01-09-貧民の悲哀と望外の空


 採取ポイントは数回採取を行なうと消えてしまう。

 俺も黒乃さんも、三つのペレ芋を採取した時点で白い光は消えてなくなった。


 先立って南の部屋で採取をしていたおっちゃんたちは作業を終わらせて、すでに俺たちの周りに集まっていた。


「嬢ちゃん、上手いもんじゃねえか! ガハハハハ!」

「あ、ありがとうございます……!」


 アントンの豪快な笑い声に、黒乃さんは疲弊に緊張を加え、しかし丁寧なお辞儀をして返した。


「向こうの部屋の採取、全部終わったんだよな。ちょっと相談なんだけど、みんなあの木箱に手をかざしてみてくれないかな」


 通路の途中にある、コボルトがドロップした木箱を指さすと、おっちゃんたちは、


「ほいきた!」

「あれがモンスターを倒したときの……!」

「はじめて見たわい……!」


 と元気よくぞろぞろと駆けてゆく。


「み、みなさんお元気ですね……」

「慣れてるからだろうな……」


 毎回のことだが、採取が終わったあと、おっちゃんたちはいつも俺よりへっちゃらな顔をしている。


 俺たちからしたら父親どころか祖父くらいの年齢の人たち。

 ボロをまとい、身体もガリガリ。

 そんな様子からは、俺たちよりも元気だ! ……というよりも〝俺たちよりも、もっとずっと辛いことを経験しているからこれくらいへっちゃらだ〟とでもいうような、悲しい人生観が根づいているように感じた。


 どうやら開錠可能者の枷は時間経過により外されていたようで、木箱のほうで歓声があがった。


「どうだった?」

「むふん……! アントンがすごいぞ!」


 おっちゃんたちのなかで一番背の高いマッティが、まるで自分のことのようにアントンを誇った。


「お、なんパーだった?」

「96%だ!」

「おー……!」


 自分の口から思わず漏れた歓声は、たしかな熱を持っていた。黒乃さんも「すごいです!」と胸の前で両拳を握っている。


「すごいなアントン」

「ガハハハハ! ま、まあワシにかかればこんなもんよ! が、ガハハハハ!」


 アントンは照れて真っ赤になりながら、自慢のあごひげをしごく。……すこしかわいいと思ってしまった。


「で、開けていいか?」

「ちょっと待ってくれ。うーん……」


 うきうきと木箱の前に屈むアントンを手で制する。

 96%。ほぼ成功する数値だと言っていい。


「どんな罠がかかっているか、わかるやつはいるか?」


 俺の質問におっちゃんたちは首を傾げながらもふたたび木箱に手をかざすが、みんなそろって首を横に振った。


「うーん、やっぱり開けるのはやめとくか」

「おいおいおいおい!」


 アントンが俺に詰め寄る。

 ほかのおっちゃんたちも、黒乃さんも、俺に「どうして……?」という目を向けていた。


「なに言ってんだレオンどの! 96%なんて成功してるようなもんじゃねえか! たしかに4%で失敗して中身は消えちまうけどよお……!」


 アントンの言いたいことはわかる。

 俺はたった4%の失敗率を100%の失敗率にしようとしている──その臆病を責めているのだと。


 ──でも、俺が言いたいのはそんなことじゃなかった。


「アントンこそなに言ってるんだよ。中身のことなんて言ってない。アントンに万が一のことがあったらどうするんだ」

「っ……」


 アントンは俺を見つめたまま、緑眼を揺らめかせた。

 たとえボロを纏っても、痩せこけても、年老いても、彼の瞳はどこまでも透明だ。


 やがてアントンは俺から視線を逸らす。


「ここじゃワシらは死んでも死なん。レオンどのが一番よくわかっているだろうが」

「死なないからって痛みはあるだろ。こないだコボルトに皆殺しにされてから、ヘンリクとスルホ、まだ具合悪いんだろ」


 感じかたに個人差はあれど、死ぬ痛みと恐怖は強烈だ。

 死んだけど次があるから大丈夫! なんて思える人間はまれ


 俺だってそうだった。

 コボルトに喉を突かれ、自分の血液で肺を溺れさせて死に、凍てつくような恐怖を植えつけられた。……だからこそ慎重になる。


 アントンが死んでもなお、元気でいられる保証なんてなにもないのだ。


「勇者のくせに、貧民の心配なんてしやがって……」

「勇者とか関係ないだろ。貧民だって関係ない。痛いのも怖いのも一緒だろ」


 アントンを含め、彼らは命を粗末にしすぎる。

 はじめてコボルトに殺されたときだって、アイテムダンジョンのなかでは自分たちは死なないことを知らなかったのに──


『レオンどのを守れッ!』


 ──そう吼えながら、命を散らしていったのだ。



「レオンどのは、勇者とワシらを一緒だと言ってくださるのか……」

「当たり前だろ。俺たちになんの違いがあるっていうんだ」


 わかってる。

 貧民は自分を軽く見ることを。


 自分の身体しか、賭けるチップがないから。


 それがたまらなく俺の胸を掻きむしる。


 アントンはなにかをこらえるように口を引き結んだあと、ふっと相好そうごうを崩した。


「……気が変わった。レオンどの」

「うん」

「ワシはこの箱を開けるぞ」


 「はぁ?」と俺の口から情けない声が漏れた。


「なにも変わってないだろそれ」

「ワシはな、ワシのいいところを勇者であるレオンどのに見てほしくて、人生で数少ない胸の張りどころを求めて、この箱を開けようと思っていた。でもな」


 厳つい顔に刻まれたシワをより深くして、


「いまは、なんの得にもなりゃしねえのに、ワシらをこのダンジョンに連れてきてくれる、レオンどのに恩返しがしてえんだ」


 笑いながら背後を振り返る。

 おっちゃんたちが「おう!」「そうとも!」と拳を突き上げた。


「心配すんな。必ず成功してみせる。あと、約束する。もしも失敗して、ワシになにかあったとしても……」


 アントンは俺に拳を突き出したあと、自分の胸元に引っ込める。


「ワシは逃げねえ。レオンどのが、レオンどのでいてくれるかぎり」


 もう一度にかっと笑って、木箱の前に腰を下ろした。


「お、おい」


 アントンは俺の静止を聞かず、木箱に手をかざしたあと、開錠作業なのだろう──両手を箱の前で細かく動かしはじめた。



『レオンどのが、レオンどのでいてくれるかぎり』


 唐突に浴びせられた言葉。

 なんだ、それ。なんだよそれ。


 それって。

 いまのままの俺でいい、ってことじゃないか。


 ……俺が大嫌いな、俺のままでいい、ってことじゃないか。


 先ほどの好々爺こうこうや然としたにこやかな表情はどこへやら、真剣な顔をして、鋭い眼差しで木箱を見つめながら両手を動かすアントンを見下ろしながら、冷え切った心を柔らかな布で包み込むような彼の言葉をずっと噛み締めていた。


 ──やがて、バコンと音がして、木箱の上蓋が勢いよく開いた。


「おおおおおおおっ!」


 湧き上がる歓声。


「ガハハハハ! ワシにかかればこんなもんよ! ガハハハハ!」


 アントンは立ち上がり、おっちゃんたちと肩を抱き合う。

 箱の中身をあらためようともしない。


「すごいなアントン……!」


 仮面とか本心とかそんなことはなにひとつ関係なく、俺の口から思わず感嘆の声が漏れた。


「レオンどの! 嬢ちゃん! 早速中身を!」


 アントンだって中身が気になって仕方ないだろうに、まるで「それは自分の役目ではない」とでもいうように俺たちを促す。

 アントンの手柄なんだから、見ればいいのに……なんて思いつつ、木箱に近寄る。



──────────

《開錠結果》

開錠成功率 96% → 成功

─────

30カッパー

コボルトの槍

【採取LV1】

──────────



 開かれた木箱は中身が見えないよう、ふた部分と木箱の上部に立てかけるようにウィンドウが表示されていた。

 この仕組み自体は荷物持ちをしていただけに知ってはいたが、こんなに近くでみるのははじめてだ。


「とりあえず全部持って帰ろう」


 30カッパー、コボルトの槍、【採取LV1】とタップするたび、ウィンドウからその名前が消え、俺の周囲にアイテムたちがポンポンと出現する。

 すべてのアイテムが現れると同時、木箱は緑の光に包まれて消えていった。



 30カッパーというのはこの世界の通貨だ。

 10カッパーで500ミリリットル程度の水や、黒パン二切れを購入することができる。

 20カッパーで採取用の手袋や、いま俺たちが履いている短パン──コモンパンツが買える。

 30カッパーあればコモンシャツやコモンブーツに手が届く。


 コボルトの槍は、マイナーコボルトが両手に持っている150センチメートルほどの槍だ。

 木製の柄が長いぶん穂先は小さく、骨か牙で出来ているのだろうか、白く尖っている。


 【採取LV1】というのは、表紙にそう書かれたぶ厚い本のことだ。

 通称スキルブックと呼ばれていて、この本を読むことで、そのスキルを習得ができる優れものだ。

 俺も何度か目にしたことはあるが、スキルブックはレアで、なかなかドロップしない。もちろん読んだこともない。


「あ……」

「黒乃さん、どうかした?」

「い、いえっ、なんでもないです」


 黒乃さんは首を横に降ってうつむく。なんでもなさそうには見えない。

 俺が首を傾げたとき──


「えっ」

「きゃっ」

「な、なんじゃぁ……?」


 景色に陰がさした。

 木々にも緑の草々にも、おっちゃんたちにも黒乃さんにも陰が浮かんでいる。


 慌てて空を見上げた。


 空が、巨大な半透明のウィンドウになっている。

 そこには大きな文字が書かれていて、それらがこの世界に陰をつくっていた。



──────────

《コンプリートボーナス》

撃破数 1/1 開錠数 1/1

踏破数 2/2 採取数 5/5

─────

ペレ芋

LV1 → LV2

品質向上

─────

ペレ芋ダンジョン創造に必要なMP減少

ペレ芋の意思を獲得

──────────



「な、なんですかこれ……!」

「俺もはじめてだからわかんないけど……」


 空に書かれた文字を見るかぎり、少なくとも後ろ向きな内容ではなく安心した。


「おおおおおおおっっ!」


 おっちゃんたちが湧き上がる。


 コンプリートボーナス。


 これまで俺はなにをやっても中途半端で、なにも成し遂げてこなかった。


 このダンジョンで、俺がなにかを成した気はしないけど。


 黒乃さんと白銀さんがいなければモンスターを倒すことができなかったし、おっちゃんたちがいなければ開錠をすることも、全部の採取ポイントを回ることも体力的にできなかっただろう。


 ウィンドウが薄くなり、ゆっくりと消えてゆく。

 世界は青空を取り戻した。


 視界に映る太陽はどこまでも眩しく、広がる大空はどこまでも青かった。

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