01-03-教会の一輪


 貧民のおっちゃんたちは俺が追放されて手が空いていることを知ると「すぐ戻る」とひとこと残し、足早に教会を去っていった。


 黒乃さんと白銀さんはミシェーラさんに案内されて二階へ。


 ひとり残された俺は最前列の長椅子に腰掛け、肺からありったけのため息を吐き出した。


 正面ではダルマティカのような貫頭衣かんとういに身を包んだ女神──創造神オラトリオの像が慈しみ深い笑みをたたえている。

 天井のステンドグラスから降り注ぐ陽光が天使のはしごとなって、彼女をより神々しく見せていた。


 俺がいるこの街の名前は、この女神の名前をそのままとって『オラトリオ』という。

 ついでに言えば、この島の名前もオラトリオだ。ちょっとややこしい。

 この島のなかで「オラトリオに帰還しよう」といえば街に戻ることだし、大陸にいる人間が「オラトリオに渡ろう」といえばこの島のことだろう。

 地方に住む人間が「トウキョウに行こう」と言えば首都に行くという意味で、シブヤに住む人間が同じことを言えばトウキョウ区に行こうということで、きっと、そんなニュアンスと同じなのだろう。


 この街は島中で一番の発展した街であるにもかかわらず、高層ビルや車などはなく、俺が知る限り、良くてレンガの家と馬車という発展途上ぶりだった。


 発展途上なのは文明だけでなく民心も同じで、貧富の差が激しく、富める者はますます富み、貧民たちはこのあたり──街の貧困地区に押し込められている。


 貧困地区にあるこの教会だって、外壁も内壁も風化して色褪せてしまっている。再建の予定もリフォームする余裕もない。


 ミシェーラさんにたくさんのお金が手に入ったらなにがしたい? と、いま振り返れば意地悪な質問をしてしまったことがある。


 ミシェーラさんは俺のひとつかふたつ上の年齢だと聞いたことがある。

 彼女が年相応であれば、食べものや綺麗なドレスと答えるところだっただろう。


 しかし彼女はシスター。

 大金でこの教会の修繕をするとか、信徒を増やすための活動資金にするだろう、とある程度ふんでの質問だった。


 ミシェーラさんはおとがいに指を立てて考えたあと、俺の予想とは大きく異なることを口にした。


『この教会の隣にギルドを建設したいですわね。みなさまのお仕事を斡旋あっせんしたり、お困りごとを解決したり、あとはアイテムの売買なども』


 嬉々としてそう語るミシェーラさんの顔と声はどこか熱を帯びていて、敬虔けいけんなシスターとして、いつも冷静で穏やかな彼女からは見ることのできない笑顔は俺をほっとさせてくれた。


『たとえボロを纏っても、みな等しく扱う、そんなギルドにしたいですわ』


 しかしやはり、この異世界はこの少女を少女のままでいさせてはくれなかった。


 この街の中央にはすでにギルドがある。

 ミシェーラさんの言葉は〝いまあるギルドはそうではない〟のだと、諦観ていかん悲哀ひあいを伴った示唆しさに違いなかった。


『じゃあ、お金、貯めないとね』


 勇者パーティとはいえ、荷物持ちの分際でなにを言っているのかと自分を張り倒したい気分だったが、ミシェーラさんはこんな俺に唖然とした顔を向けたあと、


『はいっ』


 顔を綻ばせ、少女に戻ってくれたのだった。



「朝の礼拝は六時から。礼拝に遅れないことが、こちらに住んでいただく最低条件ですわ」


 上から響くミシェーラさんの声と、かつんかつんと螺旋階段を下りてくる靴音で我に返った。


「あさはにがて。ヒミコ、いつもみたいにおこして」

「それはかまいませんけど、一度で起きていただけると助かります……」

「だいじょうぶ。ヒミコは気がながい」

「マリアちゃんのほうでどうにかする気なし!」


 黒乃さんが意外と大きな声で驚愕の表情を浮かべた。


 俺もあまり朝は得意ではなく、初日はミシェーラさんに叩き起こされたなぁ……と二ヶ月ほど前を懐かしく思い返す。


 黒乃さんと白銀さんは階段を下りきると、こちらへ近づいてきた。


「ありがとうございました。要さんのおかげで拠点ができました」

「これでしんでもだいじょうぶ」


 黒乃さんは深々と頭を下げ、白銀さんはぐっと握り拳をつくる。


 ──白銀さんの「死んでも大丈夫」という言葉には若干の誤謬ごびゅうを感じるが、この世界においてはあながち間違いとも言えない。


 転移させられた俺たち──異世界勇者にとって、死は永遠ではない。

 この世界にはモンスターがいて、俺たちを殺す。

 しかし肉体が滅びる前に、俺たちの身体は緑の光に包まれて、二時間後、拠点に送還されるのだ。


 というのも、この世界のあらゆる物質には魔力が含まれていて、とくに異世界勇者の身体は魔力が占める割合が多いらしく、たとえ死に至るような大怪我をしても、身体に含まれる魔力が安全地帯──拠点まで魂と肉体を退避させ、二時間のあいだに修復する、といったメカニズムらしい。


 で、この拠点というのは、自分が寝泊まりする寝台──ようするにベッドのことだ。

 自分が使用できるベッドに対し、所有者の許可を得たうえで拠点の登録をしなければならない。

 俺と黒乃さん、白銀さんはミシェーラさんに許可を得て拠点の登録をしたってわけだ。


 拠点がない状態で致命傷を負うと、魔力が魂と肉体を退避させる先が見つからず、肉体が滅び死に至る。

 隣のクラスだった富田って男子は、宿代をケチって野宿をし、拠点がない状態でモンスターにやられ、むくろとなった。


 ……とまあ、俺たちにとって、拠点とは非常に大事なものなのである。

 その拠点を無償で提供してくれるミシェーラさんは、俺たちにとって救世主に違いない。

 黒乃さんと白銀さんも、何度も彼女に頭を下げている。


「カナメ、いまからなにするの」


 白銀さんの宝石のようなアイスブルーがこちらを向いた。


「おっちゃんたちが帰ってきたら一緒にダンジョンに行くんだけど、ふたりも来るか?」


 ふたりは顔を見合わせたあと、黒乃さんが不安げな視線を送ってくる。


「あの……ダンジョン、って、その……平気、なんですか?」

「平気って?」

「いえっ……要さんがお強いのか、先ほどのみなさんがお強いのかはわかりませんけど、ダンジョンって……あのダンジョンですよね? モンスターがたくさんいる」

「ちょっと違うかな。いつもはモンスターが来たら全力で逃げてる」

「えぇ……? では、どうしてわざわざダンジョンに?」


 俺の言うダンジョンとは、勇者パーティで攻略していたダンジョンとは違う。


「あれこれ説明するより、実際に行ってみたほうが理解しやすいと思う。おっちゃんたちが戻ってきたらすぐ行くから、ふたりとも悪いけど、いま部屋に置いてきたばかりの冒険用の荷物、取ってきてもらっていいか?」

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