3 野崎誠 ①

 幼いときから「気持ち」というものが、どうにも分からない。

 人には感情というものがあるらしい。うれしいとか、悲しいとか、寂しいとか。だが、自分にはその「感情」というものがピンとこない。

「野崎、お前、何でそんなに無表情なの?」

よく言われる言葉だ。

「反応ないねぇ」

とも。人には気持ちがあって、その気持ちが表情として表れる、らしい。

 確かに、周りの人間を見ていると、「表情」がある。眉をひそめたり、口角があがって目が細くなったり、口元がへの字になったり……。それが「表情」である。イコール「気持ち」である。そんな「普通」の人間なら当たり前のことが、僕にとっては当たり前ではない。


 幼児期からそうだったらしく、両親はそんな僕を心配して、医者に連れて行った。「広汎性発達障害」という診断が下った。「障害」という言葉に、両親は青ざめたらしいが、「病気」というわけではなく、「特性」だと思ってくださいと医者は言ったそうだ。

 小学6年生の時に「告知」された。両親は言うべきかどうか迷ったらしいが、中学生になる前に、ということで決意したらしい。言われて、驚くというよりも、なるほど、そうだったのかと腑に落ちた。どうにもよく分からないモヤモヤとしたものが「広汎性発達障害」という名前がつくことで、それはそれであって良いものなのだと言われた気がして、むしろ若干楽になった。

 医者から話を聞いたり、カウンセリングを受けたり、自分なりにネットで調べたりして、「なるほど、そういうことか」はどんどん増えていった。

「広汎性発達障害とは、対人関係の困難、パターン化した行動や強いこだわりの症状が見られる障害の総称」であるらしい。近年では自閉症スペクトラム症といわれるようになった。集団になじむのが難しい、人の気持ちや感情を読み取るのが苦手、抑揚のない不自然なしゃべり方をする、コミュニケーションを取るのが苦手、興味のあることに異常なほどに熱中する。

 人によって症状も違い、いろいろらしいが、これらのよくある症状は、客観的に見て、僕にしっかりあてはまる。

 僕は自分にはよくわからない「気持ち」というものに興味を持った。

 無表情でいるとよく言われるのが、「冷たい」とか「怖い」という言葉だ。別にそう言われて「つらい」思いをするわけでもないが、そんなふうに思われるということ自体に興味を持った。

 そんな意識で周りを見ていると、なかなか興味深い。

 人は「表情」や行動で「気持ち」を表している。観察していると何となくパターンが読めてくる。「眉をひそめる」イコール「いらいらしている」、「目を細めて口角を上げている」イコール「うれしい」……などなど。

 人間観察は「面白い」。

 ただ、一つ難点はあった。「何見てんだよ」とか「こっちを見てる目が怖い」とか言われてしまう。言われたところで自分自身は何ほどのこともないのだが、相手に「不快」な気持ちを与えていると思うと、それは良くないことなのかとも思う。ただ、非常に興味深い観察対象があるとついつい見てしまう。

 次に僕が熱中したのは、小説を読むことだった。

 小説は僕にとっての教科書だった。人の気持ち、行動、表情、様子が実にわかりやすく書いてある。なるほど、人とはこういうときにこういう気持ちになり、こういう表情をし、こういう行動をするものなのか。小説を読んでいると「なるほど」がどんどん増えていく。

 なかでも、「山野かえで」という作家の小説は良かった。一人一人の登場人物がさまざまな一面を見せる。実に勉強になる。そして何より、小説の登場人物はこっちに「何見てんだよ」とか「何読んでんだよ」とは言わない。もともと、読まれることが前提であるわけだから、何の気兼ねなく、堂々と読むことができる。これは大きなメリットだ。

 もう一つの本を読むことのメリット、それは、外界をシャットアウトできるということだ。人付き合いが苦手な僕は、話しかけられることも苦痛だ。というより、話しかけられた後の僕の反応によって引き起こされる他者の反応が、面倒くさい。本を読んでいれば、よっぽどのことがない限り、人は話しかけてこない。無用な確執を招かずにすむ。


 最近、僕はクラスの中に、興味深い観察対象を見つけた。本宮早紀という女の子だ。

 教室内での彼女は、どちらかというといつもうつむき加減。人から何か聞かれてもはっきり答えず、もごもごと返す。人の視線を気にしている。笑顔(多分)がややぎこちない。以前、僕が鏡を見ながら「これが笑顔というものかな」とやってみた「笑顔」に近いものがある。これは自信のなさの表れか?

 僕と違って、友達はいるようで、その子といるときは、若干マシだ。だが、基本的に自分の考えを人にはっきり伝えるということは、あまりない。とりあえず、周りの考えにあわせて

「だよねぇ……」

とうっすら笑って(?)いる。 

 ところが、図書室でみかけた本宮早紀は、全くの別人だった。僕が図書委員の仕事をカウンターでしていると、彼女がやってきた。半ば踊るようなふわふわとした足取りで書架に向かい、一心不乱に本を探す。口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。教室のぎこちない笑顔とは全くの別物だ。お目当ての本を見つけたら、いそいそと抱きかかえるようにしてカウンターに持ってくる。最初は何気なく視線の隅でとらえていたが、あまりに興味深く、禁を破って、じっくり観察してしまった。

 人とは、その置かれている状況によって、こうも表情や動きが変わるものなのか。面白い。

 気づけば、僕はいつしか、図書室でも教室でも、本宮早紀の姿を探していた。

 一度、休み時間の教室で、大爆笑している友達の横で「へへへ」と小さく笑っている彼女を見ていたら、目が合ってしまった。本宮早紀は一瞬、固まり、ビクッと身体を震わせて視線をそらした。まずい。またやってしまった。完全に怖がられている。

 しかし、気をつけようと思うものの、彼女の方から勝手に僕の視界の中に入ってきてしまう……ように思う。そんな時は、視線を無理矢理窓の外に向ける。そこに広がる空にも「感情」めいたものがあり、微妙な色の変化、雲の流れがまた面白い。


 そんな僕に、図書室で彼女の方から話しかけてきた。

「すみません、山野かえでの新刊って、図書室にありますか?」

よりによって、「山野かえで」とは。でも、きっと「驚いている」という感情は、僕の表情からは読み取れないだろう。客観的に分析しながら、手続きをこなす。残念ながら求める本は貸し出し中だった。そのことを告げた後、ふと、彼女が「山野かえで」の小説を読んで、どう反応するのか、知りたくなった。

「山野かえでの『海の唄』はもう読んでますか?」

僕が感銘を受けた「教科書」の題名を伝える。

「読みました。私、その本を読んで山野さんの本、読むようになったんです。」

そうなのか。本宮早紀もあの本が気に入ったのだ。

「『風よ大地よ』は読みましたか?」

「いえ、その本はまだ。」

「もしよかったら。どうぞ。山野さんの本のおすすめランキングで、よく上位に入ってます。」

「借ります!」

喰い気味で言う顔が、ほんのり上気していた。

 本宮早紀は僕の勧めた本を抱きかかえ、スキップになりそうな足取りで図書室から出て行った。

 彼女が本を返しに来るまで、僕はあれこれと推測した。どうだったろう? 気に入ってもらえただろうか。そして、どんな感想を持つのだろう。

 二日後、大切に抱きかかえた本を、彼女はそっと僕に差し出した。

「とても良かったです。」

という言葉とともに。それはとても単純な言葉だったが、そこにある彼女の表情が「感動」を物語っていた。

「山野かえではいいですね。手放しのハッピーエンドではないところが、また、いいと思います。」

「あ、わかります。私も、そこが好き。」

そうか。そこが「好き」なのか。ということは、彼女自身が「ハッピー」ではないのであろうか。山野かえでが好きということは、あの複雑な心の揺れが理解でき、共感できるということだろうか。図書室と教室における二面性。彼女もまた揺れる心を抱えているのだろうか。

 知りたい。唐突に思った。彼女が何を考えているのか。感じているのか。どんな思いで生きているのか。何を見たら、読んだら、どう思うのか。

 それから、僕は本宮早紀にいろいろな本を薦めた。彼女も僕の知らない本を薦めてくれた。互いに感想を述べ合った。「なるほど」と思うこともあった。「自分とは違う読み方だな」と感じることもあった。そのすべてが興味深かった。

 なるほど、同じ事象に対しても、自分とは違う「人」は、こんなふうに考えるものなのだ。もっともっと知りたい。言葉を交わしたい。めまぐるしく動く本宮早紀の表情を見ていたい。そして、彼女の「感情」を感じたい。

 「人」に対してこんなにも執着するのは初めてだ。自分自身、意外だった。「自分」の新たな一面を見た気がする。

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