7・帰宅した後

 泣き止んだイシュティを立たせて帰ろうとした俺は、自分の身体が動かない事に気付いた。わき腹を刺されたこともあってもう限界だったみたいだ。


「だ、だいじょうぶ!?」

「……心配ねぇよ」

「でも……」


「そんなに心配なら俺が担いでやっから大丈夫だ」


 今まで口を挟まなかった壱太が仕方がないなとでも言うかのような顔をして俺の左肩を支えてきた。何を……とも思ったけれど、必要以上にイシュティを不安にさせたくなかったから黙っておくことにしたのだった。


 ――


 壱太の力を借りて、なんとかいつものおんぼろ小屋に帰ってくることが出来た。そのまま茣蓙ござに腰を掛けると、いつも以上に疲れているのがわかった。


「助かった」

「はっ、ま、これで多少借りは返せただろう」

「ああ……」


 借りを作った覚えはないが、今はそんなことどうでもいい。頭が重い。ちょっと暴れすぎたか。


「……ごめんなさい」


 帰るまで一言も話さなかったイシュティはまた泣きそうな顔をしていた。


「わたし、助けられてばっかりで……わたしがいなかったら……」

「気にすんな。俺も……お前には助けられてんだからよ」


 胸がこそばゆく感じる。自分で言っててらしくねえ。


「お前にゃ恐れ入ったよ。あんな大人と互角にやり合うなんてな」

「そっちこそ、よく逃げなかったじゃねえか。おかげでこの有様さ」

「は、それだけ言えりゃ十分だな。せいぜい怪我治すのに専念しろよ」


 軽く笑い飛ばして壱太はそのまま小屋から出て行った。残されたのは俺とイシュティの二人だけだった。


「……わたし、いつも君に助けられてばかりだね」

「別に」


 だんだん眠くなってくる。疲れた上に血も流したし、もう夜だ。しかも大分遅い。限界が近かった。ゆっくりと暗いところに沈んでいく中で、イシュティの言葉が途切れて聞こえてくる。


「…………めて、――たの、傷を……」


 暖かい光に包まれる。居心地が良くて、ずっとこのままでいたい。そんな気分にさせてくれた。柔らかい感触が伝わってきて、すごく気持ちいい。

 ……なんだか、久しぶりによく眠れそう。そんな気がした。


 ――


 次の日。俺の傷はすっかり癒えていた。着物には短刀が刺された跡が残ってるのに、俺自身は全く傷が残ってなかった。


「……?」


 不思議なもんだ。疲れもないし、正直今が一番調子が良い。


「おはよう」


 声のする方に顔を向けるとすぐ隣にイシュティの顔があった。

 嬉しそうにしているそれはきらきらと光っているように見える。


「ああ、おはよう」

「傷はどう? 大丈夫?」

「おう。もう平気だ」

「……よかったぁ」


 安心した笑顔を向けられるのはなんとなくこそばゆい。なんていうか……胸の奥があったかくなる。


「お前は?」

「わたし?」

「奴らに傷つけられてないか?」


 下衆な連中だったから何かされてるかも……とか思ったけれど、イシュティは慌てて首を横に振った。


「縛られ……はしたけれど、それ以上は何も」

「なら良かった」

「……うん」


 話しが途切れて、微妙な空気が流れる。イシュティはもじもじしてあちこち顔を向けてるから余計にそう思ってしまう。


「あの、そういえば名前……」

「あ?」

「名前、呼んだことなかったから……」


 いきなり何を言いだしたのかと思った。そういやイシュティの名前は聞いたが、俺のは伝えてなかったか。とは言ってもないから適当に呼んでくれりゃあいいんだが。


「そんなもんねぇよ。強いて言えば『血濡れ鬼』って呼ばれてるくらいだ」

「血濡れ……?」

「ああ。殴り合いになったら拳が血で濡れるまで殴ったから付いたあだ名みたいなもんだ。嫌なら『鬼』とだけ呼んでくれ」


 名前なんてなくたって種族名がありゃなんとかなるもんだしな。


「じゃあ……お、おに」

「ああ」

「えへへ」


 ……何がそんなに楽しいんだから知らないが、喜んでるならまあいいか。

 久しぶりにゆっくりした時間を過ごしてるな、と思っていると――


「す、すみませーん……」


 か細く消え入りそうな声が聞こえてきた。なんかどっかで聞いた事があるけど……誰だ?


 照れたように笑ってるイシュティを置いて戸を開けると、そこには見慣れた動物顔があった。壱太を小さくしたらこうなるだろうなってのがそのままいる。


「あの……兄ちゃんに聞いて様子を見に……」

「……ああ、あいつの弟共が」

「あ、うん。弐助と――」

「さ……参ヶ……丸、です」


 ちっこいのが二人。どうやら壱太の奴はいないみたいだ。


「で、何の用だ?」

「えっと、あの……これを……」


 弐番目のがおずおずと差し出してきたのは二枚貝。多分、塗り薬だろう。


「わざわざこれを?」

「兄ちゃんからすごい怪我したって聞いたから……」


 あの野郎……わざわざこいつらに伝える事はないだろう。それでわざわざこんなもん持ってくるこいつらもだ。

 薬ってのは俺達が持ってるもんの中じゃ、相当貴重なもんだ。そんなのを惜しげもなく差し出して来やがって。


「気持ちだけは貰っておく。だからそれはお前達が怪我した時の為にとっておけ」

「で、でも……」

「それに怪我してるように見えるか?」


 二人に対して上半身を脱いで傷跡を確認させると目をぱちぱちさせていた。


「ない……」

「え、でも……」


 二人の頭に手を置くと驚いたのか不安そうな顔でこっちを見上げる。


「俺は治るのが早い。だから必要ないんだよ。あいつにも言っておけ」

「う、うん……!」


 こくこく頷いて駆け足で離れた後、一度こっちに振り返る。


「こ、この前はありがとう」

「あ? なんかしたか?」


 こいつらに感謝されるようなことしたっけ? ……あー、そういや壱太が同じこと言ってたか。多分そのことだろう。


「にいちゃん、よろこんでた」

「うん。今も頑張ってる。でも帰ってきた時からちょっと考え事してて……薬持って行くついでに遠出する事を伝えてくれって言ってた」

「そうか。ならお前らもついて行くんだろ?」


 こくりと頷く二人。


「なら、元気で過ごせよ。兄ちゃんと仲良くな」

「うん!」

「おにいちゃんも……またね」


 手を振って走って行く二人を見送る。なんか昔と大分変わったな。

 イシュティと出会ってからは前みたいに一人で飯食って面倒な奴らを殴ってってのが……いや、後の方のは相変わらずか。


 だけど心が違う。前よりも暖かい。こんな気持ち、今まで知らなかった。

 これは……どんな風に言葉にするだろう? 俺にもうちょっと頭があればわかったんだろうか?


 この日々がいつまでも続けば良い。飯が不味くても、寒くても暑くても……きっと俺は――。

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