2 本宮早紀 ②

 高二の春。どうにかこうにか人生をやり過ごしている私に、文字通りの「春」が来そうな瞬間が訪れた。今まで「恋愛」という二文字からとんと縁がなかった私の前に、二人の男子が登場する。そして、今までにない重大な選択を迫られることとなる。


 一人目は、人付き合いがあまり得意でなさそうな、図書委員の野崎誠君。

 正直、最初はとっつきにくかった。恐らく彼は、私以上に鏡というものを見ないのだろう、元々軽いくせっ毛の頭は、その日のコンディションによって寝癖がアンテナのように立っている。黒縁の四角い眼鏡の奥で、神経質そうな細い目がキラリと光る。うわさでは、理数系は学年トップクラスの成績らしい。私がお手上げの三角関数の難問も、スラスラと黒板に解いていく。先生も、誰も分かりそうにない問題は、最後に野崎君に振るというのが定番になっている。

 こんな私が言えた義理ではないのだが、教室の喧噪に背を向けて窓の外を見ている背中には、「我に触れるな、近寄るな」と書いてあるように思えてしまう。休み時間中の彼の視線は、窓の外、または、本。時々、教室内でじゃれ合ったり、たわいもない会話で盛り上がったりしているクラスメートの方へ視線を向けるが、あまりにも無表情なので、びびってしまう。事務的な話題以外で、彼がクラスメートと話しているのを見たことはない。それでも、四月当初は、数名のチャレンジャーが接近を試みていたが、あまりにも会話が続かず、時にはひどくとんちんかんなやりとりになってしまうので、早々にそんな光景は見なくなった。教室で彼の声を聞くのは、授業中、先生に当てられたときぐらいだ。

 あるとき、私は図書室で本を捜していた。選ぶことが苦手な私だが、相手が「本」の場合は、安心していられる。私がどの本を選ぼうが、誰も関心はなく、世の中に影響はなく、私自身が困ることもなく、従って、誰に遠慮することもない。「早く選べ」とせっつかれることもない。図書室は私がストレスフリーでいられる貴重な場所なのだ。高くそびえる書架にずらりと並んだ本たち。色とりどりの背表紙に、魅力的な題名が踊る。ゆっくりとそれらを眺め、お目当ての本を探す。

 本の世界は素晴らしい。私が知らない世界にいざなってくれる。登場人物が私に文句を言うこともなく、ただひたすらに、その世界に埋没することができる。空想を広げ、いつもの自分とは違う存在となって、その本を旅する。本を読んでいるときは、私は「自由」だ。

 その日、私が読みたかった本は書架に見当たらなかった。フォローしている作家の新作がでたと聞いて、いそいそとやってきたのだが、さすがにまだ購入されていないのかもしれない。あきらめて他の本を探そうかと思ったが、その時、入り口付近に設置されたカウンターで事務作業をしている野崎君を発見した。パソコンに向かっている姿は、「ザ・図書委員」という感じだ。若干、声をかけるのをためらったが、「山野かえでの新刊を早く読みたい」という願望の方が強かった。

「すみません、山野かえでの新刊って、図書室にありますか?」

 恐る恐るの質問に、野崎君は顔を上げて言った。

「この前、入れてますけど、多分、今、貸し出し中じゃないかと思います。検索してみますから、待っててください。」

 キーボードをたたく指が実になめらかだ。

「ああ、やっぱり、貸し出し中ですね。予約入れときますか?」

「はい。お願いします。2年6組の本宮早紀です。」

「本宮さん……ね。」

 このときまで、私が自分と同じクラスの人間だと認識されていたかどうかは、謎である。気づいていたにしろ、いなかったにしろ、それをみじんも感じさせない口ぶりでつぶやき、事務処理をしてくれた。

「五日後ぐらいに来てくれたら、多分大丈夫だと思います。今借りてる人が、ちゃんと期限内に返してくれたら、の話ですが。」

 私が同級生だと分かって、この後に及んで敬語? そうツッコみたくなる心を抑えて、おとなしく答えた。

「わかりました。」

引き下がろうとした私の耳に、思いがけない質問が飛び込んだ。

「あ、その間にって言ったら何ですが、山野かえでの『海の唄』はもう読んでますか?」

「読みました! 私、その本を読んで山野さんの本、読むようになったんです!」

興奮して、ちょっと声が大きくなる。野崎君、山野かえでの本、よく読んでる?

「そうですか。じゃあ、『風よ大地よ』は読みましたか?」

「いえ、その本はまだ。」

「もしよかったら、どうぞ。山野さんの本のおすすめランキングで、よく上位に入ってます。」

 こんなにも長くしゃべる野崎君。超レアだ。そして、この私に本を薦めてくれるなんて……。しかも、山野かえで。切なくて、でも、最後は少し勇気をもらえる彼女の作品が私は大好きだ。教室での近寄りがたいイメージと違いすぎて、ピンとこなかった。図書委員として当たり前? いや、こんなふうにしてくれる人ばかりじゃない。


 彼に勧められた「風よ大地よ」は、とても良かった。世界に引き込まれて、一気に読み終えた。一人一人の登場人物が実に魅力的だ。知らないところでそれぞれが関わり合い、影響し合い、もがきながら手探りで生きている。重たい現実はあるけれど、ラストにあたたかい希望がある。読了したのは、夜中の一時。ゆるゆると心がほどけ、涙が出た。裏表紙を閉じてしまうのが名残惜しく、しばらく最終ページを見つめていた。

 二日後、図書室を訪ね、泣いてしまったことは言わずに「とても良かった」と、シンプルに伝えた。野崎君は、私が差し出した本を受け取り、そっと表紙に手を置いた。

「山野かえではいいですね。手放しのハッピーエンドではないところが、また、いいと思います。」

「あ、わかります。私も、そこが好き。」

「登場人物の心情が実によく書けてます。それぞれが、違ってる。いろんなことを抱えながら、いろんな感情を抱えながら、でも、生きてるって感じで……。」

 またまたレアな、語る野崎君。淡々とした口調で、相変わらず無表情だが、彼が自分の気持ちを口にするのって、聞いたことがない。こんなふうに思う野崎君は、「何か」を抱えて生きている人なのだろうか。そんな深読みをすると、ぶっきらぼうで愛想のない表情も、近寄りがたいものではないと感じられてしまう。山野かえでの本が好きな人に、根っからの悪人はいない、そう勝手に思う。「根っからの悪人」というものがあればの話だが。そもそも、「根っからの」という言葉がうさんくさい。

 その後も私はしばしば図書室を訪れた。しかも、わざわざ野崎君がカウンター当番である曜日を選んで。そう、なんと、選んで。選ぶのが苦手なはずの私が、「選んで」いる! 

 野崎君とは、互いの好きな本を薦め合う仲になった。

「本宮さん、予約してた本、返却されたから、図書室、行ってみてください。」

「わかりました。ありがとう。」

 私と野崎君の教室でのやりとりを聞いたユカリが、血相を変えて、すごい勢いで私の手をつかみ、廊下に連れ出した。

「ちょっと、早紀、いつから野崎誠とそんな仲なの!」

「そんな仲って……。野崎君、図書委員だから、いろんな本を教えてもらってるだけだよ。」

「ひぇ~………」

 ユカリの喉から悲鳴に近い声が漏れる。

「教えてもらってる? あの人に? あいつが人に教えるって、そんなキャラ違うし。」

「キャラかどうかはわかんないけど、本の趣味が合うのは確かかな。」

そう。山野かえではもちろん、彼が勧めてくれる本は、私の心にストンと落ちるものが多かった。互いの読んだ本について、感想めいたことを話すこともある。そうだよね、と一致することもあれば、野崎君の捉え方に、なるほど、そう言う見方もあるのかと、感心することもあった。逆に、私の感想を聞いて、

「ああ、そういうことですか……」

と、野崎君がうなずくこともある。私のお気に入りの本を、自分以外の人がどうとらえるのかを聞くのは、とても楽しい。

 ユカリは不思議な生き物を見るように私を眺めた後、ふうっと大きく息をついた。

「ま、何にしても、めでたい。」

「めでたいって、何が?」

「だって、今まで男子とまともに話したこともないアンタが、ちゃんと笑顔で話してる。普通に。おまけに、あの変人キャラの野崎が自ら他人に話しかけてる。まあ、相手が野崎で良いのかっていう問題はあるにせよ、とりあえずは、めでたい。うん。そういうことにしておこう。」

 わけの分からない納得の仕方をしているユカリは、満足そうにうんうんとうなずいていた。


 もう一人は、我がクラスの体育祭実行委員長、水谷玲弥君。

 あらゆる面でトップを走り、それがまた嫌味にならない、お得な性格の持ち主だ。抜群の運動神経で、バレー部のエース。勉強もかなりできる。お祭り騒ぎ大好き。彼が「行くぞ!」と旗をふると、みんながそれについて行く。まさに「リーダー」とは、彼のような人のことを言うのだろう。少女漫画の主人公を具現化した存在、それが水谷玲弥だ。天は二物を与えぬと言うが、玲弥君を見ていると、天もやっぱりイケメン推しなんじゃね?……と思えてくる。おそらく、ジャニーズの書類選考でも、余裕で通るんじゃあなかろうか。柔らかなやや茶色がかった髪の毛が、さらりとおでこで揺れる。ちょっぴりルーズに着崩した制服が堂に入ってる。

 彼を見ていると、この世は不公平だと突きつけられる。

 彼に憧れている女生徒は山のごとくいる。下級生の間では、ファンクラブがあるという話だ。でも、不思議なことに、誰かと付き合っているという話は聞いたことがない。今まで、多くのチャレンジャーが告ったが、断られているらしい。


 我が校の体育祭では、クラスごとに、「グルデモ」(グループデモンストレーションの略)と「応援看板」のどちらかの部を選び、競い合う。グルデモは曲に合わせて、自分達が考えた振り付けでダンスをするというもの。応援看板は、縦四メートル、横三メートルの巨大なキャンパスに、キャッチコピーと絵を描くというものだ。

 ロングホームルームで、我が2年6組はどちらの部にエントリーするか、という話し合いが行われた。グルデモを押す面々は、いわゆる「ネアカ」な人たち。歌って踊ってノリノリで楽しもう、と息をまく。

「それにさ、やっぱり、みんなで一つのことをやるって、楽しいじゃん。」

「アオハル的な?」

「そう、それ! 分かってるねえ!」

 対して、「応援看板」派は論理で攻める。

「だって、ダンス苦手って人もいるでしょ。みんなが楽しめなきゃ。」

「応援看板だって、みんなで一つのものを作るわけじゃん。ちゃんと形に残るし。」

「いやいや、チマチマ色塗りするのは性に合わねえって奴もいるいる。現に、俺、そう。器用じゃないから、絶対はみ出すし。そしたら、こわ~い女子に怒られるの、俺だし。」

「何それ。私だって、ダンス下手くそって、笑われるの、嫌だからね。」

 熱い討論の末、どちらも譲らず、最終的に、多数決で決めようということになった。

 実行委員長の玲弥君が決を採ると、まさかの十九票対十九票。

「手、あげてない奴、いるよな。俺は立場上、挙げてないけど。もう一人、誰?」

 どちらとも決められず、手をあげなかったのは、私。沈黙に耐えられず、私は迷った末、おずおずと手をあげた。

「やっぱ、早紀かあ。お前、いっつも、そうだよなあ。」

「でも、今回はどっちか決めてくれよ。」

 周囲の視線が痛い。早く早くとせかされる。地獄だ。決められるわけがない。

 私の「選べない病」が発動するのには、いくつかの傾向がある。

 その選択が重たいとき。

 二つの選択肢それぞれに、重みがあるとき。

 それぞれに人の思いがのっかってるとき。

 片方を選ぶということは、片方を捨てるということ。否定するということ。そして、大勢の人の前で、決断を迫られると、余計に決められない。私の選択が公の前でさらされる。私の選択結果が、私だけじゃない他の大勢の人に影響を与えてしまう。自分だけのことでもなかなか決められないのに、他の人のことまで責任を取らなくてはならないなんて、最悪。重すぎる。しかも、このフィフティフィフティの状況。まさに、私の一票で決まってしまうなんて……。当然、選ばなかった方を推す人たちから、恨みを買いそう。まあ、こんなことになる前に、みんなで決を採ったとき、「えいっ」と決断して、手をあげてしまえば良かったんだ。だか、時既に遅し。

 決められない私にイジイジしてくるみんなの醸し出すオーラは、ズンズンと私を押しつぶす。いっそのこと、もう、この教室から猛ダッシュで逃げ出してしまおうか、と、いつになく行動的な選択肢が頭の片隅によぎった瞬間、明るい声が響いた。

「本宮、どっちか、選べないの?」

 玲弥君だ。まっすぐな目で、ガタガタぶるぶるの私を見つめてくる。その屈託のない明るさに励まされて、私はあらん限りの勇気をかき集めて声を発した。

「うん。」

 自分では、精一杯の大きな声のつもりだったそれは、何じゃそりゃと、我ながらツッコミを入れたくなるような、ふにゃふにゃと消えてしまいそうなものだった。

「どうして?」

 重ねて聞く玲弥君に、玲弥君だけに向かって、必死の声を届ける。

「だって、みんなの意見聞いてると、それぞれ、もっともだなって思うから。グルデモにはグルデモの、応援看板には応援看板の良さがあるから、選べといわれても、困ってしまう。どっちか選ぶと、選ばれなかった方は可哀想だし。」

「ふ~ん。そりゃそうだな。」

 うなずく玲弥君に向かって、誰かがつっかかった。

「いやいや、そこ、納得する所じゃないっしょ。だって、両方はできないんだから。どっちか一つに決めるために、こうやって話し合ってるわけじゃん。」

 その通りです。その通りです。その通りです。あなたが正しいです。決められない私が馬鹿なんです。

 黒板に書かれた「グルデモ 19  看板 19」の文字が、白く強く目に突き刺さってくる。脳内自虐エンドレス版に突入しかけた私の耳に、またしてもさわやかな声が響いた。

「確かにそうだ。でも、選べないっていうのも、それはそれで、アリかなって、俺は思うよ。いい加減に考えてる訳じゃないことは、本宮の様子見てたら分かるし。本気で考えてるからこそ、選べないってことだろ。」

 何と! 玲弥君、緑の黒板を背負って微笑むあなたは神様ですか? もはや、その端正な顔の後方に、後光さえ差しかねない。ちょっぴり、いや、すばらしく良い方に、私の優柔不断さを拡大解釈してくださってますけど。

 さらに、「神様」はこう続けた。

「でも、このままじゃ、決まらないよな。というわけで……」

 充分すぎる間を取った後、茶目っ気たっぷりの言い方で、声を張り上げた。

「俺が投票に参加しま~す!」

「おっと、そう来るか。」

「俺だって投票権、あるもんね。こういうときのために、議長の票は温存されとるのじゃ。諸君、覚えておくように。」

「で、お前はどっちなの?」

「もちろん、グルデモ! ずっとやりたかったんだ! 去年、俺のクラス、応援看板だったから、指くわえて見てた。わ~、楽しそうって。絶対楽しいよ。みんなでやろう。ダンス苦手っていう人には、ちゃんと教えるし。」

「ほんとに? 私、超運動音痴なんだけど。」

「大丈夫! そりゃあもう、手取り足取り教えるからさ。」

 玲弥君のくねくねした妙な手つきと腰つきに、笑いが起こる。

「おいおい、玲弥、手取り足取りって、お前、変なねらい持ってないか?」

「あ、バレた?」

 ツッコミを笑顔で交わす玲弥君、あなたは本当にすごい人ですね。

「まあ、冗談抜きで、お互い、教えあおうや。それでもどうしても無理なところがあったら、人によって振り付け変えてもいいし。」

「なるほど、そういう手もあるか。」

 ムードが一気に変わった。

「じゃ、決まり!」

 黒板に白チョークで書かれた「グルデモに決定!」という大きな文字は。太く力強かった。緑の黒板の上で、生き生きと踊っていた。


 その後、玲弥君指導の下、グルデモの練習が始まった。

 五分短縮授業で浮いた三十分間が体育祭のクラス練習・準備の時間に充てられ、それぞれのクラスで計画を立てて取り組む。体操服に着替えてグランドに並び、音楽に合わせて振り付けを練習する。体育祭まであと十日。結構ハードなスケジュールだ。

 正直なところ、運動神経に難がある私は、心の中では応援看板の方がみんなに迷惑かけないかなとも思っていた。あの時は、その本音を口に出せなかったけれど。

 しかし、練習が進むにつれて「楽しい」とさえ思っている私がいた。下手は下手なりにちゃんと教えてくれるし、上手くいかなかったステップが踏めるようになったときは嬉しいし、みんなと振りがぴったり合ったときはこの上ない達成感を感じた。「グルデモにして良かったね。」そんなつぶやきを聞いたときは、理不尽ながら、何だか自分の手柄のようにさえ感じて、にやにやを押さえられなかった。もちろん、本当の功労者は、玲弥君なわけだが。

 有言実行、まさに「手取り足取り」教えてくれる彼がいたからこそ、一人一人が上達していったのだと思う。

 そんな中で、みんなの予想を大きく上回って上達したのが、あの野崎君だった。

 インドア派の彼は、当然ながら応援看板に票を投じた一人だった。最初は私同様、ぎこちなく、左右は反対、手と足同時は無理、という散々な状態だったが、そこからの追い上げがハンパなかった。ぎこちなかったステップが、どんどんサマになっていく。しっかりリズムに乗っていて、小気味よい。

「やるじゃん、野崎!」

 驚きと賞賛の声を浴びながら、やはり表情は崩さず黙々と踊る姿は、もはや「かっこいい」に分類される。


「野崎君、すごいね!」

 放課後、図書館に向かう廊下で彼を見かけて、勢い込んで声をかけた。野崎君は立ち止まり、怪訝な顔で首をかしげた。

「何がですか?」

「何って、グルデモだよ。めっちゃ上手くなってて、すごい!」

「そうですかね。」

 いつもと変わらぬ静かな声だ。

「そうだよ! みんなもそう言ってる。」

「そうですか。」

あまりにも平然とした様子に、本音が口をついて出た。

「そうだってば! もう、反応うすいなあ。」

 言ってしまってから、しまった、と思ったが、遅かった。私のその言葉に野崎君は不思議な表情で固まった。「表情」と言えるものなのかどうかはよく分からないほどの、微妙な揺らぎが感じられた。

 しばしの気まずい沈黙の後、ほとんど同時に声を発していた。

「いや、悪い意味じゃなく……」と、私。

「お願いがあるんですが……」と、野崎君。

 お願い? あたふたしている私の耳に予想外のフレーズが飛び込んできた。

「お願い?」

「はい。」

 野崎君は、少しためらってから、衝撃の言葉を発した。

「本宮さんにお願いです。僕と付き合ってくれませんか?」

 耳を疑った。再び訪れる沈黙。廊下の窓から指してくる日光が、やけにまぶしく感じられる。深呼吸してから、おずおずと聞いてみた。

「すみません、今、何と?」

「僕と付き合ってもらえませんか?」

 相変わらずの無表情で、野崎君はリピートする。言葉が出ないまま、硬直している私にさらに追い打ちがかけられた。

「もしよかったら、実験のつもりで。」

「は?」

「僕の言っていること、多分よく分かってもらえないと思いますが、僕は、本宮さんと付き合えたらいいなと思っているんです。」

「実験って………どういうこと?」

「結果がどうなるか分からないけれど、上手くいくかどうか分からないけれど、試してみる、という意味だととらえてください。」

 まっすぐこちらを見る目から推し量ると、ふざけて言っているわけではないと思われる。そもそも、野崎君が「ふざける」何てことがあるわけない。極めて「本気」である。ただ、「野崎君」と「付き合う」という言葉が、私の中でマッチしない。

「私と……ですか……」

「はい。本宮さんと。他の人は考えられません。」

 これは、はたして愛の告白なのだろうか。野崎君が私のことを好き? そもそも野崎君にもそういう恋愛感情は存在するの? いやいや、それは失礼だ。いや、でも、その対象が私? 実験って……。試しに付き合うってどういうことよ……?

 ぐるんぐるんと回り続ける思考。それを遮って野崎君の声がどこか遠くから聞こえてくる。

「突然、こんなところでこんなことを言い出して、すみません。でも、僕の中では、結構前から考えていて、考えた結果、いつかお願いしたいと思っていたことなんです。返事は急がないので、ゆっくり考えてください。」

 立ち去る野崎君の背中を目で追いながら、私の頭には特大の「?」が渦巻いていた。

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