06-46-未来のうつわ2 -領主の姿-


「そこにぴったりのやつがいるだろ」


 エリオットに視線を向けると、衆目はエリオットに集まった。


「ぼ、ボク……? ど、どうして……?」

「いやどうしてもなにも、マクベスが失脚したんなら、順当にいけば次の当主はお前なんじゃないの。んで、ガレウス卿には大々的に隠居を発表してもらって、しれっとエリオットの後見役になってくれればあんまり怪しまれなくて済むんじゃないの」


 今度はガレウスも両目を見開く。


「あのー、るうないまいちわかってないんですけど、こーけんやく、ってなにする人なんですかー?」

「後ろ盾となって補佐する人のことだよ。相談役、と言ってもいいかもね」

「えっとー……。マネさんみたいな感じですかー?」

「そうだね。比類なき伝説のアイドルと呼ばれていた大先輩が、月宮さん個人のマネージャーになる感じかな」

「なんですかそれー! テッペン確定じゃないですかー!」


 なぜそれでテッペン確定になるのかはわからなかったが、月宮さんは理解できたようである。さすが聖。

 この例えではいざ月宮さんがテッペンを獲ったとき、月宮さんの力じゃなくてマネージャーのおかげ、マネガチャに勝っただけ。みたいな叩かれかたをする可能性大だが、今回の場合はガレウスがエリオットの祖父なのだ。祖父が孫を見守るのは不自然なことじゃない。


「しかし、その、孫はまだ未熟ものゆえ、その、その」


 ガレウスは両手で顔を覆い隠す。

 しかしちらちらと覗く口元が顔全体の隠しきれない喜びを表している。


 というか、こうなった以上、マクベスの正当な後継者はエリオットだ。それがわからないガレウスでもない。

 しかしガレウスからそれを口にするのは厚かましすぎるから、誰かが言ってくれるのを待っていた、みたいなニュアンスが感じられる。


「いま言った通り、ガレウス卿が後見役を引き受けてくれれば、の話ですが。あとは本人にやる気があるかどうか」


 エリオットにちらと視線をやると、ガレウスとは違い、自分に白羽の矢が立つとは思いもよらなかったという表情で慌てふためいている。


「ぼ、ボクには、そんな資格なんてない」


 エリオットの言う資格とは、血筋のことではない。

 きっと、父マクベスとともに行なった領民への冷遇が、彼にそう言わせているのだろう。


「資格、か。誰からも歓迎されて、誰からも認められて……そんな状況じゃなきゃ、大任は受けられない、か?」

 

 誰だって、なんらかの功績を残し、あなたさまこそ相応しい、と認められてから大任に就くのが理想だろう。その気持ちはわかる。


 俺だって……俺たちだってできることならせめて、経験と徳を積んでから勇者と呼ばれたかった。

 認められぬまま、いきなり背負わされた。


「お前はマクベスの長男に生まれた時点ですでに、領主の座を背負うことを運命づけられていたんじゃないのか。それを幸と思ったか不幸と思ったかは知らない。でも覚悟を決める時間はじゅうぶんにあったんじゃないのか。だからこそ父親を信じてきたんじゃないのか」


 とはいえエリオットには、自分がマクベスとともに領民にひどいことをした、という自覚がある。

 それに気づいたいま、立て直す善後策もないまま、領民の怨嗟をすべて自分のものにして領主になれ、というのがどれだけ苦しいか……? ということも理解できる。


 俺がエリオットなら、ここで領主になる選択はきっと選べない。


 でも、覚悟はともかく、俺は、エリオットがものすごい度胸を持っていることを知っている。


 さっきコボルトに立ち向かったからじゃない。


『ハァイ、ミシェーラ。今日も美しいね』

『あらエリオットさま。朝礼拝は終わってしまいましたわよ』


 権力を背景にした強みがあったとはいえ、自分をサッとあしらう女性に、あんなに何度も何度も挑んでゆく度胸を、俺ならきっと持てない。


 だから、俺には無理だけど、もしかしたらこいつなら。


 エリオットにみんなの目が集まる。

 ガレウスも控えめにちらちらと視線をやっているところを見るに、後見役を引き受けることは承知しているのだろう。……というよりもこの爺さん、最初からそれが望みだったようなふしがあるけど。


 あとはエリオットが領主となる覚悟を決められるかどうかだった。


 きっと、俺にはできない、覚悟を。


 エリオットはかたかたと膝を震わせながら礼拝堂の前方中央に歩み寄り、振り返った。



 そして──



 誰も頼んじゃいないのに──



 誰も命令していないのに──



 その場に両膝をつき、貴族服に合わせた緑の帽子が転げ落ちたことにも気づかない様子で、深々と頭を下げた。


 コボルトに見せたマクベスの姿とも、あの日の俺とも同じ体勢。


「ボクは……キミたちに、ひどいことをした……」


 しかし、エリオットは俺ともマクベスとも違い、きっと、頭を下げなければならない相手を、誤らなかった。


「ひどいことも言った……。ボクは父の威光を武器にして……。いや、きっと父も、祖父の力を悪用しただけだった。……ボクたちのものではないはずの権力を振りかざして……本当に申しわけないことをした」

 

 俺たちに対してではなく、ミシェーラさんにでもなく、偉大なる祖父ガレウスにでもなく、教会に集まった民に膝をつき、下座をして、頭を下げている。


 きっと、この後に続く言葉は──


「許してくれっ……! …………っ……!」


 「えっ」と声がした。

 それは間違いなく、俺の口からも鳴った音だった。


「ただ、チャンスをください。ボクはキミたちをどうしようもなく悲しませてしまった。つらいめに遭わせてしまった。……ボクはみんなを不幸にさせてしまったぶんを、これから先、みんなを幸せにすることで、償いたい」


 ……思えば、その言動に問題のあったエリオットとはいえ、貴族の御曹司であり、その未来は輝かしいものだと当人は信じていたに違いない。


 それがマクベスの愚行により、一気に霧散した。

 輝かしい未来は一転、犯罪者の息子──それもパパドプロス家ごと制裁、という闇に真っ逆さまだ。


 しかしここでマクベス以外はお咎めなし、となった。

 明るい未来が消え、闇に塗りつぶされて、その闇さえ消える──次々と転じるなかで、エリオットの未来は一度空っぽになったのではないか。


 じゃあ次は、空っぽになったうつわに、なにを満たすか──?


「もしもこの先、ボクが立派な領主になって……。ぐずっ、みんなが笑顔になって、じつは昔、あの領主はクズだったんだ、って指をさすことができるようになったら……。ひぎっ、も、もしも、それが、ぶじゅっ」


 嗚咽を漏らしながらも、うつわに満たすものは涙ではなかった。


「もしもそれが、笑い話になったそのときは、ど、どうか、ボクを許してほしい……」


 エリオットの空っぽになった心に満ちたものは、過去を悔い、現在はどれだけ惨めで情けなくても、未来の領民の笑顔を願う──領主の姿だった。


 マクベスにはなにひとつ通じていなかったけど。

 エリオットには、伝わっていたんだ。


 過去を背負って、現在いまの謝罪だけでは足りないとじゅうぶん理解したうえで、空っぽになった未来のうつわに立派な領主になるという誓いを注いだ。


 あとはこれが口だけではないと未来の行動で証明するだけだ。

 俺からエリオットに言えることは、もうなにもなかった。


 人々は顔を見合わせる。

 それは、あんなこと言ってるけどどうする? というものではなく、誰がエリオットに声をかける? というものだった。


「……お手をお上げくだされや」


 前に出たのは、おばば様──第5区画の長老シュルヴィアおうなだった。


 彼女はエリオットの前でひざまずき、どうにか彼よりも頭を低い位置に置こうと床に額をこすりつけながら語りだす。


「長年ここに住み着いた我らには、たしかに積年の怨みがござりまする。飢えをしのげず死んでいった者……寒さに耐えかねて死んでいった者……助けを求め、ことごとくあしらわれ死んでいった者……そしてそれらを救えなかった者」


 領民たちはシュルヴィア媼の後ろで同じようにひざまずき、涙をこらえているようだった。


「しかし、領主さまに対する怨みは、民を救ってくれなかったからではおじゃりませぬ」

「ぇ……?」


 エリオットは下座したまま、泣きはらして鼻水にまみれた顔を上げる。


 立っているのは俺たち異世界勇者とミシェーラさん、ガレウスだけだった。 

 俺たちも「え?」なんて声を出して、どういうことだと顔を見合わせるが、貧民たちはおばば様の言う通り、とでも言うように頭を下げ続けている……。


「我らの境遇を、我らの無念を……! ただ、領主さまにわかってほしかった……! わずかでもいい、消えていったいのちに、ささやかな手向けを……わずか、瞑目めいもくだけでもしてほしかった……!」


 感情が爆発し、おばば様は吼えるように言った後、わーっと泣き崩れる。 


「そうじゃ……!」


 はるか後方で、アーロンが立ち上がった。


「アントンのところのフリーダも……タルモの孫、ヘリヤも……儂のせがれも……救えなかった……。それをなんじゃ、領主さまは遺骸を兵士に片づけさせ、その足で……その指で……税収のため、畑の枚数を指差し数えていきおる……!」

「そうだ! ワシら貧民が飢えることは仕方がないと思える! じゃが領主はそんなこと屁とも思わん……! なんの感情もない! そのくせワシらがわずかな利を得れば、嬉々として奪ってゆく……!」


 そうだそうだ、とオリヴァー、ウオティと続き、奥さまがたたちまで立ち上がってゆく。

 気づけば仕事を終えて教会にやってきた第5区画の若者──アントンやペッレルヴォの息子たちの姿もあった。


 エリオットはひざまずいたまま顔を伏せ、肩を震わせている。


「皆の衆、静まらっしゃい」


 おばば様の声だった。

 声は静かだったのに、不思議と胸に響く。貧民たちはみんな揃っておばば様と同じ体勢になった。


「……しかし我らの怨みは、パパドプロス家に対してと申すより、2年ごとに交代する。積もった怨みをすべて現領主さまに抱いてしもうたは、我々の不徳でおじゃりました」


 これ以上できないくらい平伏しているのに、おばば様がもう一度頭を下げたことがありありとわかる。


 貧民が貧しいのは、多くの場合生まれによるものだ。

 同じ時代に生まれながら、どこで誰の子として産まれたか……? という人の力を超越した理不尽が、彼ら彼女らを貧民にした。


 ならば、理不尽な世界を怨むのも仕方のないことではないのか。

 領主という概念を憎むのも仕方のないことではないのか。


青公卿あおくげのヒルめが』

『領主など、誰がなっても同じじゃ』


 かつての言葉は、自分たちの力ではどうにもならない運命に対する一種の敗北であり、諦めではなかったか。


 いまこのとき、この場所において、忌むべき権力をもっと責めることもできるはずなのに、おばば様は鬱積うっせきした不平不満を己の不徳とした。

 パパドプロス家が第5区画領主となって1年と4ヶ月。それから遡って長年の怨みをパパドプロス家にぶつけてしまうのは間違いだった、と。

 実際、アントン、タルモ、アーロンの家族におきた不幸はパパドプロス家が領主になる以前の話だ。


 しかし人はここまで己に責を与えられるものなのだろうか。

 他責に逃げず、仮借かしゃくない自責の鞭を己に振るえるものなのだろうか。


 これは権力には抗えぬ泥濘でいねいのなかで啜ってきた泥水に毒された弱者感情ともとれる。


「我ら、総出で歓迎いたします──とはまだ申せませぬ。しかし、我らの光であるミシェーラどの、勇者がたのご推挙があり、オラトリオの英雄ガレウスさまがご後見くださるのであれば、我ら一同、あなたさまを受け入れまする」


 しかし俺は、これが泥濘のなかで得た、泥沼でさえも泳ぎ切る強さだったのだと信じたい。


 総出で歓迎はできないけれど、受け入れる。 

 きっと広義で俯瞰ふかんすれば、貧民から領主子息へ向けていい言葉ではない。


 それでもおばば様がそう言ったのは、エリオットに応えたくなったからなのではないか。


 これまでを許してくれ、ではなく、ここからを見ていてくれ。

 これまでを許しまする、ではなく、ここからを見ていまする。


 それは言い直せば、自分たちをいじめ抜いた領主という概念を信じることはできないが、エリオット個人を、エリオットが治める第5区画の未来を、ということなのではないだろうか。


 誰かを信じる、って、勇気が要ることだ。

 だって、信じるという言葉は、裏切りの存在を理解していないと出てこない。

 理解したうえで、裏切りを信用が上回ってはじめて、信じる、になるのだ。


 この勇気の種火は、この力の源はやはり、苦難を耐え抜いた彼ら彼女らの強さなのだろう。


 エリオットはひざまずいたまま、己の両腕に顔を埋めるようにして泣きじゃくっている。

 ガレウスもエリオットを見下ろして、両手で顔を隠して泣いていた。


「ぶえええええ……ぶもおおおおおん……」

「ぶいいいいい……ぶほおおおおおん……」

「お前ら泣きかた独特なの血筋かよ」



 ……こうしてオラトリオ北西地区第5区画に新たな領主が誕生した。



 彼は善政を敷き、オラトリオ全体のうみを抜き、やがて人々は彼を祖父に代わるオラトリオの英雄と呼ぶこととなった──



 ──って将来言いたい。そんでもって「エリオットは俺が育てた」なんてドヤ顔をしたい。実際育てるのは爺さんなんだけど。おいしいところだけください。

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