06-47-銀河 -心からの尊敬と感謝を-
墨黒とした空に無数の星々が煌めき、銀の舞台がうまれている。
「では、行って参りまするぞ」
「あ、あの、本当にボクは同行しなくてもよろしいのですか?」
「きゃつらは不要な詮索をしてくるでの。儂ひとりのほうがあしらいやすい。そちは儂が教会に戻ったのち、残りの兵とともに一度屋敷を見て参れ」
ガレウスは一度パパドプロス邸に戻り衣服を整え、裕福街にある中央議事堂で領主交代の報告へと向かうことになった。
見送りはエリオット、ミシェーラさん、白銀さん、俺。
教会前に繋がれていた8人乗りの
御者シカネスは〝空を燃やせ〟という指示を受け、命令は絶対だと知りながらもなかなか行動に移せなかった。
オラトリオに住む人々のほとんどがそうだが、彼も熱心なオラトリオ信者だったらしく、善悪の観点からも信仰心からも、教会を燃やすなどとんでもない。
ここまでくると、領主からの罰が怖いか、神罰が怖いか、になってくる。
振るえる手で荷台のい草にわずかほどの油を振りかけ、歯をカチカチと鳴らしながら悩みに悩んだ挙げ句、
そこをガレウスの護衛であるゴルドとジルバが取り押さえた。
そのときシカネスは、
『お願いします……斬ってくだされ……。後生です、殺してくだされ……』
懊悩の果てに神を裏切ったことを悔い、ふたりの重騎士にそう嘆願したという。
主命よりも神よりも、こんなことをする自分がいちばん怖い、と。
マクベス退場後も彼はずっと思い詰めた顔でつぶやいていた。
なにはともあれ実行犯は自分である。だから殺してくれ、と。
神に背いた罰をくだされ、と。
『ガレウスさまは先ほど──いのちには使いどきがある、とおっしゃいました』
彼を救ったのは──
『もしも死ねば救われると思っているのならば、あなたさまのいのちの使いどきは、いまではございません』
ミシェーラさんだった。
『そもそも、いのちの使いどきは、死ぬときではなく、生きているときなのです。死ぬことに意味を見出すのではなく、生きるなかであなたさまの生きる意味を証明してくださいませ』
あれは神の説教だったのか、それともミシェーラさんの人生のなかで培った訓戒だったのかはわからない。
ただ、彼女は、
「旦那さま、どうぞ」
「悪いの」
シカネスに手を引かれ、ガレウスは乗合馬車の一階席に乗り込んだ。
マクベスの元兵士のうち4人が馬車の背にある丸みを帯びた階段で屋上──二階席へと上がってゆく。……ちょっと乗ってみたい。
「ときに、レオンどの」
シカネスが御者席に座り手綱を握ったとき、ガレウスが四角い窓を開けて声をかけてきた。
「先ほど、レオンどのが愚息と孫をダンジョンへと
ガレウスの言葉で振り返ってみると……〝死なないのなら戦え、それが当然だ〟という言葉を自ら証明してほしかった、という感情の裏に、そういう気持ちもあったかもしれない。
「じゃが、違った」
「……は?」
「レオンどのはあのときからすでに、孫……エリオットを救おうとしてくれていたのではあるまいか」
……この爺さん、なに言ってんの。
俺がマクベスだけでなく、エリオットをアイテムダンジョンへ連れて行ったのは……。
……あれ、なんでだろう。
考えてみると、あのとき連れて行くのはマクベスだけでよかったはずだ。
「レオンどのは、はじめから見抜いておったのではないか。享楽に溺れざるを得なかった状況で、エリオットの心にはまだ清らかなるものが残っていたことを。……儂の心を見抜いておったように。あと変装も」
「いやそんなつもりはなかったし、言っとくけどあれ変装じゃなくて着替えただけだからな」
「ふふふ……奥ゆかしいものよ。……さすがじゃ」
「ねえ俺の話聞いて」
奥ゆかしいってなんだよさすがってなんだよ。
「レオンどのはこうなることを理解したうえで、孫と共闘し、コボルトを討った。エリオットはマクベスとは違う、と皆に見せつけるために」
いや、あれは思いがけない成り行きだったんだって。
エリオットが手伝ってくれるなんて思ってもいなかったし、結果オーライというか。
ガレウスはゲートに映った光景を思い出すように目を瞑り──
「で、あろう?」
緑色の瞳を見せ、口角を上げてキメ顔をしてみせた。
まったくの勘違いだった。
「ハッ」
シカネスがいきいきとした声をあげて手綱を振ると、馬車はゆっくりと進み、カポポカポポと蹄を鳴らして夜の街へ消えていった。
「かなめ、そうだったの」
隣にいた白銀さんが俺を見上げてくる。
「いや全然なにも考えてなかった。偶然の結果っつーか」
「ふーん」
「あ、知ってる。これ信じてもらえてないやつだ」
というか全部が俺の手のひらの上のことなら、こんなにも綱渡りじゃなかったっての。
「でも、わかってることがひとつ」
「うん?」
白銀さんは南門への短い階段をとんとんっ、と上がって俺を振り返る。
「こういうとき、かなめにまかせておけば、まちがいない、って」
絹糸のような銀髪が遅れてふわりと揺れた。
「でも、やっぱりしんぱいはする。きっと、これからも」
やはり勝手にアイテムダンジョンに入ったことを言っているのだろう。ダンジョンから出たときなんて、モロ『かなめのあほたれ』なんて怒られちゃったもんね。
幸せとは、過去のあたたかな日々のことを言うのだと思っていた。
あるいは、未来に描く〝なりたい自分〟こそが幸せのかたちなのだと。
「うん。心配してくれる人がいるって、あたり前のことじゃないよな。……って、最近気づいた。いつもありがとな」
でも、もしも、自分のことを心から心配してくれる誰かがいるのなら。
ちょっと立ち止まって周囲を見てみれば、現在にこそ幸せがあるのかもしれない。
白銀さんは驚いたようにアイスブルーの瞳を大きく開け、やがて──
「……ふふっ」
「え?」
こう言っちゃ失礼だが、彼女の印象からは思いもつかないほど大人びた笑顔を見せた。
階段を二歩上がって同じ目線にいるからか。
……それだけじゃない気がした。
「……っ」
白銀さんは自分が笑ったことに驚いたのか、なにかに気づいたようにはっとして、赤くなった顔を背ける。
「かなめ」
「お、おう……?」
彼女の『かなめ』という呼びかたはすでにいつものものだった。
しかし普段、同い年とは思えぬ幼さを見せてくる白銀さんの変貌は、元に戻っても動揺の波となって俺の胸に押し寄せ続けている。
白銀さんは顔を背けたまま俺に視線を向け、また戻し、散々迷った素振りを見せ、
「Ihailen sinua koko sydämestäni. Kiitos myös kaikesta, mitä teet」
「ええ……」
俺にわかることは、白銀さんが口にしたのは日本語でも英語でもないということだけだった。
きっと北欧にある母国語なんだろうけど、そういえばどこの国かまでは知らない。
今度訊いてみようかな……なんて思ったが、同時に、どこだっていい、とも思った。
だっていま俺たちは、日本だろうが北欧だろうが関係ない、異世界勇者とか原住民だとか貧民だとかさえ関わりのない、この教会にいるのだから。
……それにしても、どうして俺はこう捻くれているのだろうか。
そんなことは絶対にないと信じきっているのに、
「……いまの言葉、俺の悪口じゃないだろうな……。……ないよね?」
なんて不安げな独りごとを口にしながら、頭をかいて教会内へと足を向けるのだった。
テラスでは、まるで今日の暴虐がなかったかのように、奥さまがたが嬉々として包丁を振るっている。
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