23・果てしない頂

屋敷も大きければ庭も広い。爺さんが観客で、それなりに離れた位置に朱天と俺がいた。相変わらずあの男は盃に酒を注いでは飲んでと戦うそぶりを一切見せない。


「……戦うんじゃなかったのか?」

「『試す』って言っただろうが。どこからでもやってこい」


ふざけたことを。どれだけ自分に自信があるのか知らないけれど、今にその面、歪ませてやる。俺だって爺さんの修行を経て少しは強くなってるはずだ。

まずは様子を見るように右に左にと動きながら近づいて行って、拳を握る。その流れで左から思いっきり拳を振り切る……ように見せかけて右斜め上から拳を振り下ろす。ぎりぎりまで相手の注意を引き付けてからの一撃だそう簡単に防げない。


「ほう、結構頑張って育ててるじゃねぇか」


じーっと迫ってくる拳を観察して少しだけ軌道から逸れるように身体を動かして避けられる。無駄な動きなんて一切なくて、むしろ俺の空回りの方が不自然なくらいだ。


「な……」

「どうした? まさか避けられるとは思わなかったか?」


にやにやする朱天に向かって立て続けに拳を繰り出す。小さく細かい動きで連打を繰り出す。身体がぶつかりそうなほどに間合いを詰めて、避ける隙を極力減らす。もちろん俺も動きは制限されるけれど、朱天は俺を試しているわけで、手を出してくることはしないはずだ。


俺の目論見は的を得ていて、実際朱天が攻撃を仕掛けてくることはなかった。だけど問題なのはそれでも拳が目の前の男には届いていないということだ。多少動きを変えて腹や顔、足を狙って体勢崩そうともしたけれど全く意味をなしてない。


「ははは、元気があっていいことだ。小僧くらいでここまで動けるということはよっぽど厳しい修練を積んできたのだろう。始道にしっかり感謝しろよ」

「くっそ……! どうして……!」


どうしてこんなに届かないんだ? いくら強いって言ってもこうも当たらないと焦ってくる。


「ほら、動きが雑になってるぞ」


乱れや焦りが動きを狂わせ、まっすぐ放った拳が避けられると同時にその腕を引っ張られて前によろけてしまった。


「わったった……」



こっちが体勢を崩されてしまい、朱天とすれ違って地面に膝を突いた。

……正直、勝てないまでもいい勝負すると思ってた。蓋を開けてみれば大人と子供。そのままだ。


「どうした? もうあきらめるのか?」

「……はは、そう見えるなら帝様でも節穴ってものだな」

「ほう……」


確かに強いよ。今の俺じゃどう考えても勝てねえ。それでも――それで「はいそうですか」といたらと折れてしまったらそれで終わりだ。


「このぉぉぉ!!」


もっと早く。一撃当てさえすればいい。なら拳は強く握らず、腕に力を入れずに軽く。とにかく速度重視で動いて右拳を中心に攻撃の軸を展開していく。あっさり涼しい顔で避けられるけれどこれでいい。


「ははは、威勢がいい割には大したことないな。それとも緊張しているのか?」

「ぬかせ!」


怒りに無理に攻撃を通そうとするたびにそれを押しとどめてなんとかその熱を冷ます。絶えず腕を動かし続け、朱天が俺の動きに完全に慣れたころに構えるために少しだけ距離をとって足を広げて腰を深く落とす。相手から見て右拳を前に突き出した状態だ。

右足を軸にして踏み込み、左拳を顔面に向けて繰り出す。それを避けられると同時に散々使っていた右で脇腹を狙いに行く。最初は軽く。振り切る前に強く握って力を込める。

鈍い音が響いて重たい感触が伝わってくる。確実に当たった! そう思った瞬間、身体が反射的に動いて左拳を振り切っていた。


続けて重たい響きが伝わり、じんじん痺れるような感覚が広がる。頭の中から幸せになるような……そんな気持ちがあふれていく。


「中々やるではないか」


晴れやかな声が聞こえてきてようやく視線をそっちに向けると、俺の拳は朱天の腕に防がれていた。

その事実に気づいて俺の気持ちも一気に冷えていく。あんなに高揚していたのが噓みたいだ。


「……さっきの脇腹の一撃も防がれてたってわけか」

「さあな。しかしまあ、なるほど。始道がお前を見初めるのも理解できた。ふふふ、これは確かに楽しくなるな」


一人だけ納得した顔で縁側の方に戻っていこうとする朱天に、俺は声を張り上げていた。


「まだ……まだ終わってない!」

「そう慌てるな。酒でも呑んで落ち着け」


ははは、と笑いながら盃の酒を飲み干す。その余裕がある態度が余計に神経に障る。


「出鬼。お前もわかってんだろ? 俺が攻勢に移ってりゃ、とうの昔に終わってたってことをよ」


その言葉に何も言えなくなった。朱天は『試す』といって一度だけ腕を引っ張っただけで、他に何もしてこなかった。ほとんど避けるだけだ。攻撃してきてたら今頃地面に倒れ伏していただろう。


「はん、何落ち込んでんだよ。大体俺とお前とじゃ年齢も経験も技術も能力も……何もかも違いすぎるだろうが。そんな中で必死に喰らいついて拳を当てるまでいったんだからもっと誇れ」


そう言われても、今の俺には悔しい気持ちでいっぱいだった。できることならもっとやりたい。満足できるまで。それができないのはまだ俺が弱い証拠だった。


「帝様。どうでしたか?」

「うむ。鬼としての力の使い方になれていないな。それは仕方のないことだが――」


爺さんと朱天の話し合いがどこか遠くに聞こえる。今まで気づいてなかったけれど、思わずへたり込んでしまった。

これだけ体力使ってもあの男からしてみたら全然届いてないんだもんな。嫌になる。


「はぁ……はぁ……」


息を整えながら頭の中ではどうしたらきちんと一撃を当てられるか

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