01-06-初陣と勇者と上段に構えた斧


 ペレ芋ダンジョン。

 いままでこちらが風下だったが、おっちゃんの髭の動きで風上に変わったことを悟った俺は、声を潜めて、けれども力強く指示を出す。


「風向きが変わった。モンスターに気づかれるのは時間の問題だ。逃げる準備を」


 休憩中の者は「おう」と頷いて立ち上がる。二ヶ月もすればみな慣れたものだ。

 もしも俺がこちらへと向かってくるモンスターの姿を確認した場合、後ろに立った者が引きずってでもすぐに採取を中断させるため、一生懸命採取している者の背後に回った。


「モンスターはたおさないの」


 白銀さんの密やかな声。

 俺は通路の奥を睨みつけたまま声だけで返す。


「倒せるもんなら倒してる」


 俺が知っているRPGなんかとは違い、この世界のモンスターは異常と言えるくらい強い。


 勇者パーティの会話で一番ザコだと囁かれていたマイナー下級コボルトとアイテムダンジョンのなかで一度戦ったことがある。

 ……いや、戦った、とも言えないか。


 俺とおっちゃんたち10人以上で、それぞれ伐採用の斧やツルハシなどを手に、マイナーコボルトに立ち向かったことがあった。



─────



 ツルハシをかわされる。斧を槍でいなされる。

 俺たちはたった一匹のコボルトの剽悍ひょうかんな動きに散々翻弄された。


 ひとり、またひとりと右手の槍に突き殺され、最後に残ったのは──俺。

 死んでも死なない世界。

 しかし俺は、身体を貫く灼熱の痛みに怯えて両手で──


『や、やめてくれっ……!』


 両手で掴んだのは、武器でも闘志でもなけなしの矜持きょうじでもなく、ダンジョン内に青く茂る草。


『許してくれ……!』


 両手と両膝をつき、頭を下げる。


 コボルトが怒ったような、それでいて残念……とでも言うような低い声をあげた。


 縋るように頭を上げ、命乞いのために開いた口内に、なにかが飛び込んできた。


 それは、コボルトの槍。


 俺が最後に見た光景は、槍を繰り出す犬頭の、がっかりしたようなつまらないものを見るような……そんな面差しだった。


 死にゆく俺に対するあの冷ややかな視線は「殺すほどの相手でもないけれど、それだけ気弱で臆病で暗愚ならば、この先、さぞ生きづらかろう。だから、楽にしてやった」という哀れみも含まれているように感じた。


 おっちゃんたちは、アイテムダンジョンのなかでなら死ねば復活できるということを知らなかったというのに、格上の相手に勇敢に立ち向かった。


 それなのに俺は、死んでも復活できると知っている世界で……死に伴う痛みを恐れ、両手と両膝をついたのだ。 



─────



 ああ、俺のなんと臆病なことか。

 ああ、俺のなんと矮小わいしょうなことか。


「ここは退く。皆殺しにされるぞ」


 ……ああ、俺たちに気づき、槍を掲げてこちらへ駆けてくる、あの犬顔のなんと恐ろしいことか。


「てきはコボルトいったいだけ。ヒミコ」

「はい」


 退く、と言っているのに、白銀さんは手にした杖を胸の前で水平に構え、黒乃さんは背にした弓を手に取り、腰にさすえびらから矢を取り出す。


「お、おい」


 俺が止めようとしても、ふたりは50メートルほど先にいるコボルトから視線を外さない。


「わたしたちの、ういじん・・・・

「私たちは、勇者・・ですから」


 白銀さんの顔には躊躇ためらいがなかった。

 黒乃さんの顔には臆病がなかった。


 俺が捨てたくて仕方ないものを、ふたりはすでに持っていなかった。


「炎の精霊よ、我が声に応えよ」


 白銀さんの口からは勇者パーティの魔法使いが唱えていたような詠唱が紡がれる。


「我が力にいて顕現けんげんせよ」


 それは先ほどまでのつたなくのんびりとした語り口とは違う、不思議な迫力と神聖性を持っていた。


 ぎちちと音がした。

 音の主は、黒乃さんが引き絞る弓のつるだった。


 正面を見据える眼鏡越しの瞳には、先ほどまでの気弱そうな、おどおどしたものはない。

 ──なんなら、迫りくる恐怖さえ見ていないようにも感じた。


 なにも知らない俺がこんなことを言うのも変だが、まるでコボルトではなく己自身と向き合っているような、不思議で美しい構えだった。


それは敵を穿うがつ炎の一矢いっしなり


 白銀さんが両手に持つ、水平に構えた杖の正面に魔法陣が現れて、それは大きさを増してゆく。


「ふっ……!」


 先に仕掛けたのは黒乃さんだった。

 放たれた矢は羽を鋭く回転させながら、25メートルほど先まで迫ったコボルトへと向かってゆく。黒乃さんから「あうっ」と声がした。


 コボルトは額に迫る矢を槍で弾いたが、流れ矢はコボルトの左肩に突き立った。

 犬顔を歪ませながら、コボルトはなおも駆けてくる。


 俺はこのときになってようやく、革袋から伐採用の斧を取り出した。


 怖い。

 怖くてどうしようもない。


 でも──


『私たちは、勇者ゆうしゃですから』


 ついさっき耳にした黒乃さんの言葉が、コボルトに背を向けることを許さない。

 俺を退かせない。


 斧を握り、力を込める。


 俺に必要なのは、勇気……!


 ……しかし、いまの俺に、そんなものは必要なかった。



火矢ファイアボルト


 白銀さんの魔法陣から赤い矢──槍のように長い矢が射出され、緑の草を、周辺の木々をだいだいに照らしながらコボルトの胸を打ち抜いた。


 コボルトが吹き飛ぶと同時、魔法を射出した反動で白銀さんの小さな身体も後方へ飛んでゆく。

 地面に三回もバウンドしながらはるか後ろまでふっとんで、仰向けに倒れた。


「白銀さん!」

「マリアちゃん!? ……ぅ……くっ……」


 いったいなにがどうなったのか。

 北側の通路ではコボルトが仰向けに倒れ、毛むくじゃらの右腕が虚空を泳いでいる。

 この場では黒乃さんが自身の胸を押さえ、うずくまっている。

 そして南側では白銀さんが魔法陣の近くで倒れていて、おっちゃんたちが慌てて駆け寄って抱きかかえるが、彼女の身体からは緑色の光が放たれている……。


 緑の光とは、モンスターが死んだときと、復活できる拠点を持つ異世界勇者が死んだときに立ち昇る、誰かの命が尽きたことを証明する、死の煙だ。

 この光が消えたとき、モンスターならば鍵のかかった木箱を残してモンスターは消滅する。

 異世界勇者ならば箱を残さず、その姿は消滅し、二時間後に拠点のベッドで復活する。


 つまり、白銀さんは──



 いま、俺にできることはなんだ。


 おっちゃんたちのように、消えゆく白銀さんに駆け寄ることか?

 うずくまる黒乃さんに声をかけ、手を引いて立ち上がらせるか?



 ……違う。



 わずかのあいだに手汗でじっとりと濡れた手斧を握り直す。



 いま俺がすべきは、倒れたコボルトに、トドメをさすことだ。



 コボルトに近づいて、斧を上段に構える。

 仰向けに倒れたコボルトは腕を彷徨わせてもがいていたが、俺と目が合うと、諦めたように熱い息を吐いた。


「ぅ……」


 コボルトの肩には黒乃さんの矢が突き立っている。

 それだけでなく、白銀さんの火矢ファイアボルトに貫かれた胸は貫通と同時に焼灼しょうしゃくされて血が止まったのだろう、胸には革鎧ごと穴が空いていた。


 満身創痍。

 その姿に、思わずたじろぐ。


 俺は人はもちろん、モンスターも殺したことがない。

 ……弱かったから。


 勇者パーティのみんなは躊躇ちゅうちょなく殺していた。

 その理由は、やらなきゃやられるからとか、勇者としての使命を全うするとか、それぞれに持ち合わせているだろう。


 それでも、生きものの……それも、犬の顔と体毛を持っているとはいえ、人の形をしているものの生命を絶つことに、躊躇いがうまれた。


 そんな俺の姿を見たのか、コボルトは低い声で呻きながら、自らの首を指さして「ここだ」と教えてくれた。


 コボルトの瞳が言っている。

 「やれ」と。


 きっと、俺の弱さとは、勇者パーティについていけるようなユニークスキルを持っていないこと……では、なかった。


 この覚悟のなさこそが、俺の弱さだったのだ。


「ガッ! ギャウ! ゴホッ……ゴボッ、……ガウッ!」


 コボルトが「早くしろ」と血を吐き散らす。

 それは「早く介錯してくれ」という意味ではなく「お前は自ら戦場に立ったのではないのか」と、俺の軟弱を責めているように響いた。


「うわぁぁぁぁあああッッ!」


 コボルトの声が俺の背を押してくれたのか……あるいは、怖くなったのか。

 俺は勢いに任せて斧を振り下ろした。


 最後に見たコボルトの顔は、


「それでいい」


 とでも言うように、静かに笑んでいた。



《戦闘終了》

《1経験値を獲得》

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