06-52-銀河6 -木桶に閉じ込められた世界-
月明かりの下、テーブルに載ったのはヒノエ木材から作られた浅く丸い木桶。
中には様々な種類の寿司60貫が握られていて、ネタの脂が月光を弾き返しててらてらと煌めいている。
「うおおおおお寿司かよ……!」
まさか異世界で寿司が食えるなんて思ってなかった。誰だよこんなこと考えた天才。
飯場に目をやると、人混みのなか、腕まくりにハチマキまでした黒乃さんがせっせと寿司を握っている。
「黒乃さん、寿司まで握れるのかよ。人生何周目だよ……」
なんだろう、和弓と薙刀を持つ黒乃さんは〝和〟のイメージが強いけど、それはあくまでもニホンの武道に則ったものなんだって思っていた。
なんだよ寿司って。武道とか家が道場とか関係ないじゃん。最高かよ。
眼鏡の奥にある黒乃さんの瞳は真剣そのものだ。弓を引く際もこんな感じなんだけど、寿司を握り、形を整え、木桶に並べてゆく姿は〝職人〟のそれだった。
そんな彼女の姿は紛れもなく〝和〟であり、なんというか……どうしようもなく〝
「要くん、見すぎです。早くいただきましょうよー」
向かいに座る月宮さんの俺をたしなめるような声で我に返った。
俺のことは気にせず先に食べればいいじゃないか、なんて思ったが、改めて木桶に視線を向けると、その言葉は口にできなくなった。
ただ載っているのではなく、大きめのネタでシャリの上半身を包むように〝コの字〟に握られたマグロ、サーモン、中トロといった握りが、同じ体勢で整然と並んでいる。
……実際にはサーモンはサーモ魚で、いかにもマグロな寿司はなんて魚かわからないんだけど。
軍艦巻きまである。イクラまである。なんだよこれ一粒一粒が赤く光るルビーかよ。
美しすぎる。
食べたくてどうしようもないのに、食べるのはもったいないというか、気が引けてしまう──そう
「じゃ、じゃあ、俺はマグロから」
「な、なら、るうなはイクラから」
月宮さんは丁寧に箸で、俺は手掴みで、ふたり同時にこの世界を壊した。
小皿の醤油をちょんとつけ、口に運ぶ。
赤々とした鮮やかな煌めきが目を引く──
ひと口で頬張ると、わずかな歯ごたえとともに広がる豊かな旨味と、新鮮な海の香りが鼻に抜けていった。
うっっっっま……!
回転寿司しか食べたことのない俺が言うのもなんだけど、え……? マグロって、舌の上で溶けるの……?
というか、海っぽさはあるのに生臭さは全然ない。これどうなってるんだ? 酢飯が持つ甘さとの絶妙な調和もたまらない。
っていうかシャリがまたすごいんだって。
しっかりしているのに固くないし、柔らかいのに崩れない。このシャリ、一生食っていたい。
こ、これが回らない寿司……!
「んーーー~~~~!」
イクラを口にした月宮さんが瞳を輝かせ、モスキート音かよって思うくらい甲高い声をあげた。
「え、ちょっと待ってくださいちょっと待ってください。るうな、仕事上お高いお寿司屋さんにお邪魔することもあるんですけど、全然そこに負けてないっていうか、むしろ……。えっ、ちょっと要くん、イクラ食べてみてくださいよー!」
興奮冷めやらぬ様子で俺にイクラを推す。
やっぱりトップアイドルともなると稼ぎがすごいのだろうか。いや、言いかたからすると仕事のつきあいみたいな……? 月宮さんはバラエティにも出てたから、ご飯もののテレビでだろうか……?
「月宮さんもマグロ食ってみてくれよ」
「は、はいっ」
今度は俺がイクラ、月宮さんがマグロを手に取る。
あれ、なんかこのイクラの軍艦巻き、思ったよりもずっしりと重い。
じつは、俺はイクラってのがあんまり好みじゃない。
噛んだら出てくるべちゃっとした磯臭い水分が苦手なんだよな……。
それでも黒乃さんなら。黒乃さんならなんとかしてくれる……!
磨かれた宝石のように美しいイクラが光を受けてきらきらと煌めいている。
……あれ? なんか俺が食べたことのあるイクラより、一粒がめっちゃでかい……?
そう思ったときには、俺はイクラの軍艦巻きを頬張っていた。
ひと噛みすると、まずパリッと香ばしい音が鳴り、お、この海苔美味ぇ、と思った。しかしその感動に浸る暇もなく、プチプチッという小さな爆発音とともに、口のなかで海の恵みが弾けた。
「ん……!?」
びゅーっと溢れる海の粒。
塩味の効いたイクラの液体が口内に広がり、磯の旨味が舌の上を滑ってゆく。
そこにシャリの甘みと海苔の香ばしさがほどけ、俺はただひとり海原に立っている感覚に陥った。波の音まで聞こえる。
俺はいままで、イクラの軍艦巻きってのは、シャリを海苔で巻いてイクラが零れないように工夫した食べものだ、って思ってた。
違った。
海苔はイクラのことを、護っていたのだ。
零れないようにじゃない。このイクラが大切に大切に抱えてきた秘密を、誰にも知られないように。
イクラの秘密とは、世界一小さな海だったのだ。
たったひとり俺だけに食べさせるために、この海が誰にも見つからないよう、ずっと海苔はその身でイクラを包み、護っていたのだ。
海苔、ありがとう。
イクラ、ありがとう。
土台としてイクラを支え続けてきたシャリもありがとう。
「マグロも超おいしいですー! ……え、要くん、なんか泣いてませんか?」
「わさびが効きすぎたかな……」
「わさびなんてつけてませんでしたよね!?」
いけない、美味すぎて感情移入しすぎてしまった。
「次はブリなんてどうですかねー」
「え、これブリなの? タイじゃないの?」
「どうやったらブリとタイを間違えられるんですかー。むぐむぐ……うまっ!」
「むぐ……。……結局どっちかわからんけどうまっ!」
……そういえば。
月宮さんは俺がこんなことを考えるのはいやがる、ってわかってるんだけど……。
俺いま、あの月宮るうなと一緒に寿司を食ってるんだよな……。
妹の愛音が知ったら失神しそうだな。嫉妬に狂った拳で俺のことをぼっこぼこにしたあと、倒れた俺を指差し確認してから失神しそうだな。
というか遠慮なく食べているけど、どれくらい残しておけばいいんだ。
そう思って周囲に視線を巡らすと、舞原さんたちが作った折りたたみテーブルにも、布を敷いた土にもいくつかの木桶が置いてあり、中には寿司たちが手つかずで美しく整然と並んでいる。
あぐらをかいてそれらを囲むおっちゃんたちは、寿司と俺たちを交互に見比べ、戸惑っている様子だった。
「え……なんで食べねえの」
もしかして月宮さんみたいに、寿司が美しすぎて食べられない、ってことかもしれない。
「そ、その、これ、魚なんじゃろ? 生で食っても大丈夫なんかいの?」
違った。
そういえば元の世界でも、ニホン人が生魚を食べることが特別に多くて、アジア圏以外だと生魚を食べる文化ってあんまりないんだったっけ。きっとこのオラトリオでもそうなのだろう。
隣のテーブルでは、採取が一段落したエリオットと外から帰ってきたガレウスが冷や汗を垂らしている。
「オウ……領民たちは貧しさのあまり、生魚を食べているというのか……?」
「そうではなさそうじゃ。どうやら異世界の食文化らしいの。……にしても、ぐむん……」
エリオットはともかく、食への好奇心旺盛なあのガレウスでさえ戸惑っている。
「俺たちがいたニホンってところじゃ、これが魚のメジャーな食いかたなんだ。こんな美味いもんを食わないなんて、人生の大部分を損してるぞ」
俺がそう言っても、周りは「お、おう……」と消極的だ。
もしかして生魚を食うことで、アニサキスみたいな寄生虫のことを気にしているのだろうか?
「黒乃さん、イェスパーさんのご家族が釣ってきた新鮮な魚を使って、内臓もすぐに取り除いていたのでだいじょうぶですよー。イクラもちゃんと湯通ししてましたしー」
「あ、いや、そういうことは心配しておらんのじゃが、どれだけ飢えておったときも、生の魚は臭みが強すぎて食わんかったからのう……」
どうやらやはり味と匂いのほうを気にしているらしい。……まあこのへんは文化の違いだから、無理強いするわけにもいかない。
「いや、ワシは食うぞ! レオンどのと月宮どのが身体を張っておるのに、ワシらが食わんでどうする!」
一貫掴んで立ち上がったのはペッレルヴォだった。俺たち、身体を張っている気は毛頭ないんだけど。
「すぐ腹を壊すペッレルヴォがこう言っとるんじゃ! 皆の衆、いくぞい!」
「おうよ! ワシら海のモンが魚を食えなくてどうする! のうせがれども!」
アントンもイェスパーも立ち上がると、すべてのおっちゃんたちが立ち上がった。なんなのこの流れ。
おっちゃんたちがもちゃもちゃと咀嚼する。
全員目を瞑っていたが、一斉にカッと目を開き、顔が縦長になった。
「うまああああああああああああああい!!!!」
教会の鐘が揺れるんじゃないかと思うほどの大音声。
おっちゃんたちは「なんで?」「どうして?」と顔を見合わせながらそれぞれ木桶に手を伸ばす。
それを見たエリオットとガレウスも恐るおそるといった様子で寿司を口に運び、
「……んまああああああい!」
「……うまああああああい!」
緑眼を煌めかせるのだった。
……ニホンで寿司を食べる海外の人たちの反応を見ているようで、じつに誇らしい。俺なにもしてないけど。
黒乃さんと奥さまがた、魚を釣ってくれたイェスパーの家族に感謝である。
その後、相馬さん部隊作のアラ汁、鳥の唐揚げ&フライドポテト&ハッシュドポテトの盛り合わせ、野菜の天ぷら盛り合わせが登場し、テラスはさらに湧いた。
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