6 水谷敬子 ②
「末期のガンらしいの。」
母にそう言われたとき、再び世界から色が消えた。
なんで? なんでそうなるの?
父もガンだった。五度の手術を気丈に乗り越え、最期は母が自宅で看取った。あの時の光景が思い出される。痩せてしまった父の頬。何本も身体につけられたチューブ。
誠実で働き者の父。何事にも全力で頑張る父。家族思いで、母のことも私のことも本当に大切にしてくれた。父は私の誇りだった。そんな父を苦しめ、私たち家族から奪ったガン。
あんなふうに母もなるの?
何でそうなってしまうの?
疑問への答えは恐ろしいものだった。
それは、私が母に心配をかけたから。
真面目で頑張り屋の父がストレスでガンになったのだとしたら、母のストレスはきっと私だ。
鬱々と、いつまでも自分の力で立ち上がることのできない自分。六十六歳の母が家事をしてくれ、家族の面倒をあれこれと見てくれ、不甲斐ない娘の世話を焼いてくれた。これがストレスでなくて何なのだ。
母を病気にさせたのは私だ。頼り切って、寄りかかりすぎて。
末期ガン。そんな状況になっていることすら、私は気づいてもいなかった。自分のことで精一杯で、自分の殻の中に閉じこもって、何も見えていなかったのだ。
そして、その母がいなくなってしまう。
母は気丈だった。当てにならないは私を尻目に、自分で何やかやの段取りをつけていった。
入院のこと、自分が亡くなった後の家の始末。さらには、「葬式は家族葬で」「親戚のここには連絡を入れて」「あの服はものが良くて、着心地もいいから、良かったらあなたが着て。」などと、事細かに指示を出し、忘れられないようにご丁寧にノートに書き込んでいた。
そんな母が気にかけていたのがタビトの行く末だった。
「大丈夫。タビトはうちで面倒見るわ。玲弥もタビトのことが大好きだから、ちょうどいいかも。それに、私も。」
私がそう言うと、母は安心したようにうなずいた。
「良かった。それがいい。」
父の末期の時、母が家に招き入れた迷い猫。最初は、父の世話で大変なのにと思ったが、当時の母にとって、タビトの存在は薬となった。介護で疲れ切っていても、タビトがじゃれると、笑顔になる。柔らかい笑みを浮かべる母を見ていると、タビトが来てくれたのは、神様の思し召しなのかも……と思った。
タビトは玲弥と私の薬にもなってくれるかもしれない。そして、母もそれを望んでいる。
自分できっちりとコンパクトに用意した入院グッズとともに、母は家を後にした。空色のスーツケースをコロコロと押して、まるで旅行にでも行くかのように。
キャリーケースに入れられて我が家にやってきたタビトは、慣れない環境に戸惑っていた。クンクンと匂いを嗅ぎながら、家のあちこちを探検してまわり、不審そうに私や玲弥を見る。あまりなじみのなかった夫に対しては、「シャー」と威嚇して跳び去った。最初は警戒して食べなかったキャットフードも、空腹に負けたのか、二日後、やっと口をつけてくれて、ほっとした。だが、「探索」は終わらない。「ニャー」と鳴きながら、何かを探している。
「きっと、ばあちゃんを探してるんだね。」
玲弥が言うとおりなのだろう。タビトにとって、母が「お母さん」なのだ。私にとってそうであるように。母がいなくなる恐怖に私が震えているのと同じように、タビトもまた、あるべきはずの存在の喪失に戸惑っている。
そっと抱き上げて頬ずりする。柔らかいぬくもりが伝わってくる。
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