第三話




 こうは、重くなった足を引きずるように歩く。発散できない何かが溜まっていくのを感じた。


 ここ最近を振り返る。


 友達と自分との距離にわだかまりを感じ、気になる子に告白すらせず失恋した。別に、自分の周りでは何も起こっていない。誰かが、自分に試練を与えたわけでも、乗り越えるべき不幸を振りまいたわけでもない。自分が踏み込まないだけ。


 全てが自己の中で完結していた。


 原因も、解決策も分かっているからこそ、それを出来ない自分が惨めに見えて仕方ない。


だからといって、、、


 他人の中にある、一線を越えるのが怖い。それは、一度踏んでしまえば後戻りできず、同時に自身の内側を見せる行為だ。俺は、他人に自身の核を晒すのを何より恐れる。それに、怖がる自分が心底嫌いだ。今すぐにでも消えてしまいたかった。


 そのまま、家に帰る気にもなれなくて。


 無意識に吸い込まれた場所は、昔よく遊んだ公園だった。


 全体的に錆びたベンチに腰掛ける。何の気なしに周りを見渡した。砂場では小さい子供達がキャッキャと騒ぎ、少し離れたところで保護者が井戸端会議を繰り広げ、小学生達がジャングルジムやなわとびで遊んでいる。時間が規則正しく時を刻み、公園が『公園』としての役割を果たしていた。


 映画のワンシーンを見ているようだ。


 心で渦巻く感情も忘れ、ベンチと一体化するかのように放心していると、昔の記憶がよみがえる。


――昔はそんなことなかった。





「じゅんっ!つぎ、あれのぼろっ!」


「ま、まって!こう」


 俺は、”彼”とよくここで遊んでいた。”彼”は夏前の須臾しゅゆの間にしかこの町にいなかったから、いつも1人だった。


 その頃の俺は、明るく元気でみんなを引っ張っていた。だから、1人でいる”彼”が見過ごせず、誘って遊んで。”彼”とは、理由はわからないけどとても気が合った。そのうち2人だけでも遊ぶようになって――


「わあ……っ!みてっ、じゅん!」


「……きれい」


 子供にとって、ジャングルジムから見える景色は壮大だった。あんなに広いと思っていた公園が一望できて世界が広がった。


 夕暮れに染まる世界は、ほの暗くて少しばかり不安になるけれど、マンションの窓に反射したオレンジは幻想的だった。


「おれたち――――な」


「うん――――だよ」






あいつ……今何してるんだろ


 我に返ると、そんな疑問が降って湧いた。


 ”彼”のことを考えていたその時――頬に冷たい刺激が走った。


 驚いて、そちらに顔を向けると、


「少し休んだ方がいい。疲れた顔してる」


――二つの缶コーヒーを持った男が立っていた。






「記憶を無くしたFBIみたいなこと言うな」


「なんか感慨にふけっていた様子だったからつい……」


 男はそのまま横に座ると、缶を開ける。プシュッという音を立てて、コーヒーの香りがふわっと広がった。


「そういえば、もうそんな時期だったな、じゅん


 そう、この男こそが今し方思い出していた件の彼、隼だった。


「……知っててきたんじゃないの?」


「いや無意識」


「……まあ、どっちだっていいよね」


 隼とは少し不思議な関係だ。彼は、毎年期末テストが終わったくらいから夏休みにかけてこの町に現れる。連絡先は知らないし、どうして毎年この時期のみ来るのかについてもよく分からない。ただ、俺は公園で遊ぶ上でどうでも良いことだったから、特に気にならなかった。


 それに、交はこの関係をしかし案外気に入っていた。彼といると心が落ち着いた。いつ途切れてもおかしくないつながりだからこそ、心地良いのだ。


「ゆうびーんやさーんのおとしーものっ、ひろーてあげましょ1まーい2まーい……」


 声がした方を見ると、子供達がいくつかのなわとびを結んで大縄にし、回る縄のタイミングを見計らって次々と入っていった。


「……あれ苦手だった」


 その様子を見ながら、隼がぼやいた。


「分かる、入るタイミングがつかめなくて中々飛び込めなかったんだよな」


「そうそう、だいたいドジだよなあその郵便屋、手紙を何枚も落とすなんて」


「た、たしかにっ……目的地着く頃には一枚も入ってなさそう」


「……本当、苦手だ」


「えっ?」


「いや、なんでもない」


 隼が何かを言っていたが、よく聞き取れなかった。


 隼は、少なくなったコーヒーを呷ると話題を変えた。


「交、学校はどうだ?楽しいか?」


「不器用な父親かよ……どうだろ、1年の頃仲良かった3人組が俺だけ違うクラスになったんだよね」


「……切ないな」


「クラスも、全体的に静かでさ。昼休みなんて最近やっと話し声が聞こえるようになったぐらい」


「まあ、なかなか思うようには行かないよな」


「どうしたもんかねぇ」


 2人で空を見上げた。耳を澄ますと、子供の声や車の発信音、段差で出てしまう自転車のベル音など様々な音が聞こえた。


「理想は、クラスで仲良い奴作ることだよな。一番行動を共にするわけだし」


 隼が、遠くを見ながら言った。


「そうなんだけど……何話して良いか分かんないし」


何が地雷になるか分からないしなぁ


「同じ話題とか作りやすいだろ、教師の愚痴とかさ」


「たしかに、変な口癖とか挙動とかあるもんな」


「交の高校でも、教師にあだ名つけてるだろ?」


「いる、体育教師にア●ダスってやついる」


「なんで?」


「いっつもそれ来てるから」


「他には?」


「あとは、チベスナ。チベットスナギツネみたいな顔してるから」


「面白いね……ウチの高校では、顔と胴体が糸で繋がってんじゃないかってぐらいゆらゆらしてる教師が……」


「赤べこじゃん」


「そう赤べこ、あとおかっぱのえぐい古文教師」


「こけしだな」


「有田焼に曲げわっぱ、あと……南部鉄器」


「……民芸品縛りしてんの?」


「あっはっは」


 隼は笑い出したかと思うと、いきなり真顔で言った。



「えっ?」


「こういうのをクラスの奴とやればいいんだよ」


「あっ、そっか」


「そうそう、明日やってみたら良いよ」


 その時、『夕焼け小焼け』のチャイムが鳴り出し、子供達が一斉に帰り始めた。


「色々ありがとう、隼」


「……どういたしまして」


 今日、このタイミングで隼に会えたことを感謝して、交は家路についた。飛田あやへの失恋や、あの二人へのモヤモヤした気持ちは少しだけ薄れた。




「ただいま」


「おかりー」


 玄関のドアを開けると、階段から降りてくる妹に出くわした。


「今日はいつもより遅いね」


 妹のなおは、三つ下の中学二年生で、難しいお年頃のはずだが兄妹仲はそれなりだ。両親共働きで、一緒に家事を行うせいかもしれない。


「隼に会ってた」


「隼君!?あっ、そっか、そういえばそういう時期だったね」


こういう反応を見ると、やっぱ兄弟だな


 夕食でも、彼の話題が続いた。


「どうだった?隼君、イケメンだった?」


「ああ、相変わらず」


 隼は、昔から端整な顔立ちだった。長いまつげにキリリとした二重。鼻筋が通っていて凜とした表情は、数多くの女性を泣かせたのだろう。適当だが。


「そうはいっても、珍しいよね、七夕コンビ」


「誰が乙姫だ」


「牛でしょ」


ひ、ひどい言われよう


「今度家呼んでよ、うちも会いたい」


「あいつ年上が好みだった気がする」


「そう言う意味じゃねえよ」


――最近の中学生は、口が悪かった。




「「わっはっはっは」」


 翌日の昼休み、俺は昨日のアドバイスを活かすべく、仲よさげなグループに突撃した。


「今日は俺も混ざっていい?」


「おお、差波さしなみ珍しいじゃん」「ほんとほんと」「今、アディ●スがヤバいって話してたの!」


「……へぇ」


よしっ、昨日の会話が活きそうだな


 五分後、


「」「」「」


だ、ダメだついて行けねえ


 会話の内容は昨日と変わらないはずだ。なのになぜ会話に入れないのか。


 もし俺が言った途端、会話が途切れたらどうしよう、シラけたら?そう思うと何も言えなくなってしまう


 気を遣ってくれているのだろう、度々質問などで会話に混ぜようとしてくれているのだ。


 しかし、無難なことしか言えない。それに……


隼となら笑えるのに……面白いと思えない


 愛想笑いをするので精一杯だ。


俺に出来るのは、箸を動かすことだけ


 なぜか、1人で食べるより情けない気分だった。


あっ……おかずだけ食べてしまった……


 弁当箱には、真っ白な米だけが残ってしまう。


し……白旗であります


 心も食事も完全敗北を喫した交であった。


早く公園に行きてえな


 早く、ここでの失敗談を隼に話したい、そのことばかり気にしてしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る