10・燃える瞳

 さっきよりも力を入れて踏み込む。身体がきしむような音が聞こえる。


 奴は前と同じように俺の拳を受け止めようとしてるけど、そんなもん知ったこっちゃねえ。


「単純だな。愚かな思考だ」

「そうやって……何度も上から、見下せると思うなぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 全身の力を込めて放つ。下から上へ。深く突き刺すようにかちあげる右の一撃。身体が悲鳴を上げる。それでも振り抜いた。


「くっ……!?」


 多少受け止める位置が変わったと思っただけなら、大間違いだ。奴の片手が空に投げ出されるように弾かれる。勢いのまま身体を回転させて同じ右の拳に全て乗せる。重い音が響いて残った手も弾き飛ばしてやる。


「喰らえぇぇぇぇぇぇ!!」


 殴った直後に身体を逸らして左の拳に力を溜める。血が出そうなほどぎりぎりと握ったそれを全力で放つ。防ぐことも避けることも難しいところに向けての一撃。奴の顔は無理でも身体のまんなかなら……そこなら殴れる。


「がっ……!?」


 さっきの俺と同じように男は吹き飛んだ。違いがあるとすれば、奴は足を踏ん張って勢いを殺してたとこくらいだ。


「……なんだと」


 自分の見てるものが信じられない。そんな顔をしてるのはイシュティを殴った男だった。


「はぁ……はぁ……! 待ってろ。今――」


 目がまわる。気持ち悪い。身体の全部がまるで俺じゃないみたいだ。


「あっ……!」

「……っは、驚かせてくれる。が、それが限界なのではないか」


 力が抜ける。それをこらえるように睨みつける。

 頼む。今倒れてる場合じゃねえんだ。もう少し……あとほんの少しでいいから持ち堪えてくれ……!!


「はぁ……はぁ…………」

「!?」

「待ってろ……今、助ける」


 身体が震える。さっきみたいな力強い感じじゃない。もう休みたいと叫ぶような。そんな悲鳴をあげていた。


「助ける? ははは、この浅ましい女の子供を、助けるだと!? くっくっくっ、おい」

「は、はい」

「そいつの目の前で汚らしいこれの首を刎ねろ」

「し、しかし! それはあまりにも――」

「なんだ? 私の言うことが聞けないと。護衛程度の貴様が?」

「……王は生死の確認をせよと命ぜられたはずです。そこまでの事をする必要が」


 ぐだぐだ言ってる男に奴の拳がめり込んだ。


「みなまで言わねばわからないのか? 要は死んでるならそれで構わないということだ。これはどうせ死んだ身。今更野犬に食われようと薄汚い貧民どもの慰み者になろうと我らにはなんの価値もない。違うか?」

「それは……」

「むしろ救ってやろうというのだ。この世の地獄に突き落とされたままよりも、そこの愚かな子供と共に仲良く首を晒してやった方がこれの為にもなろう。ん、どうだ?」


 見下されたイシュティはがたがたと身体を震わせて、満足に話すことも出来ない。それを見た奴は汚いものを見たような顔をしていた。


「ふぅ、貴様が無理なら……おいリンブルス卿。いつまでそうしている」


 呼びかけられてようやく動き出した男はゆっくりと、だけどどっしりとした足取りでイシュティに近づく。


「やらせて……」


「おい」

「……かしこまりました」


 飛び出そうとした直後、それを邪魔するように奴に殴られた男が飛び出してくる。


「邪魔だ! どけえ!!」


 拳に力を込めて思いっきり振るう。今まででもかなり速い一発。だけどそいつは軽く避けられて剣の持ち手の先端を腹に喰らう羽目になった。


「がっ……」

「悪く思わないで欲しい。これも私達の仕事なのだから」

「ふざっ……けるなぁぁぁぁぁっっ!!」


 これしきのことで諦め切れるか! そんな思いで屈んで見えてる後ろ頭に一撃おみまいしてやる為に拳を振り下ろす。

 だけどそれも男の腕に防がれて、距離を取られる。そのまま剣が光ったかと思うと、気づいた時には俺の左腕が地面に落ちていた。


「ああああああ!!!」


 痛みに怯んでる暇なんかない。イシュティを――!


「哀れな子供だ。何もわからず、ただ死に行くのみなどとは」


 その言葉と同時に地面に倒れてしまった。ばしゃっと音がして、いつの間にか雨が降ってた事に気づく。足が動かない。何にも感じない。なんでそうなったのか、頭の中でうまく理解できない。


「流石、我が国でも上位に入る強者だ。見事であった。そして――」


 少しでも早く行きたいのに、助けたいのに、身体は言う事を聞かない。


「イシュティタルア。哀れな愚妹よ。最期に何か言い残すことはあるか?」


 見下した奴の視線を、イシュティは見てなかった。ずっと俺のことを見つめていて、涙を流して笑っていた。精一杯の優しい顔をして、怖さを押し込めていた。


「ふん、異神とはいえ、戦いを司る者の名を継いでいるとは思えんな。さっさと始末しろ」


「やめ……やめろぉぉぉぉぉぉ!!」


 今できる力の限り腕を伸ばして、今にも消えそうな笑顔を掴もうとして……振り下ろされた剣がイシュティの首を狩り取った。

 どしゃっ、という音と一緒に落ちた首を、地面に埋めるように何度も踏みにじる男。


「ふん、穢らわしい。異種族の血を引く汚物はやはり見るに堪えんな」


 耳に入ったその言葉が消えそうな心に火をつけた。

 こいつは……こいつだけは……!!


「あああああああ!!」


 残ってる右腕だけで何が出来るんだろう。俺に妖術は使えない。あるのは頑丈で治りが早いこの身体だけ。

 せめて……せめて足があれば……。


「つまらんな。それもさっさと処分しろ。リンブルス卿。貴様は周辺の警戒にあたれ。ここに近づこうとした連中は全て殺せ」

「あまり殺せば目につきますが、構いませんか?」

「当たり前だ。何のためにこの薄汚い獣の格好をしていると思っている。彼奴等に責任をなすり付ける為であろう」

「はっ」


 それだけ言って男はどこかに行った。リンブルス。イシュティの首を落とした奴。絶対に――


「絶対に許さねえ……殺してやる……どこまでも追いかけて! てめえら全員!!」

「はっはっはっ、腕一本の羽虫がよく吠えるな。虫よ。お前のおかげでこの世で最も穢らわしい存在を葬ることが出来た。故に、褒美を授けよう。我が剣による即座の死を、な」


 剣を抜いてゆっくり迫ってくる。


 ――そうだ。もっと近づいてこい。足を掴んで地面に引き倒してやる。それから……。


 俺の考えを見透かすように手のひらに刃が突き立てられる。さっき戦った男に動きを固定される。


「お、まえ……!」


 睨んでも黙ったまま見下ろしていたそいつに怒りが向く。


「貴様も役に立つではないかホーグズ卿。そのまま抑えていろ」

「……かしこまりました」


 暴れようにももう何もない。出来ることは奴らを睨みつける事だけ。


 ――これが俺の終わり? 何もかも失って、手足も切られて情けなく殺されるのが? イシュティの首を目の前で落とされても何も出来ないでいる。こんなのが?


 ……認めない。絶対に認めない。俺は、まだ何もしていない!


「殺す……お前ら、全員……!!」


 馬鹿にするような薄ら笑いと一緒に首の方に痛みが走って――空を舞う光景が映る。すぐに地面にぶつかって、イシュティの顔が見えた。でも……どんな顔をしているんだろう? わからない。俺には……なにも……。

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