4 水谷玲弥 ③
グルデモをやる、と自分の一票で決めた以上、いい加減なことはできなかった。「さわやかリーダー」の俺は、否が応でも、練習の中心となる。
しんどそうな奴をおだてながら励ます。ステップが踏めない奴に、宣言通り「手取足取り」教える。みんなが俺の一挙手一投足に注目する。いつも以上に。
周りの視線は俺にのしかかってくる。笑顔でそれに応える。
しんどい。
作り笑顔の奥で、胃液がこみ上げてくるのを感じる。
吐きそうだ。
もう限界だ……。
2-6の面々も身体の限界。俺は気持ちの限界。ということで、利害も一致しており、十五分の休憩を取ることにした。
みんなにみられないように、旧部室裏に避難する。辛抱たまらなくなった俺が旧部室裏でゲーゲーやってるところに、闖入者が現れた。それは本宮早紀だった。
見られてしまった……。
「大丈夫?」
おずおずと小さな声で本宮が聞いてくる。
「本宮……、何でここに?」
大丈夫じゃない。お前に見られたってことが、大丈夫じゃないんだ。自分の声の震えに気づく。これは「水谷玲弥」の声じゃない。
「玲弥君の姿が見えないから、心配になって……」
マジかぁ……。今まで、誰にも知られなかったのに。ずっと隠し通していたのに。演じきっていたのに。ヤバい。ヤバすぎる。頭がクラクラする。真上から照りつける太陽がめまいに追い打ちをかける。
「調子、悪いの?」
本宮が一歩踏み出す。頼む。来ないでくれ。こんな俺を見ないでくれ。
「まずいところ、見られちゃったなあ……」
「保健室、行った方がいいんじゃない? スポドリ、持ってこようか?」
「そういうんじゃない。」
ダメだ。もどらなきゃ。いつもの俺に。
「いいんだ。もう大丈夫。気にしないで。」
立ち上がって、太ももの後ろをパンパンと二回たたき、気合いを入れる。
「よし、行くか! もう十五分以上たっちゃったかな。」
「水谷玲弥」を復活させる。なお心配そうな本宮早紀とともに、みんなの所に戻り、いつもの「水谷玲弥」となった。いつものようにおどけてみせる俺の背中に、明らかに不審がっている本宮の視線が張り付いていた。
どう考えてもまずい。本宮に知られてしまった。ごまかし通すか。そんなことができるのか。
学校帰りに公園の古ぼけたベンチに座ってで頭を冷やす。ここは俺のお決まりの場所だ。昔は小さいなりに、滑り台、ジャングルジム、ブランコにシーソー、定番の遊具があり、幼かった俺はよくここで遊んだ。だが、全国的に公園の遊具で子供がけがをする事件が相次ぎ、ひいては設置者が訴えられるという事態の結果、この公園の遊具も撤去された。今では、古ぼけたベンチが二つ残るのみ。朝方は近所のお達者クラブの面々がゲートボールに励んでいるが、夕方のこの時間は誰も来ない。俺が落ち着いて(?)吐くことができる場所となっている。
本宮はどう思っただろう。誰かに話すだろうか。水谷玲弥が不審な行動をしていたことを。
あの時の本宮の心配そうな様子を考えると、悪気なく、善意から誰かに相談する可能性は大いにある。ならば、早めに口止めを? でも、一体どう言う?
考えるとムカムカしてきた。ベンチの脇に置いていたスポーツバッグからペットボトルを取り出し、一口飲んで、天を仰ぐ。今にも雨の降りそうなどんよりと重たい鉛色が、俺の上にのしかかっている。上に行くほどグラデーションは濃くなり、押しつぶされそうだ。ムカムカは止まるどころか勢いを増してくる。こみ上げてくるものを抑えきれず、吐いた。ちょっと前に小腹を押さえるために食べた菓子パンが、ぐじゃぐじゃの塊となって出てくる。威勢良く生い茂った雑草の上にある茶色い物体。
汚い。何て汚い塊なんだ。俺から出てきた醜悪な物体、これは俺の醜さそのものかもしれない。きれいに取り繕って演じている自分。その奥にある汚い部分。汚れた塊。
ふと、頭の中に「塊」という漢字と、「醜い」という漢字が浮かんだ。何か似てる。どちらも「鬼」という字がついている。鬼みたいな醜い塊。それがこれ。それが俺。人に見せられるもんじゃない。それを俺は自分の中に密かに飼っている。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
足元の砂を蹴る。醜悪な汚物に砂をかけて隠そうとする。蹴って蹴って蹴って。そのうち、砂をかけることではなく、蹴ることが目的となる。自分の中の破壊衝動に火がつく。飲みかけのペットボトルを地面に投げつける。中身がこぼれ、土の上に広がっていき、黒いシミを作る。スポーツバッグを地面にたたきつける。着替えやタオルなど、中身が散乱する。
何やってるんだ、俺。
目の前に広がる「自分がしたこと」を見て、一気に冷めた。ベンチに座り直して、荒くなった息を整えようとする。落ち着け。落ち着け。深呼吸だ。そう、いつものように。
ふと目を上げると、少し離れたもう一つのベンチの下に、一匹の黒猫がいた。きちんと前足をそろえて座っている。まっすぐにこちらを見ている目に、一瞬、恥ずかしさを覚えた。
「いつから見てた?」
猫は軽く首を傾けるが、視線は切らさない。よく見ると、手足の先だけが真っ白で、「短靴をはいた猫」みたいだ。
「お前、野良猫?」
猫は、俺のその言葉に応えるかのように、尻を持ち上げて、ゆったりとこちらに近づいてきた。実に堂々とした歩きぶりだ。しなやかな身体のこなしが美しい。野良猫にしては人なつこい。この近所で飼われている猫なのだろうか。
黒猫は、俺の座っているベンチの所までやってきて、そこで立ち止まり、しばし俺を見つめていた。こちらを見上げるアーモンド型の目は、なぜか懐かしさを感じる。さっきまでささくれ立っていた心が、すーっと穏やかになっていくのを感じる。
猫は身軽にベンチに跳び乗り、俺の太ももに手をかけてきた。さらに、伸び上がって俺を見上げる。そっとその背中に手を置いてみたが、嫌がる様子もない。手のひらに伝わる温かく柔らかい感触が心地よい。力ある金色の瞳に吸い込まれそうになる。頭の中に何かが入ってくるような不思議な感触に襲われる。
猫はつま先立ちになって目一杯身体を伸ばし、俺の胸元に左手をかけた。そして、さらに伸び上がって、真っ白な右手を俺の額にそっと押し当てた。冷たい感触が伝わってくる。同時に、何かが俺の中ではじける。俺の中の行き場を失っていたものたちが一気に活性化する感覚。
猫はそっと右手を離した。その先端には何かがくっついている。銀色の糸のようなその細いものは、ゆるゆると俺のおでこのあたりから引き出されていく。何なのだ、これは?
糸はやがて独立し、ふわりと空を舞う。鉛色の空を背景にしてゆらめきながら、神秘的な輝きをみせる。その美しさに魅入られる。
銀糸は優雅な舞の後、静かに落下し、さきほど俺がぶちまけたスポーツバッグの中身の上に、静かに止まった。黄色い「2・6魂」Tシャツの「魂」という黒文字上で、なお光を放っている。
俺はふらふらと立ち上がり、そのTシャツを手に取った。
勢いのある筆致で書かれた「魂」という大きな文字。ふと気づいた。ここにも「鬼」という文字がある。さっき引っかかっていた「塊」と「醜」。「醜い」という意味だと思っていたが、「魂」に「鬼」が含まれるのはなぜなのか? マイナスイメージではないような気もするが……。
俺はポケットからスマホを取り出し、「鬼・意味」と入力してみた。
「鬼」にはさまざまな意味があるらしい。「おに。妖怪。怪力で無慈悲な化け物」、これはよく知っている「鬼」だ。だが、それ以外にも「死者の魂」「人間の業では及ばない、非常に優れた」「外見が大きい。異形のもの」「勇敢な人」などの意味があった。面白くなって、いろんなサイトで調べてみた。「日本語大辞典」によると、「『
「鬼」は象形文字で、「顔に大きな面をつけた人の形。死者の霊魂に扮する様。」を表す。「魂」は、もとの「鬼」に「云」が加わったもの。これは、気のようなもやもやとしたものが空中に漂う情景を表していて、死者の魂を暗示しているという。何となく、さっきの銀糸が空を舞う様子が思い出された。
白川静の「常用字解」によると「塊」は、「大きな頭をもつもの。大きなもの」であり、「土塊の大きなものを塊という」とあった。「ウィクショナリー日本語版」では、「土のかたまり」以外に「ひとりぼっちのさま。孤立のさま」「安らかなさま」という意味もあった。これはなかなか興味深かった。「ひとり・孤立」というどちらかと言えばマイナスのイメージとは反対の「安らか」。「ひとり」でいることがむしろ「安らか」という場合もあるわけか。ちょうど、俺が一人でいる時間はほっとできるように。ただ、それは「孤独」にも直結する。
最後に「醜」を調べた。「酉」は酒を入れたつぼの象形文字で、「酒」を表す。「酒を飲んでの失態が人に対して悪い感じを与える」とか「異様な面をつけて酒を注いで神に仕える人」から「みにくい(見苦しい。容姿が悪い)」につながったという説もあった。
「みにくい」は「見+憎し」で、「見る気持ちがしない。見るのが嫌だ。」ともあった。この説はすとんと心に落ちた。俺は自分の汚い部分を見るのが嫌なのだ。それを見ようとすると気持ちが悪くなるのだ。そんな自分が憎いのだ。
「醜」は悪い意味ばかりではなく「強く恐ろしい」という意味もあった。「醜男」には「勇猛な男」、「醜女」には「霊力が強い」という側面もある。
そうか。いろいろあるんだ。「鬼」もいろいろ。考え方もいろいろだ。学者によってその成り立ちさえ違う。まさに「諸説あり」だ。面白い。
なんだか胸のつかえがとれたような気がした。
「醜い」こと。醜悪なこと。汚いこと。それは、見方一つでどうとでも変わってくるものかもしれない。「鬼」にプラスの見方とマイナスの見方があるように。
「鬼」の二面性は、そのまま俺の二面性と相通じるのかもしれない。
人に見せている「水谷玲弥」。
俺の内面の「水谷玲弥」。
それは、相反するもの、敵対するものではなく、「俺」という人間を別角度から見たときの二面性であり、相互に補填しあうものなのかもしれない。字源に諸説あるように、俺自身にも「これが正解」というものはないのかもしれない。「素」の俺はどんな人間なのかと悩んでいたが、何もかもひっくるめてそのすべてが「俺」なのかもしれない。自分が擬態だと思い疎んじていた「水谷玲弥」、仮面をつけて演じていると思っていた「水谷玲弥」、それもまた、俺という人間の一部なのだろう。その仮面が嫌だと思う心もまた然り。すべて「俺」なのだ。
「2・6魂」の文字は威勢良く跳ねている。
俺の「魂」は、美醜、強弱、正誤、清濁……、いろんなものを合わせ持ち、もがいている。そもそも、そういうものが「魂」なのだ。「擬態」と言ってしまう必要はないのかもしれない。例えば、この「2・6魂」Tシャツ着て、みんなとグルデモやってるとき、楽しくなかったわけじゃない。演じているというしんどさは常にあるけれど、周りの奴らが徐々に上手くなって、顔つきが変わってきて、空気が変わってきて……。その中にいる感覚は悪くなかった。「ありがとう」といわれるのも心地よかった。その感情がすべて偽りというわけではない。
大きく深呼吸する。空を見上げる。先ほどと同じくぼってりとしたグレーの空だ。でも、この空だって、いろんな顔を見せるのだ。見方一つで世界は変わるかもしれない。
Tシャツについていた銀糸はいつの間にかなくなっていた。
猫の姿もなく、誰もいない、いつものうら哀しい公園だ。だが、不思議なことに、なぜか「いつもの公園」に思えない。新しい場所にいるかのような、変な感覚である。
よし。けりをつけよう。本宮早紀にちゃんと話そう。心は決まった。
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