第29話 側妃とレインスターとリズベット
「お前は一体何をしているのです!?」
側妃カナリアの応接室に、悲鳴にも似た怒号が響く。
声の主は緑色の髪と瞳をした美しい女だ。
同じ瞳の色をした赤毛の青年を睨みつけながら、彼女は怒りに震えていた。
「母上、どうか落ち着いてください」
「これが落ち着けるものですか! 何を考えれば皇太子と同じ服を着て、暴行しようとするなどという馬鹿なことを!!」
威嚇する獣のような呼吸を繰り返しているが、興奮し過ぎると泣いてしまうタイプなのか、彼女の瞳から大粒の涙がポロポロと零れていく。
母というには若く見える彼女だが、確かに目の前の青年の母親だった。
「あれは、あの無能な子供にこの俺の威厳を……」
「威厳!? あれが威厳に繋がると!?」
「どちらを皇太子にするかなんて、同じ服を着れば一目瞭然でしょう? あれは確かに少しやりすぎましたが……」
「少し!? あれが少しだと!? あれで理解したのはお前がどうしようもない愚か者だということくらいです!!」
「どうしてですか?」
訳が分からないといった様子の息子を目の当たりにした彼女は、またしても怒りで頭に血を上らせる。
「どうしてもこうしても、高位貴族達は礼儀や慣習、決まりを重んじる人々の集まりだと知らないのですか!?」
「知っています! ですから俺の力で……」
「なぜお前はそこまで愚かなのです!?」
それもそのはず、彼女が積み上げてきた全てが、息子の行動によって壊されたからだ。
貴族達の息子への信頼は不信感に変わり、味方だったはずの人間達の多くが皇太子派に寝返った。
残ったのは、大局を見ることが出来ない愚か者ばかり。
そんな現実に、彼女は嘆くことしか出来なかった。
「あぁ、どうして……! お前はそんな子じゃなかったはずです! 神はなぜこんなにもひどいことを!」
「母上……?」
「あんなにも優秀な教師を付けていたのに、どうしてこんなことになってしまったの!?」
彼女は知らなかった。
優秀な教師達がそれぞれ、偏った思想の持ち主だということを。
「母上、なにを言ってるんですか? 俺は俺ですよ?」
彼らは確かに優秀だった。
レイン皇子派の人間達から送り込まれた教師達だからというのもあるが、皇子が自分達にとって扱いやすい人間になるように教育していたのが一番の問題だった。
母である彼女の知らぬところで、皇子は偏った思想を一身に受け育ったのだ。
「お前こそなにを言ってるんです……!?」
「母上はさも俺が変わってしまったかのように言いますが、俺はなにも変わっていません」
その結果が、これだった。
「俺が皇太子になれば、母上は喜んでくださるんでしょう?」
「なんですって……?」
彼は笑う。にっこりと、無邪気に。
「俺が皇太子になれば、母上は父上から愛されるんですよね?」
「待ちなさい、まさか」
キラキラとした、まるで幼子のような瞳だった。
「俺が皇太子になれば、母上はみんなから認められて、俺も幸せになれるんですよね?」
「そんな……」
母である彼女は、愕然とした顔で息子を見つめる。
それは全て、一度だけ彼に打ち明けたことのある、彼女の言葉だった。
「大丈夫です、母上。どうか安心してください。俺が皇太子になってみせますから」
「待ちなさい、レイン!」
真剣な顔になった息子が、まだ見ぬ未来へ思いを馳せながらドアノブに手を掛けた。
「母上、待っててくださいね」
「だめよ、……それはだめ、待ちなさい! レイン! 待って……!」
まるでこれから旅立つ勇者のように、息子はそのまま扉から出て行った。
残ったのは、痛いほどの静寂。
「あぁ、なんてこと……」
後悔、怒り、悲しみ、それから絶望感。
全てのマイナスな感情に振り回された彼女は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
彼女の脳裏には、産まれたばかりの息子の姿が思い出された。
その次に、母である彼女のためにと花を摘んで、可愛らしい笑顔を向けてくれた息子の姿が浮かぶ。
どうしてこうなってしまったのだろう。
そんな思いに涙がボロボロと零れていった。
✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱ ✱
白金色の長い髪、高い背に整った顔。そして、その瞳は皇太子と同じ金色だった。
お父様よりも綺麗な顔をした、カッコイイ大人の男の人だった。
「どうして……?」
あの子供は、女の子なんじゃなかったの?
あんな、あんな風になるなんて反則よ。
「だれよ、女の子だって言ったの……!」
ひどい、ひどいひどいひどい!
あんな大人になるのなら、あと10年もすればとてつもない美青年になるのに!
騙された、騙されたんだ。でもいったいだれに?
「そもそも、なんであんな紛らわしい顔してるのよ、あの皇太子……!」
右手の親指の爪を噛みながら、考える。
考えて考えて、ふと過去にあの女とした会話を思い出した。
『皇太子殿下って、本当に可愛らしいお顔してますよね、そう思いませんか? エルロンドさま』
『そうですね』
『まるで女の子みたいだと思いません?』
『お綺麗なお顔をされていますからね』
──────そうだ、あの時だ。
「あの年増……ワタクシを騙したのね……!!」
言葉巧みに、誘導されてしまったのだわ。
あの女がまるで皇太子が女の子であることが当たり前のように、ワタクシの言葉に同意するから!
全部全部、あの女のせいよ。そうよ。そうに決まってるわ。
あの女がワタクシを貶めるためにそこまでするなんて思わなかった。
人としておかしいくらい、卑怯だわ。
レイン皇子殿下はきっとそれをご存知だったから愛想を尽かしたのね。本当に仕方のない女だわ。
こんなことでワタクシのレイン皇子への愛は揺らがないけど、そこまで卑怯なことをする女を皇太子の婚約者にしておくなんて出来ない。
きっとレイン皇子だってそう思ったから皇太子とケンカしたのね。
本当に優しい方だわ、レイン皇子って。
だからこそ、ワタクシがあの女を排除しなきゃいけないのだわ。
「これも未来の皇太子妃としての役割よね」
大変だけど、この国の未来のためにやらなくちゃ。
「覚悟しなさい……キャロライン・エルロンド……!」
決意を新たに、ワタクシは打倒キャロラインを誓ったのだった。
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