2・伝わらぬ言葉
深いため息が漏れる。
俺の後ろには何かを話そうとしては黙る女。言われてもどうせわかんねーんだからいっそ黙っててくれた方がまだ気にならなくていい。そういうはっきりしない態度がまた俺を苛つかせる。
……仕方ない。気持ちを切り替えていこう。森の奥。獣ならまだしも、もっと厄介なのがいる森だ。正直足手まといを連れて来たくはなかったが……あのまま俺の後を勝手につけられて野垂れ死にされたら夢見が悪い。今も俺の衣の裾をぎゅっと握って離さない。
「お前さー、なんで俺を探してたんだよ」
「?」
やっぱり言葉が通じない。俺の言葉にもきょとんとしたままだ。それにまたため息がこぼれてくる。
しばらくその調子で歩き続けていると、目的地の少し開けた場所に出る。辺りには時々見かけた真っ黒な草が生えていて、俺達だけでは食べ切らないくらいだ。
適当に掴んだそれを引きちぎって口の中に入れる。相変わらず何とも言えない不味さが口の中に広がる。甘いとか酸っぱいとか、苦いとか辛いとか色んな味をごちゃまぜにして土のじゃりじゃり感とねちゃっと口の中に残るえぐみが頭の中を蹂躙する。それを気合いで飲み込んで竹筒に入れてきた水を一口。
その間にちらっとあの女がいる方を向くと、口を抑えて真っ青になってた。
「あーあー、ほら、これ飲め」
竹筒を受け取った女は右往左往しながら悩んで結局口を付ける……けどすぐに放してしまった。
「んー、んー!」
涙目で怒ってるそいつを無視して適当に生えてる魔草を違っては口に放り込む。どうせこれ以外食べるものはないし、そう何度も盗みに行く訳にはいかない。
「お前、今までどうやって生きて来たんだよ? ほら」
竹筒を引ったくって中身を飲み干す。
「これぐらい喰っていけないと生きていけないぞ」
本当のことだ。こいつ程度じゃ盗みなんて出来るわけがない。捕まって痛い目に遭うだけだ。
なら残された方法は一つ。阿呆ほど不味い魔草を食べることだ。これをちゃんと食える奴なら生きていける。俺だってそうしてきた。
ただまあ、この調子なら難しそうだな。乾燥させたら少しはマシに……。
「……ちっ」
柄にもなく考えちまった。俺には関係ない。ただ俺のせいで死なれたら嫌な思いをするからだ。
そんな事知りもしないで呑気に涙目になってるこいつがうらやま――
「おい!!」
「ヴォアウ!!」
大声で叫んだ俺と同時に獣の声が聞こえる。女がびくっと身体を震わせる。急に動けと言っても無理か……!
飛びかかってきたそれより早く、ぎりぎりで女に体当たりを浴びせて一緒に地面を転がる。悲鳴が聞こえるけど、そんなもんは後回しだ。
「ちっ、面倒なことになってきたな」
改めて正面から襲って来たやつを確認する。黒い毛に俺よりずっと大きい身体に牙。
「ほんっとうについてねぇな」
この森の強者。群れで襲い掛かる厄介な連中……のはずなんだけど、多分こいつは一匹だ。仲間がいるなら既に姿を見せてるはずだし、俺たちみたいなのは格好の餌なはずだ。一匹なら……足手まといを置いていけばなんとかってところか。
「んなもん、出来るわけねぇよなぁ!」
何のために一緒に連れて来たか? こいつに餌として食べさせるため? 違う。
なら、こいつは攻略しないとなんねぇ。そう考えると膝ががくがくと震えてきた。逃げ出したい。そんな気持ちが頭を塗り潰していく。
「ガァァァァァ!!」
「吠えてんじゃねぇよ! 犬ころがぁぁぁぁぁ!!」
気合いだけは負けない。一応俺にもこいつを倒す手段はある。
それでなんとかするしかない。
吠えながら牙と爪が飛んでくる。どれか一つに当たっても助からないだろう。
飛びかかってきた黒狼よりも身を屈める。奴の身体が頭上を通り過ぎる前にその柔らかい腹に一撃を見舞ってやろうかと思ったら簡単にはいかない。俺の背中を踏み台にして飛んだついでに向き直ってくる。
「ぐぁっ……」
くそっ、蹴り一つにしても十分痛え。しかも動きも早いからもう俺に牙を突き立てようとしてきやがる。
「このっ……」
駄目だ。間に合わない。ゆっくりと口が開く。狼の口の中ってのはこんなにもぎざぎざなのか。もう少しで――
「簡単に……やられてたまるかぁぁぁぁ!!」
噛みつかれる前に口の中に右腕を突っ込んで喉の奥を掴む。
「がぁぁおぉぉ!?」
「ぐっ……!!」
腕に黒狼の牙が食い込む。軋むような痛さと血が抜ける寒さが襲い掛かる。それを堪えて吠える。
「ああああああ!!!!」
残された左手を握り、親指を突き出してそのまま眼に突き立てた。ぐりっと回すと妙な感触と熱さが伝わってくる。
「ギャン!?」
痛みを堪えきれずに叫んでのたうち回る黒狼。その間に奴の首を掴んで頭を下げる。そのまま額に生えている角で首と胴の付け根辺りを突き、強引に引っ張って首を縦に開く。血が降りかかって生温かさが身体中に降ってくる。
「はぁ……はぁ……はんっ」
力がなくなった黒狼を適当なところに捨てる。息を整えながら鼻で笑ったところで痛みがぶり返して来た。
右腕は千切れてないのが奇跡って感じの繋がり方をしてて、じくじくと痛みが湧いてくる。額の角も犬畜生のせいで血まみれだし、気づいたらあちこちにひっかき傷が出来てる。
……ざまぁねぇ姿だ。死ななかっただけましって感じだな。
「0101、0402、04021201……! 1401010213020802(1603!? 03020403(0201090203020404!」
「……は、なに……言ってんのか……わかん、ねーんだよ……」
このままここにいたら確実に別のがやってくる。森の外にはあまり来たがらない奴らを知ってるから、なんとか外に出ないと……。
「……いくぞ」
うろたえてる女を無視するように歩く。このままじゃ死んでしまう。血も流しすぎたし、ふらふらしながら歩いてると後ろからしがみつかれた。
「おい……」
何言っても無駄か……と構わず進もうとすると、左側にするりと入り込んで俺を支えてくる。怯えたような、悲しいような顔をしながら一緒に歩くそれに奇妙な気持ちを覚えた。
「ちっ」
嫌な貸しを使っちまったな。あー情けねぇ。
……てかこんなに怖い目にあったのになんでまだ俺についてこようとするんだ? さっさと離れてくれりゃあ楽なのに。
悪態を吐きたくても身体中の気力が湧いてこない。結局、俺は女を連れてきたままあのボロ小屋に帰ることになった。時々ちかちかと黒くなったり白くなったり、意識がはっきりしなかった俺は、帰ってようやく深い沼に沈み込むように手放すことが出来たのだった。
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