。俺は俺で、何とかやってけそうな気がしてきた。ちゃんと話ができる彼女までできた。お前のおかげだ。」

 そうか、良かった。上手くいってるんだな。この前の時のようなしんどそうな顔ではない。「お前のおかげ」だという言葉が何とも言えず、うれしい。心地よい。

 この感覚。

 いつかどこかで。

 記憶の中を探る。

 もやもやとした思考が高校生の声で遮られた。

「タビト? お前、ばあちゃんちにいたタビトじゃないのか?」

 タビト? 何とも言えず懐かしい響き。タビト……。

「俺だよ。玲弥。ほら、一緒によく遊んだじゃないか。」

 れいや? これもまた、懐かしい。ただ、その懐かしさ、あったかさとともに、何か、近づいてはいけない、思い出してはいけない何かを感じる。恐怖にも似た「何か」。

 心が相反する二つのことを叫んでいる。

(思い出せ!)

(思い出すな!)

 手を差し伸べて近づこうとする男の子。「思い出せ」と迫るそれが恐ろしくて、とっさに身をかわし、逃げ出してしまった。


 公園を後にして、冷静に考えてみた。

 タビト。それが私の名前?

 れいや。それがあの子の名前?

 私は何を恐れておるのだろう。でも、怖いだけじゃない、何かとっても「良いもの」もあるような気がする。私がずっと探していた「何か」がそこにある気がする。


 次の日、公園の近くを歩いている「れいや」をみつけた。そっと後をついていくと、彼はえんじ色の瓦屋根の家の中に入っていった。

 庭先の赤いペチュニア。白い庭石。どこか見覚えがある気がする。


 さらに次の日の昼間、その家に行ってみた。

 ここに来れば「何か」がある。確信めいた思いとともに。

 しばらく庭にいると、やがて、玄関のドアが開いて、女の人が出てきた。

「タビト?」

 この声もまた、聞き覚えがある気がする。

「タビト。こっちへおいで。」

 行きたい。その声の元へ。でも少し怖い。でも、行きたい。「何か」を知りたい。

 意を決して立ち上がり、その人の元へ行った。差し伸べられた手のにおいを嗅いでみる。そうだ。これだ。

 その人は背中をそっと撫でてくれた。ぽかぽかと心が温かくなる。そう、この心地よさ。

「お帰り、タビト。よく戻ってきてくれたね。」

 そうだ。きっと、私は「タビト」なのだ。この名前で呼ばれることがこんなにもうれしいのだから。「タビト」と呼ばれると、背中の毛がピリリとなる気がした。きっと身体が喜んでいるのだ。

 抱き上げられて入った家の中。茶色いソファ。出窓に置かれた花瓶。部屋の隅の本棚。何となく見覚えがあるような気がする。


 私が紡いだ銀糸で、この人は何かを思い出せたようだった。

 柔らかい穏やかな表情が、その「何か」がとっても良いものだということを物語っている。

「ありがとう。タビト。大切なことを思い出させてくれて。やっぱり母さんが言ってたように、君は私たちを守ってくれるんだね。」

『母さん』? その言葉が胸に響いた。温かい。

「ありがとう。ちょっと頑張れそうな気がしてきた。私は私として、ちゃんと玲弥に向き合ってみる。ちゃんと言葉にして伝えてみる。そう言えば、今まできちんと話したことなんてなかったなぁ……。」

『母さん』って、誰? 

 それを教えて欲しい。

 知りたい。

 催促したくて、「なぁーお」と鳴く。

「やっぱりお前は人の言葉が分かるんだね。賢いねえ。母さんが言ってたとおりだ。」

 女の人は、素敵な笑顔で言った。

 そう、その『母さん』のことだ。

「そうそう、母さんからタビトに伝言を預かってるの。お前がいなくなっちゃったから、ずっと伝えられてなかったけれど。」

 伝言? 『母さん』から私への伝言? 

「母さんはね、こう言ってたよ。タビトに感謝してるって。心配事は何でもタビトに聞いてもらった。自分でどうにもならないことは、猫の魔力でどうにかしてってお願いした。どうにもならないことだって分かってても、それを言うことで、タビトに聞いてもらうことで、すごく楽になった。ありがとうって。

 タビトに申し訳なかった、とも言ってたよ。自分の愚痴やお願いを聞いてもらって、しんどくなかったかなって心配してた。

 『ありがとう。タビトのおかげで救われたよ。』って伝えてねって頼まれた。」


 私の心の中で、「何か」がはじけ、ものすごい勢いで押し寄せてきた。

 そうだ。

「何か」は、ずっと私の中にあったのだ。

 それを見ないように、心の奥深くに押し込めて封印していたのは、私自身だった。


 私はタビト。

 私がずっと探していたのは「母さん」。

 私がしないといけなかったのは、敬子と玲弥を守ること。その心をつなぐこと。


 すべての記憶がよみがえった。

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