4 水谷玲弥 ④

 次の日の放課後、俺は本宮早紀を旧部室裏に呼び出した。

 本宮は、困ったような顔をして現れた。実際、困っているのだろう。

「ありがと、来てくれて。こんなところに呼び出したりして、悪かったな。」

無言でぶんぶん顔を横に振る本宮。

 この前と同じように、コンクリートの冷たい階段に、ちょっと距離を置いて横並びで座る。

 俺はちゃんと話した。飾らずに、そのままの事実を伝えた。

「俺、時々、ああなっちゃうんだ。お調子者のヒーローやるのに、疲れちゃう。演じてる自分が嫌になる。気持ち悪くなる。吐きそうになる。実際、吐いちゃうこともよくある。びっくりしただろ。情けないよな。」

 本宮はまん丸い目で俺を見ていたが、こう言った。

「正直、驚いた。でも、情けないことないよ。どっちかっていうと、安心した。」

 安心? どういうことだ? 意味が分からない。

「安心っていうか、ほっとしたっていうか。玲弥君も人間なんだなって。」

「何それ?」

本宮は、制服のリボンの端をくねくねとよじりながら続ける。

「だって、玲弥君って、スーパーマンみたいで、この世のものじゃない感じだったもん。」

 この世のものじゃない。それって、まるで「鬼」だな。

「幽霊みたいに言うなあ。」

「理想過ぎて怖いっていうか……。だから、安心した。普通に悩んだり苦しんだりするんだなって。」

「普通……」

「うん。普通。だって、プレッシャー感じてしんどくなったり、ちょっといい自分を見せたくて演じてみたリって、多かれ少なかれ、みんなやってることでしょ。それって、超人間らしくて普通じゃん。」

 本宮は俺を「普通」と言った。人間らしくて普通。そうか。俺は「普通」なのか。悩むことも演じることも、「普通」。確かにそうなのかもしれない。

「そっかぁ……普通かぁ。」

「ありがとね。話してくれて。」

 肩の少し上で切りそろえられた本宮の髪が、風に吹かれて白い頬を撫でている。ちょっぴり微笑む顔がキュートだ。

「いや、こっちこそ。言おうかどうしようか、かなり迷ったんだけど、話せて良かった。聞いてくれてありがとう。何か、楽になった。」

 本宮が言ってくれたことは嬉しかった。汚くて醜い自分を受けとめて、それでいいんだよと肯定してくれたような気がした。自分の中につかえていた「塊」が、ゆっくりほどけていく。

「じゃ、行くね。」

 本宮の言葉に反応し、唐突な衝動にかられた。

 これで終わりにしたくない。 

 もっと、もっと話したい。

 本宮と一緒にいたい。

 今まさに、俺に背を向けて立ち去ろうとしている本宮。その背中を引き留めたい。

 そう思った瞬間、自分でも意外な言葉が口から出た。

「本宮、俺と付き合ってくれない?」

 振り返って、何を言ってるの、と怪訝そうな顔の本宮。言った俺自身が、自分の言葉に驚いていた。

「昨日の冗談、本当にしない?」

「それって……、秘密を守るために?」

「違う違う!」

 慌てて手を横に振る。

「そんなんじゃないよ。本気で。」

「……本気……」

「うん。本気。今まで本当の俺を見せた人っていなかった。怖かったし。本当の俺を見てくれて、ちゃんと受けとめてくれたのって、本宮が初めてなんだ。」

 必死で言葉を探す。自分の心の中にある本音を探す。言葉にしながら、そうか、俺ってそう思ってるんだ、と、認識する。

「本宮ともっといろいろ話したい。一緒にいたい。だから、付き合ってほしい。」

 我ながら、「話したい。一緒にいたい。」=「付き合いたい」という論理の飛躍には戸惑った。でも、俺の中の「素直な俺」がそう思ってる。言えて良かった。心からそう思った。


 お調子者キャラの俺だが、唯一、演じ切れていない面がある。それは恋愛部門。

 キャラ通り動くとすれば、ホイホイ告白して、告白されて、つきあいまくって……みたいなことだろうが、そこはできなかった。もちろん、正常な男子として、好きになった子もいたにはいた。だが、告ったことは一度もない。告られたことは山ほどある。なかには、いい子だなと思う子もいた。だが、付き合おうとは思わなかった。自分のテリトリーに入られるのは怖かったのだ。距離が近くなりすぎると、擬態を保てなくなりそうだった。演じる時間が長くなると、もっと疲れる。

 そう思っていた。今までは。

 だが、本宮となら。

 そう思った。自分を演じることなく、いや、演じている自分も演じていない自分も含めて、すべてひっくるめた俺を出せる。


 返事は急がなくていい、と言ったものの、さすが本宮、かれこれ十日以上待たされた。待つ時間は長かった。「人気者」の「水谷玲弥」の告白なら、成功確率は高いだろうが、闇を抱えて影で吐いている男は、いったいどう思われるのだろう。まあ、いわゆる「ヘタレ」である。しかも、それを隠してお調子者を演じているだけに、始末が悪い。カミングアウトした俺を、本宮は受けとめてはくれた。気持ち悪がったりはしなかった。だが、「付き合う」となると、話は違ってくる。「同情」はあっても、それが「好意」ましてや「恋愛感情」に結びつくかというと、はなはだ怪しい。


 運命の日がやってきた。例によって、旧部室裏に呼ばれる。

「私でよければ、付き合ってください。」

 顔を赤く染めながら、それでも、視線はしっかりと合わせて本宮は静かに言った。

「ありがとう! こっちこそ、こんな俺でよければ。」

 二人して、いえいえ、いえいえ、とダチョウ倶楽部的なことをやった後、気になっていたことをストレートにぶつけてみた。

「俺のこと、嫌じゃない? 普段見せてる俺じゃない方の俺。」

 本宮は激しく首を左右に振った。

「全然! 嫌なんかじゃないよ。むしろ、そっちの玲弥君に惹かれたっていうか……」

 言いかけてまた首を左右に振る。

「いや、今までの玲弥君のことも好きだよ。でも、それ以上に、そうじゃない水谷君のことが気になる。」

 何てこった! こんな理想的な展開があっていいものなのか。

「人って、いろいろあるんだなって思った。私も、優柔不断で決断できない自分が、嫌で嫌で仕方なかった。情けないって思ってた。今回、水谷君に付き合ってって言われてすごく嬉しかったけど、決断できなくて、すごく迷ってたんだ。」

 やっぱり。

「でも、決めようと思った。ちゃんと自分で決めて、その決めたことにきちんと向き合おうって。」

 本宮は下を向いてモジモジしながら続けた。

「決断するのに時間がかかったのは、ちょっとわけがあって……」

「わけ?」

「うん。これ、言おうかどうしようか、迷ったんだけど、これも含めて分かって欲しいから、言うことにする。実は、ビックリなことに、玲弥君以外の人からも、付き合ってって言われてた。そのタイミングがちょうど重なって……」

 そうだったのか。それって、一体誰なんだ? クラスの面子を思い浮かべてみるが、見当がつかない。それに、同じクラスとは限らないし。俺の知らないやつかもしれない。そう思ったとき、ふと気づいた。俺は、本宮のこと、何も知らないんだ。

「その人のことも気になってて。その人と話す時間は、けっこう私にとって大事な時間で……」

 本宮は地面の草を一本抜いて、指でピンとはじいた。

 そうなのか。本宮にはそんな相手がいたのか。それは、ちょっと焼けるかもしれない。

「でも、玲弥君のことも気になってて。どうしたらいいか決められなくて、時間かかった。遅くなってごめんね。」

「そっか。で、俺を選んでくれたんだ。決め手は何だったの?」

「私、大事なことを自分で選ぶのが苦手で、今までずっと困ってた。どうしても選ばなきゃいけないときは、人が選んでるものを選んだり、人に決めてもらったりしてた。でも、それじゃあ、本当に自分が選んだわけじゃない。だから、今回は、本当に、ちゃんと自分で考えて決めようって思った。それで、思いついたのが、自分で自分にお題を出してみること。」

 何じゃそりゃ? 俺の怪訝そうな顔を見て、本宮は付け足す。

「私が余命一日だとします。では、最後の一日を一緒に過ごしたい人はどちらでしょう。これが、私が考えたお題。」

「すごくシュールな設定だな。」

「緊迫感あるでしょ。そうやって、考えたとき、頭に浮かんだのは、玲弥君だった。玲弥君と一緒にいたいって思った。」

「光栄です。」

 ちょっとふざけて言ってみる。本宮は一言一言かみしめるように続ける。

「で、決めた。玲弥君と付き合おうって。」

「そっか。決めてくれて、ありがとう。」

「私、もっと玲弥君と話したい。玲弥君のこと知りたい。」

「俺のこと、もっと話してもいいの?」

「うん。私のことも知って欲しい。」

「本宮のこと、聞いてもいいの?」

「うん。」

 そっか。ちゃんと話せるんだ。隠すことなく。いろんなことを。お互いのことを。

 ここから、いろんなことが新しく始まる。そんな予感がした。

 見上げた今日の空は青かった。さざ波のような白い雲の背後に、どこまでも広がっていた。


 本宮と付き合うことになって、一週間。

 周囲は驚いていた。

「何で本宮?」

 と不躾に聞いてくる奴もいた。

「本宮が本宮だから。」

「何じゃそりゃ。」

 自分でも「何じゃそりゃ。」の答えだが、的を得ていると思う。


 久しぶりに例の公園に行ってみた。

 あの黒猫のことが気になっていた。あの猫、一体何だったのだろう。あの銀の糸は? あれは幻? いや、そうでないからこそ、俺は、今、本宮と付き合っている。

 誰もいないベンチに腰掛けて空を見上げる。上に行くほど徐々に色が濃くなっていくオレンジ色の夕焼け空に、名も知らぬ鳥がシルエットとなって飛んでいる。

 目線を下げると、五メートルほど離れたところに、黒猫がいた。あの時と同じく、前足を行儀良くそろえて、座っている。視線はしっかりこちらに向けられている。

「やぁ。」

 片手を挙げて、あいさつをしてみた。

「この前は、ありがとな。」

 見つめられたまま、言葉を続けた。

「今、けっこういい感じ。俺は俺で、何とかやってけそうな気がしてきた。ちゃんと話ができる彼女までできた。お前のおかげだ。」

 猫は、小首をかしげて聞いている。

 その姿を見ていると、心の奥の方から、あったかい何かがわいてくる。

 この感覚。

 いつかどこかで。

 記憶の中を探る。

 あっ……。この子……。

「タビト? お前、ばあちゃんちにいたタビトじゃないのか?」

 傾けた首の角度が、若干変わった気がした。

「俺だよ。玲弥。ほら、一緒によく遊んだじゃないか。」

 近づこうとすると、黒猫は、ひらりと身をかわし、生け垣の中に姿を消してしまった。

 

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